◆ カモフラージュ
「なまえさんって、芥川さんと付き合ってンすか?」
立原が突拍子もなくなまえに問い掛ける。
なまえは微動だにせず、手にしていた珈琲を一口啜った。
一息ついてから否定の言葉を紡ぐ。
「…だったら、俺と付き合って下さいッ!」
腰を直角に曲げ、右手を差し出す立原は真剣そのもの。
なまえは視線すら向けず、真面に取り合おうとはしなかった。
「芥川くんと付き合っていないからといって、立原くんと付き合う理由にはならないよね。」
再び珈琲を啜る。立原は、左手に拳を作り、強く握った。
「解って、ます。だから!無理を承知で、お試しで付き合ってみてもらえませんか?絶対後悔させないッす!」
あまりに必死に食い下がるので、なまえもついに視線を立原へ向ける。
幹部補佐という立場にありながらなまえは面倒見がよく、部下達から絶大な信頼を得ており、交際を申し込まれることも多々あった。
今までは全て断ってきたが、今回は特別可愛がっている黒蜥蜴の十人長の一人である立原だ。
正直、なまえも立原に好意を抱かれているのは気付いていた。
この状況になるのを極力避けていたのだが、どうにも今日は逃れられなかった。
困り果てたなまえは、一週間だけという期限付きで、渋々了承したのだった。
◇
本日の黒蜥蜴は比較的穏やかな一日だった。
特に出動する任務もなかった為、各々で訓練に励んでいた。
幹部補佐のなまえは執務机に向かい、事務処理に取り掛かっていた。
執務室の扉が数回叩かれ、入室許可の返事を返すと、顔だけ覗き込むような格好で立原が現われる。
「なまえさーん、一緒に射撃訓練どうっすか!」
憎めない笑顔で訓練のお誘いをする立原に、なまえは拒否しようと息を吸い込んだが、言葉を発する前に思い留まった。
射撃は得意分野のなまえだったが、最近は訓練からも実戦からも遠退いていた。
書類も大方片付いているし、偶にはいいかと思ったのだ。
そして立原もデェトの誘いではなく、射撃訓練の誘いをしてくるなんていじらしいではないか。
屹度、彼なりに考えての行動なのだろうと思い、なまえは席を立った。
「いいよ、指導してあげる。」
そう言って微笑むと、立原は両手でガッツポーズをして喜んだ。
◇
地下の射撃訓練場は静まり返り、誰も居なかった。
立原の世間話を聞きながら、適当な相槌を打ちつつ準備を進めるなまえ。
防音具を装着すると、一度深呼吸をする。
立原も話を止め、その姿を静かに見つめる。
発砲音が六回響き渡り、六発目の弾丸が的を貫通して床に転がる音を最後に、静寂を取り戻す室内。
硝煙と火薬の臭いだけが残った。
立原は、ヒューと口笛を吹く。
なまえが放った六発は全て的の中心を射ていた。
防音具を取り外し、立原ににこりと微笑む。
「次は立原くんだよ。」
なまえに見惚れ、ぼぅっとしていた立原は急に名前を呼ばれ、慌てて背筋をピンと伸ばす。
何故か敬礼で返事をした後、構える立原。
真っ直ぐ的を狙っていたところに、ふわりと甘い香りが鼻腔を擽った。
「もっと腕を伸ばした方が狙い易いよ。」
なまえが近付き、立原の腕に触れた。
文字通り目と鼻の先になまえの顔があるということで、立原は硬直状態に陥る。
射撃訓練どころではなくなってしまった。
然し、それを微塵も気にする様子がないなまえは、不思議そうな顔で立原を見上げる。
「え、何、どうしたの?」
「………何でもないっす。」
立原は頭を左右にぶんぶんと振ると、再び構える。
なまえの助言通りに腕を伸ばす。
先のなまえと同様に、六発連続して発砲した。
ふぅと息を吐き改めて的を見ると、中心を捉えていたのは僅か一発。
他も中心から大きくは逸れていないものの、立原は頭をガシガシと掻きながら、苦笑いをなまえへ向けた。
なまえは腕を組み、考え込んでいるようだった。
少しすると視線がぶつかり、顔を手で掴まれる。
「なッ、え、ちょ、なまえさん!?」
慌てふためく立原をよそに、なまえはじぃーと立原の顔を見つめた。
「目が、悪いのかな。」
「へ?」
至近距離で立原の目を真っ直ぐ見つめるなまえに悪い気は一切しないが、立原にしてみれば、最高で最悪の煽りだった。
「……見えてますよ、ちゃんと。」
少しひんやりするなまえの手が、立原の顔から離れようとした瞬間、逃がすまいと両手首を掴む立原。
熱を帯びた顔で、真っ直ぐなまえを見つめた。
「"仮"と言っても、今は恋人同士ってことで、いいンすよね。」
立原の真剣な眼差しに、些か気恥ずかしくなったなまえは視線を逸らす。
掴んだなまえの手首を強く引くと、バランスを崩した。それを抱き留める立原。
「ちょ、立原くん、仕事中……」
身動ぎをして脱出を試みるも、更に力を強められてしまう。
密着した立原の体からは、激しく脈打つ心臓の音がはっきりと聞こえてきていた。
「ずっと、こうしたかった。ねぇ、なまえさん。次の六発、いや、両手合わせて十二発。
全弾、的の中心に的中したら…お試しじゃなく、正式に俺と付き合ってくれますか。」
「な…そんなの出来る訳」
「出来ますよ……俺なら。」
「ゴホ、ゴホゴホ…」
聞き慣れた咳き込む声と、こちらに近づいてくる靴音が耳に入ったなまえは、再度解放を要求した。
立原も誰が来たのか理解していた為、名残惜しそうになまえを放した。
「なまえ、訓練の相手を頼もうかと思っていたが、取り込み中か。」
二人きりの射撃訓練場に訪れたのは、芥川だった。
芥川はなまえの射撃の腕前を見込んで、しばしば訓練相手をさせていた。
立場的にも、然程差がなく、芥川としても依頼し易い相手だったのだろう。
「大丈夫だよ、お手合わせ願います。」
そういうことだから、と立原に手を振り、なまえは芥川の方へ歩いていく。
立原は曖昧な返事をして、控えめに横目で芥川を見る。
芥川も立原を見ていたらしく、視線がぶつかったが、何を言うでもなく踵を返し、なまえを連れて出て行った。
◇
「今日は何処で訓練する?」
芥川の横を歩くなまえが問い掛ける。
その問い掛けには答えず、一度視線を向けただけで無言で歩く芥川。
なんとなく芥川の機嫌が悪いことを察したなまえは、黙って隣を歩いた。
すると芥川は突然、なまえの手を引き、人気のない薄暗がりの非常階段下に強引に押し込んだ。
なまえは悲鳴を上げる間もなく、その口を塞がれる。
芥川が貪るように口付けたのだ。
「なまえ、立原と何をしていた。」
責め立てるような視線と声色で問う芥川。
なまえは酸素を求め、荒い呼吸を繰り返していた。
上気した頬、潤んだ瞳で、芥川を見上げる。
それだけで、芥川の理性を飛ばすには充分だった。
なまえを壁に追い遣り、腕の中に閉じ込める。
嫌がるなまえを力尽くで押さえ込み、首筋に舌を這わせた。
「やッ……何をそんなに怒っているの…」
抵抗しつつ、必死に芥川に問い掛けると、芥川は少しだけ頭を上げ答えた。
「何を、だと?目の前で自分の好いた女が他の男に抱かれている、それだけでは理由に足りないとでも言いたいのか。」
怒気を帯びた低い声色で言うと、吸血鬼かのようになまえの首筋に齧りついた。
与えられた痛みに反射的に小さく悲鳴をあげると、芥川はなまえと目線を合わせ、舌舐めずりをした。
「イイ声だ、唆られる。」
なまえのシャツの釦を乱暴に外すと、首筋から鎖骨へ、舌を滑らせていく。
「早いうちに白状した方が身のためだ。
そうでなければ、僕も止められなくなる。」
舌先で下着をずらそうとした芥川の手が、下肢へ伸びたことに気づいたなまえは、できる限りの力で芥川を制止した。
「ま、待って。誤解なの、その…断り切れなくて、一週間だけお試しで恋人になることになってしまっただけで、心変わりしたわけではないの。」
「それならばと、そんな愚行、僕が許すとでも思うか。」
なまえの必死の訴えで、なんとか行為は阻止できたものの、相当怒り心頭の芥川に息を飲む。
「付き合っていることを隠すって決めたのは、芥川くんじゃない。」
絞り出すようになまえが言うと、芥川はなまえを拘束していた力を弱めた。
「なまえの仕事に支障をきたすと思い配慮した心算が、裏目に出たか。」
溜め息を吐いて、視線を斜め後ろに向けた。
「だが、これではっきり解っただろう。なまえは僕のものだ。何人たりとも手出しはさせない。」
まるで誰かに話し掛けるような口調に、なまえは不思議そうな表情で芥川を見た。
「今後も愚行を繰り返すようならば、その喉を、黒獣で掻き切る…此度の盗み聞きは特別に見逃してやる、立原。」
芥川の言葉に驚き、目を見開くなまえ。
芥川越しに通路の方へ視線を向けると、頭を掻きながら立原が姿を現す。
「芥川さん、知らなかったとはいえ…すみませんでした。なまえさんも。」
困り顔でへらりと笑う立原に、鼻を鳴らす芥川。
「今見た、なまえの淫らな姿も全て忘れろ。それで自身を慰めようなどしようものなら」
「し、しません!忘れます!失礼します!」
殺気に満ちた芥川に震え上がる立原は、慌ててその場を立ち去ろうとした。
「あっ、待って…」
なまえが立原に手を伸ばすと、すかさずその手を芥川が掴み、口付けで唇も封じられた。
そのままで芥川はちらりと立原を見遣る。
立原は一礼をして去っていった。
それを見届けた芥川は、なまえを解放する。
「行かせぬ。」
訴えるような視線を向けるなまえに言うと、芥川はそっとなまえを抱き締めた。
「その様な姿で走り回られては、目も当てられぬ。」
芥川の言葉でハッとするなまえ。
はだけていることを思い出し、赤面したなまえの反応にふっと笑い額に口付ける。
「僕以外に触れさせた罰だ。」
なまえの首筋に芥川がすり寄ると、チクリとした痛みが走る。
そこには赤い痕を一つ散らされていた。
「え、これどう説明すればいいの。」
「見た通りだと、堂々としてればいい。」
それと、と続けると、再びなまえに擦り寄る芥川。
なまえが頭を撫でてやる。
「もう少し、離してやらぬ。」
甘えるような芥川を目の前に、跳ね除けることができないなまえは、小さい声でごめんねと言いながら抱き締め返す。
嫉妬やきの彼を、こっそり笑いながら。
2020.02.24*ruka
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*confeito*