◇ おまじない
「お帰りなさいませ、芥川さん!」
ポートマフィア本部に、可愛らしい声が響く。
エントランスにて笑顔でお出迎えしたのはなまえ。
「戻った。」
少し疲れた声で答えたのは芥川。
つい先程、任務を終わらせ急いで帰ってきた。
別に、此れといって用事は無かったが。
「あれ?樋口さん達は…?」
「置いてきた。」
「また?!ですか…」
そんな会話をしながら並んで執務室へ向かう。
なまえは芥川の秘書的役割の部下だ。
仕事も早く、ミスも少なく機転が利くなまえに芥川は厚い信頼を寄せていた。
また二人は歳が近いこともあり、プライベートでも仲が良く、恋仲でもあった。
なまえと話している時は、芥川の少し尖った口調も表情も柔らかくなる。
執務室に着くと、既に着替えの用意がされており、其れをなまえが芥川に手渡す。
遊撃部隊が出動する時は、無論交戦のある時。
任務から戻ると芥川の外套を始めとした洋服には、誰のものとも解らない血液が付着している。
芥川本人は気にしていない様だが、なまえは其れが堪らなく嫌なのだ。
芥川も其れを熟知している為、無言で着替えを受け取る。
「今日の仕事は此れで終わりだ。一緒に帰るぞ。」
そう言って更衣室へと向かった芥川の背中に向かって、なまえはヒラヒラと手を振って見送った。
手を挙げた侭、暫く茫然と立ち尽くすなまえ。
「また、傷が増えてたなぁ。」
挙げた手を自分の首に宛てがい、数回摩る。
芥川の首に見た、真新しい傷と同じ場所を。
傷一つ一つに憂いていては、こんな仕事は続けていけない事は解っている心算だが、矢張り心配になってしまう。
嘗ての彼の上司の様に、包帯塗れの姿なんて見たくない。
「まぁ、あの頃よりは断然、傷も少ないんだけどね。」
軽く息を吐き、独り言を言っていると、執務室の扉が勢い良く開かれた。
「帰るぞ。」
「早っ!」
着替えを終えた芥川が咳をし乍らなまえに近付き、手を引く。
なまえは慌てて鞄だけ手に取り、二人は執務室を後にした。
◆
帰り道、夕飯の食材を買って帰宅した。
並んで夕飯を作り、食卓へ並べる。
なまえは食事の時が一番好きだった。
任務の事、将来の事、偶に昔の事も話してくれたから。
あまり思い出したくなさそうなので、深くは聞かないが。
なまえは最後の料理を運ぶと、芥川の隣に座った。
「…なまえ?」
いつもは向き合って座っているのに。
不思議に思った芥川はなまえに問いかけてみる。
なまえは芥川の腕を抱きしめて答えようとしない。
芥川も無理に聞こうとはせず、空いている方の手で料理に手を付け始めた。
其れは、芥川なりの優しさでもあった。
然しなまえは…
「ど・・して?」
少し擦れた声。
芥川は箸を置き、心配そうになまえの顔を覗き込む。
「何かあったのか?」
「…。」
「身体の調子が悪いのか?」
「…。」
なまえは芥川の問い全てに、首を大きく横に振る。
首を振る以上、何も言おうとしないなまえに芥川は痺れを切らして、なまえの両肩を掴み言った。
「何故、何も言わぬ。」
なまえは目線を合わせようとはせず、其の侭でやっと口を開いた。
「何故、そんなに急いでいるの?」
暫くの沈黙の中、時計の針の音だけが響く。
生き急ぐ、彼の時間を確りと刻む様に。
するとなまえがそっと芥川の頬に触れる。
その手に、芥川も手を重ねた。
「ねぇ、龍之介。走り続けるのは辛いでしょう?立ち止まれとは言わないわ。
でも少し、歩いてもいいんじゃない?貴方が思っているより、龍之介の心は疲弊しているわ。」
なまえは手を離そうとするが、それを芥川が止める。
「僕が、疲弊している…だと?」
芥川は数秒なまえを見つめ、フッと瞳を閉じる。
「疲れているのはなまえの方ではないのか?僕には疲れる原因などない。
…なまえが傍に居るしな。」
「…。」
芥川はなまえの手を離し、再び料理を食べ始めた。
自由になった手を脱力させ俯くなまえ。
そんななまえを横目に、芥川の箸の進みが遅くなった。
温かかった料理が冷めていく。
不意になまえが芥川の背中にそっと触れる。
ゆっくり、ゆっくり。
背骨に沿って降ろしていき、ある処で止まる。
芥川に刻まれた、深い傷痕。
なまえにしてみれば痛々しく、悲しい傷痕。
その後は二人とも、一言も言葉を交わさずに過ごし、就寝した。
然しなまえは、芥川が寝息を立て始めた後、もう一度、彼の背中から傷痕をそっと指でなぞる。
自然と悲しくなって、優しく抱きしめる。
これ以上、傷を増やさぬ様にと。
「…なまえ。」
眠っていたはずの芥川から名前を呼ばれ、ビクッと反応する。
芥川はなまえの方に向きを変え、抱きしめ返す。
「そんなに僕の傷が、嫌いか?」
囁く様に問い掛ける。
「嫌いとかじゃ、なくて。開きかけてた龍之介の心が、また見えないの。」
「…?」
なまえは芥川の腕の中でポツポツと話し出す。
言葉を探しながら。
一生懸命気持ちを伝えようとしている。
「此の傷が出来てからまた…。身体の傷で、心の傷を隠してる、気がする。だから…」
だから、此の侭、傷が増えてしまったら、龍之介を、見失ってしまうかもしれない。
それが怖い。
『もう、戦わないで』
此の本音を言えたら、どんなに楽だろう。
でも、言える訳がない。
言ったら私は楽になるかもしれない。
だけど、それと引き替えに龍之介を苦しめるだろう。
そんなの、今以上に耐えられない。
彼は優しい人だから。
私を傷付けるくらいなら、自分が傷付いた方がましだと。
私は彼を苦しめてはいけない。
彼を支えなければならない立場なのだから。
「…だから、なんだ?」
「だから…だから。傷を増やさない、おまじない。」
なまえは顔を上げ、両手で芥川の頬を包み、そっと唇に口付けた。
戦うことを止めない貴方へ。
傷を増やさぬおまじない。
そして二人は指を絡ませ、静かに眠る。
孰れ向かえる、戦いの時を待ち乍ら。
終
2017.02.23*ruka
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*confeito*