甘いケーキと君の唇
普段は町を守るヒーローとして自主的に活動しているスプレンディドだったが、しかし今日はヒーロー業はお休みのようだ。
鼻歌混じりに笑う彼の前には、青空の下に広げられたテーブルクロスには、二組の紅茶と、大きなケーキが並べられていた。
お茶会と銘打ったおかしなパーティの招待客は、二人のみ。「本当はフリッピーくんと食べたかったのにな」と口を尖らせたその先の相手は、彼がフリッピーと呼ぶ人物と姿形そっくりな軍人だった。
彼が軍人くんと呼んでいるフリッピーの別人格は、出てきてはいつもあたりを血の海に染め上げ、スプレンディドはそのたびに駆り出されるハメになる。――まあもっとも、この街一番のシリアルキラーは他でも無い彼だったりするのだが。
スプレンディドは、「どうせ途中でうっかり裏の人格が出てきてしまったのだろう」と見切りをつける。その顔は意外にも柔らかかった。
向かいの席に座る軍人は大人しいが、鈍いこがねの瞳はぎゅっと縮められ、下品に笑う口には尖った牙が覗いていた。
しかしその牙は今、白いふんわりとしたケーキに突き立てられている。
てっぺんのいちごを皿の隅に寄せ、甘すぎずしかしちょうどいい仕上がりのスポンジにフォークを突き立てる。ケーキの中に混じった苺ジャムがとろりと溢れ、とても美味しそうだ。
「……でも意外だったよ。君がケーキを食べるなんて」
「まあ、味覚は一緒だからな。好きか嫌いかは別だけど」
皮肉を言うが、ケーキを口に運ぶ手は止まらない。
普段は町を守るヒーローとして彼と敵対してばかりのスプレンディドだったが、無心でケーキを頬張る彼を見てしまっては、今回ばかりは頬も緩む。
「本当はフリッピーくんに食べさせてあげたかったんだけどね……」
そう言いながらも、内心では満更でもないのだろう。彼もそれを分かってか、ひたすらにケーキを詰め込んでいる。
「――ご馳走さま」
「早いね。ふふ、お気に召したかな?」
「悪くはない」
ものの数分で平らげたホールケーキは、確か三人前はあったはずだ。
満足げに紅茶を飲む彼の口元に赤いジャムがついていることに、ふとスプレンディド気がついた。
まるで口紅のようだ。ジャムはいつも見る赤色とは似ても似つかない甘い色をしている。
それに気付かず立ち去ろうとするフリッピーに声をかけて引き止める。
「軍人くん……口元に……」
フリッピーへと伸ばした指でジャムを拭うと、その際に少し唇に触れてしまった。
スプレンディドはジャムと唇に触れた指をそのまま舐めた。どうしようもなく頬が緩む彼を蔑んだ目で見下しながら、軍人は席を立った。
「美味しかったんじゃねえの。まあ、こういうのはあいつ好みだろ……じゃあな。クソヒーローォ!」
ケッと悪態一つ舌打ち一つ、おまけにテーブルへナイフを突き立てると、それは鈍い音を立てて深々と刺さった。最後にもう一度罵倒を口にして、軍人は立ち去ってしまった。
そんな彼を見送りながら、もう一度指を舐めた。
覚醒も通常と同じ味覚だったらいいな、から始まった英覚です。