レイニーデイ


 雨粒が屋根に叩きつけるように落ちてくる。風は吹いているはずだが、湿度の高い空気をただかき混ぜただけのようで、生暖かい。はねてしまう髪をなんとか撫で付けながら、北原は湿気で濡れた廊下を歩いていた。

 日本の夏というものはじめじめと蒸し暑く、温帯と言うのは名ばかりで、まるでサウナにでも放り込まれたような気候だ。梅雨はそれほど高温にはならないが、湿気が高いという点では似たような息苦しさがある。

 彼は額に滲む汗を拭いながら、図書館へと足を進める。この泥のように絡みつく暑さは、司書もろとも耗弱寸前に追い込んでいた。
 いっそハッカ油でも降ってくれれば、焼け死んでしまうような寒さが味わえるのに。別の意味で耗弱してしまうだろうが、本気で思案してしまうほどには日本は湿気で満ちていた。

「ふむ……こんな暑い日はやはり、煙草を吸うのに限るのだよ」

 そう呟きながら、喫煙室へ向かう。もっとも、熱くとも寒くとも年がら年中、肺が真っ黒になるほど吸っているのだが。

 頬まで垂れる汗を拭う。喫煙室は図書館の隅に配置されており、彼の自室として割り当てられている部屋からは少し遠い。
 体を引きずるようにして歩いていると、ちょうど図書室に差し掛かったあたりで二人の子どもがこちらに向かって走ってきた。

「北原さーん。こんにちは!」

 肩に背負ったぬいぐるみのごんを揺らしながら、南吉はハイタッチを求めるように片手を上げた。

 恒例の挨拶のようなものだ。北原は煙草の箱を持つ手と反対の手で挨拶に応じると、ぱちりと気持ちの良い音が響いた。
 続いて賢治にも挨拶を求められ、苦笑しながらも手と手を打ち鳴らす

 金と銀、対象的な髪色をした子どもたちは、ぴょこぴょこと飛び跳ねながらはしゃいでいる。しかしいつものまくし立てるような甲高いおしゃべりがない。

「やあ、南吉くん。それに賢治くんも。……どうしたんだい。元気がないね」

 はしゃぐ姿は空を飛び回る小鳥のように自由気ままだが、元気がない。普段なら北原に声をかける時に、もしくはハイタッチの時にイタズラの一つや二つ仕掛けるはずだ。
 作品に引っ張られているのか、元々そういう性なのか、イタズラ好きの南吉は人と会う度に人を驚かせるようなことをする。トリック好きの江戸川や、同じ価値観を持つ賢治とつるんでイタズラを仕掛け合ったり、一緒に考えたりもしているが、今日は沈んだ目でごんを撫でていた。

「今日はね、賢ちゃんと一緒に外で遊ぶ日だったんだ。でも雨が降っちゃって」

「お天道様の機嫌が悪いんだ。だから南吉と二人で絵本を読んでいたんだ」

 ちなみに絵本というのは言わずもがな春画である。
 子どもらしい悩みだと微笑んでいた北原は、指し示された本を見てくらりとよろけた。心なしか顔が赤い。その様子を見て、賢治は追い打ちをかけるようにして開いた本を差し出した。

「ちなみにボクのおすすめは、このページの……」

「僕はそういった下衆な読み物には興味がないのだよ。……もうちょっとその姿に見合った遊びをしてくれないかい」

 北原はもちろん南吉も賢治も成人をとうの昔に高飛びし、真面目に指折るとすれば百歳を超えるのだろう。しかし賢治の猫毛に大きな目のかわいらしい姿では、どこからどう見ても少年だ。無理をして見ても十二あたりがいいぐらいだろう。
 と言っても北原の外見も童顔に分類され、時々年下であるはずの室生や萩原よりも年下に勘違いされる。

 窓の外は相変わらず雨が叩きつけていた。銃声のようなくぐもった雨音が空白を埋めていく。

「絵を描く、というのはどうかな」

しばらく悩んだ末、苦し紛れに提案したが、賢治はいつも通りの笑みを浮かべた。

「分かった、裸婦画だね」

 全く分かっていない。さすがの彼も、ここで煙草をふかしたい気分になったのか、ライターを片手で弄んでいる。

「……そうだ、歌なんてどうだい? 僕は詩の他に、童謡なんかも作っているのだよ」

 そう言って歌いだしたのは、北原が作った童謡の一つだった。ぴちぴちちゃぷちゃぷと紡いだそれは子どもらしいリズムだったが、何故か彼にとても馴染んでいた。しかし。

「雨降ったらだめだよ!」
「僕らはお外で遊びたいのに……。ほら、ごんも遊びたいって言ってるよ」

 とても子ども受けしそうなたのしいリズムなのだが、子どもでも何でもない彼らには不評だったようで口を尖らした。
 外見だけは幼子の二人に不満を言われると、いい気はしない。

「いつも江戸川さんは……、そうか潜書中だったかな。肝心なときにいないのだから」

 北原の頭に、つい先日の青色のご飯がよぎった。別段味は変わらないので食に頓着しない者たちは普段通りだったが、それでも多少常識的な感性を持ち合わせている者たちの腹は夜通し成り続けていた。
 ちなみに空腹による耗弱者が多数出たため、被害者は食い逸れたプロレタリア組を筆頭として、江戸川とおにごっこをしている。

 北原の手の中で、煙草の箱がへしゃりと歪んだ。復讐がしたいと顔に書いてあるが、暫くは本に閉じ込められているだろう。

 江戸川がいれば北原は子ども達を押しつける気なのだろうが、潜書ばかりは仕方がない。なにか彼らが暇を潰せるような遊びはないかと悩んでいると、ふとティッシュ箱が眼に入った。

 急激に明度を変えた北原の顔を、ぐるりと南吉は覗き込んだ。

「なにか思いついた?」
「君たちは、雨が止むおまじないを知っているかね」

 そう言いながら、机に置かれたティッシュ箱を掲げてみせた。
 

「おや、何やら楽しそうなことをしていますね」

 雨音が少し静かになり始めた頃、江戸川はふらりと現れた。どうやら有碍書への潜書だったようで、頬が少し黒ずんでいる。しかし江戸川はまだ転生したてなので、大方武器を腕に慣らすための周回だろう。

 声をかけられた南吉は、机の上に置かれた白い幽霊のようなものを指し示した。

「てるてる坊主って言うんだって。お天道様の機嫌が良くなるおまじないだよ」
「南吉くんと北原さんと一緒に作ってたんだ!」

 賢治もそう言いながら、夜空に染め上げられたてるてる坊主を江戸川に渡した。

「ふむ、よくできていますね。北原さんが教えていたんですか?」
「いい暇つぶしになったのだよ。江戸川さんも作ってみるかい?」

 それはぜひとも。そう言って江戸川も椅子に座り、何やらティッシュをごそごそと丸めはじめた。
 後日、四つのてるてる坊主が窓枠へ列を作り、それをみた文豪たちの間でてるてる坊主作りが流行ったとか。


北原と童話作家組でほんわかしていて欲しいな。と、梅雨の時期に書いていたものです。もう明けました。



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スワンプマンの箱庭