いたずらな独占欲


「うるさい……」

 じりりりり、と典型的な目覚ましが鳴り響く。空はとっくの昔に青く染まり、時計の針はぐるりと八時を過ぎた頃。
 布団の中から手を伸ばして、寝起きとは思えないほど俊敏な動きでアラームを止めるためにボタンを押した、否ぶん殴った。

 伊達に元軍人ではない。壁に叩きつけられた時計は、物理的にアラーム音を止めた。壊れた時計は星の数。二ヶ月耐えた時計も今日が最期だろう。

 アラーム音が響いて五分ほど経った頃に、ようやくのろりと布団からはみ出た。先程の素早い動きは見る影もなく、くまのようなシルエットで未だ惰眠を貪りながら、上半身を起こした。

「ん……ねむ……」

 目元を擦って起き上がる。寝癖の付いた髪や皺だらけの服をよそに、そのままキッチンへと向かった。

「いただきます……」

 パチリと手を合わせ、そうつぶやく。

 朝食はパンと具材の入っていないスープ、そしてお気に入りのオレンジジュースだ。チープなお皿に盛られた、こんがり焼かれたパンを手に取りイチゴジャムを塗りたくると、血のように見えた。悪い想像を振り切るかのように口に詰め込む。
 オレンジジュースを啜りながら、嫌なことから目を背けるようにストローをかじる。子どもが爪や指を舐めるのと同じような行動だ。
 コップの中身が氷のみになり、その氷すら溶けて水になった頃に、ようやく席を立つ。その足でコップと皿を洗い、ジャムの小瓶を片付けようとすると、インターホンが鳴り響いた。

「はーいちょっと待ってくださーい」

 どうせ郵便届けや業者しか来ないのだろうと高を括ったのか、小瓶を手にしたまま玄関へと向かった。

 扉を開け放った先にいたのは、怯えた顔をへらりと歪ませている、小さな子ども。
 
「お、おはよう!」
「おはようフレイキー! どうしたの? こんな朝早くから」

 そうフリッピーが声をかけると、フレイキーはビクリと肩と頭を揺らして、白いフケをあたりに散らした。先程までの顔をさらにへらりと歪ませ、乾いたような笑い声を出した。

「実は昨日から水道が壊れてね……シャワーだけでも貸してもらえないかなって。昨日から入れてなくて……」
「そう、それは災難だったね……」

 まあフレイキーは髪を洗ってもさほど変わりはないのだが。しかし断る理由も意味もない。彼はフレイキーを家の中に入れ、風呂場へと案内した。
 脱衣所に入り電気をパチリとつける。お湯の出し方やシャンプーの場所を示すと、フレイキーは小さくうなずいた。

「お風呂にも入るかい?」
「ううん、シャワーだけで大丈夫だよ」

 そう言いながら服を脱ぎだすので、フリッピーは慌てて脱衣所の外へ出た。
 フレイキーは不思議な顔をしているが、フリッピーからすればフレイキーは彼ではなく彼女なのだろう。

 フリッピーが脱衣所のドアの前で胸をなでおろしていると、微かに水音が聞こえてくる。
 フレイキーの着替えも用意してやらねば、と手にしたままだった小瓶をことりと扉の前に置き、荒れたままの寝室へと向かった。彼の体格ではフレイキーに合う服はないだろうが、早朝だからといって先程までの服をそのまま着せるのも可哀相だ。

 彼は戦闘服以外はほぼ着ない。タンスの中身も、ずらりと並んだ迷彩柄ばかりが目につく。

 以前、ギグルスにいつも同じ服なのかと尋ねられたときは、毎日違う服を着ていると答えていた。しかし、パターンが少し違ったり、色合いが違ったりといった具合で、素人目ではすべて同じだ。
 ギグルスはその時、おしゃれに気を使いなさいとは怒ってはいたが、馬の耳に念仏だった。

「そういえば、大分前、フレイキーから貰ったパーカーがあったな……。未使用だし大丈夫かな?」 

 フリッピーはいつも緑を着ているから、と選んだ薄い黄緑の服は、フレイキーには少し大きいかもしれない。
 パーカーならワンピースの代わりにでもなるだろうか。そうタンスから引き出そうとする彼は、フレイキーが未だにそのパーカーを着てくれることを望んでいるのを知らない。
 奥にしまわれていたパーカーをやっとのことで引き出し、パッと広げて汚れを確かめる。

さほど汚れていないことと、糸のほつれや穴などがないことを確認していると、先程から微かに聞こえていたシャワー音が止まった。

 彼は何度か下着の入っているタンスを横目で見たあと、そのままパーカーを片手に苦い顔で部屋をあとにした。
 ぎしりと小さな音を鳴らしながら階段を降りていると、突如小さな破裂音が彼の耳に届いた。

「きゃあっ」
「フレイキー! どうしたんだい!」

 破裂音と共に聞こえてきたのは、フレイキーの悲鳴だった。残り半分だった階段を急いで駆け下りながら、脱衣所へと足を早める。

 がたがたとたどり着いたそこには、とりあえずタオルを巻きつけたフレイキーの姿、そしてその足元にはきれいに割れた小瓶とジャムが血飛沫のように散らばっていた。

「あ――」
「フ、フリッピー! えっと、あの……」

 ぐらりとよろけるようにして顔面を覆いぱたぱたと瞬きを繰り返す。

 小瓶が割れたのは誰がどう見ても床に、しかも扉の前に置いていたフリッピーなのだが、フレイキーはひたすら目を開いたり閉じたり、とせわしなく動かしていた。
 目に見えて動揺しながら、ぱたぱたと手を動かす。そして頭の整理整頓ができぬまま、片付けなくてはという安直な考えだけで小瓶のかけらへ手を伸ばした。

「いたっ……」
「フレイキー、危ないよ!」

 蹲って手を抑えるフレイキーに駆け寄った。フレイキーの手からは自身の髪の毛と同じ色がぷくりと溢れ、小瓶の破片と中身の上に降り注いでいく。

「だ、だめだよ! 危ないから――、ほら手を引っ込めて」
「うん、ごめんね……」

 フリッピーはそういいながら、ぎこちない笑顔と脂汗を浮かべて、まだ破片を拾おうとするフレイキーの手を制止する。
 先に手の治療をしようと、その手をそのままとり、怪我の具合を診る。
 滴り落ちる血はどくどくと脈打ちながら深い傷を覆い隠している。

「結構ぱっくりといってるね……」
「ご、ごめん……」

 予想以上に溢れる血を見て、救急箱とほうきを取るために急いで立ち上がり、早足でかけていく。

 ――焦ったように揺れる瞳。フレイキーは、その濁った水槽のような色の中に、ひらりと泳ぐ金色の光が見えたような気がした。

 フリッピーがばたばたと駆けていく様を放心状態で見つめていた。脈打つたびに熱くなる傷口を押さえていると、再び彼がばたばたと駆けてきた。
 今度は大きな箱と掃除道具を抱えており、若干滲んだ冷や汗を拭い取って慌てるフレイキーの手を取る。

消毒液を含ませた脱脂綿を、ピンセットで摘んで優しく傷口へと当てる。傷口に触れるたびに淡い赤に染まるそれが完全に血の色になったあとは、新しいガーゼをあて、包帯をぐるぐると固定するように巻きつけた。

「染みるけど、我慢して」
「あ、ありがとう。でもフリッピー、大丈夫なの……?」
「大丈夫、彼は出てきていない」

 そう言ってぎこちなく笑った。

 フリッピーが彼、とぼかして指したのは、もう一つの人格のことだ。今は包帯で巻かれている手の平を汚していたものや、血や発砲音に似た音、戦争を彷彿とさせる出来事が起こった際に出てくる自己防衛。
 「それ」は殺戮を繰り返し、彼の両手を紅に染めるはずだった。

 ジャムだけでなくフレイキーの血でも。これはカウンセリングがいい方向に進んでいるのか、もしくは嵐の前の静けさとかいうやつか。
 どちらにせよ、彼が豹変する素振りはない。それならばと、バスタオル一枚のフレイキーは、衣服を投げつけられながら提案した。

「僕の髪を切ってくれないかな」


 ガチンガチン、と普通ならありえないような音を立てて、赤い毛が乱雑に新聞紙の上へと落ちる。
 それもそのはず。フリッピーがフレイキーの髪へ向けているのは、枝を剪定するときに使うようなハサミだ。

「こんな感じかな」
「んーと、もう少し短くしてもらってもいいかな」

 フリッピーが大きな鏡を後ろへ持っていくと、フレイキーはそう答えた。その言葉にぎこちなく笑うと、彼は再び大きなハサミで髪を切り始めた。

 髪を切ってほしい。そう彼に言った理由は、フレイキーの髪質にある。棘のように鋭く、硬い髪は、うまく洗えずフケだらけ。おまけに普通のハサミでは切れないので、伸ばしっぱなしにしていてよく怪我をさせてしまう。

「えへへ、ありがとうね。フリッピー。自分じゃ怖くて……」
「お役に立てて嬉しいよ。これぐらいかな」
「うー、もうちょっと! どうしても髪が伸びるのが早いんだ」

 決してフレイキーの頭が下心満載というわけではない。普通に体質によるものだ。

「……うん、これぐらいかな。ありがとう!」
「どういたしまして、お客さん」
「ふふっ、美容師さんみたいに上手だね!」
「ありがとう。かわいらしくなったね」
「え……」

 他意はないあたり、罪作りな男だ。フレイキーは頬を赤く染め、もう一度ありがとうとつぶやいた。

 シャワーで落ちきらなかった分のフケを、慎重に櫛で落とす。もともとの体質である乾燥によるフケ症と、髪がとげとげなための洗髪不足によるフケが合わさっている。いつもふわふわ漂う白いものはフレイキーのチャームポイントでもあり、悩みの種だ。

「緑と黄色……どっちがいいかな」
「フリッピーの好きな方でいいよ」

 分かった、と輪ゴムと黄色のリボンを手に取る。

 梳かすついでに髪を軽くまとめて、輪ゴムで止める。本当はゴムがあればいいが、生憎一人暮らしのフリッピーには手持ちがない。そして、フレイキーの髪は一本というよりも一束で、ゴムでは少々縛りづらい。


「わあ、フリッピー上手! 僕あまりおしゃれとかしたことがないから……!」
「そんなに喜んでくれるなんて。嬉しいよ」

 おまけ程度に結んだ、ケーキ箱のリボンが気に入ったようだ。椅子の上で足をばたばたとさせて喜んでいる。
 ぴょこぴょこと揺れるポニーテール。その赤い髪には黄色のリボンがよく映えた。
 緑色のリボンをゴミ箱へ放ると、フリッピーはニヤリと笑って冗談を言った。

「それなら、誰かとデートをしても大丈夫だな」
「デ、デートなんてしないよ!?」
「そう? 随分と想いを寄せている人がいるみたいだけど」
「なっ……!」

 振り返ってフリッピーを見ると、嘲るような顔で笑っていた。その意地悪そうな顔に頬を膨らませていると、更に爆弾を投下してきた。

「なんて、冗談だよ。実はこいつが好きだったりして」
「うえ! ちょ、ちょっとやめてよお!」

 フリッピーがこいつ、と言って自分の顔を指差すと、フレイキーは目に見えて赤く染まり、赤い塊とかしてぐるぐるとのたうち回った。

「ち、違うよ! このあとはギグルスと一緒に映画を観に行くの! 別に……」
「それで、約束の時間は」

 あ……、と思いだしたようにハッとして、慌てて駆け出していった。
 鞄を引っ掴んで着ていたパーカーを放り出し、元々の服を頭から被る。

「ご、ごめんね! パーカーは洗濯機に放り込んでおいたから! あと、ありがとう!」
「じゃあね」
「うん、ばいばい」

 どうやら待ち合わせの時間がもうそろそろだったらしい。猛スピードで玄関までたどり着くと、フリッピーの方へ向かって手を振る。
 彼が手を振り返すと、満足げに玄関の扉を開けた。数歩走ったあとでもう一度振り返ると、今度はにっこり笑い、黄色のリボンに手を当てて、

「ありがとー!!」

と叫んで手を振った。


扉のそばで遠ざかっていくポニーテールを眺めていた彼は、叫んだフレイキーに今度は手を振り返さずに、不機嫌そうに顔を歪めた。

「あいつ、いつから気がついていたんだ」

 琥珀が濁った色の瞳が、ゆっくりと細められる。そこにはいつもの緑色の彼ではなく、黄色の彼がいた。

 ジャムを倒しフレイキーが怪我をした後、呼び出された彼は酷く戸惑った。手には救急箱、目の前にはすでに怪我をしたフレイキー。
 大方、救急箱を取りに行っている途中で耐えられなくなったのだろう。

 朝の気だるい体で暴れるつもりは毛頭ないし、かと言っておとなしく体を受け渡すのも尺だ。しかし目の前のこいつがそれを了承するはずもない。
 だが杞憂だったのか、フレイキーが気付いていた様子はなかった。なら暴れる必要も体を返す必要もない。幸なことに表の自分に関しては知り尽くしていたつもりの彼は、できるだけ表のように接し、ついでにフレイキーをからかっていた。だが。

「……バレてたっつーのか。あー、くっそ!」

 悪態をついて、おまけとばかりに靴箱を蹴っ飛ばす。扉がひしゃけたそれは、さてこれからも靴箱として機能するのか。
 しばらく不機嫌そうに呪詛を吐きながら、靴箱を足で叩いていた。が、子どもの頭に掲げられた黄色のリボンを思い出し、少し口角を上げて、満足げに微笑んだ。
フレイキーの髪を切る話。
フリフレ前提の覚フレ(?)



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スワンプマンの箱庭