チョコレート・ギフト
重たそうな、やけに近未来な扉が音も立てずに開く。すばやく開いたそれすらも怠慢だと思ったのか、男は扉を蹴り上げるようにして室内へ足を進めた。
各サーヴァントに割り当てられたマイルームであるこの部屋には、当然だが主の姿はない。そのことに満悦した笑みを浮かべた男――ハイドは、得意げに鼻を鳴らした。
「ハンッ! ここの警備もザルだなァ。顔認証? がなんだの、あの妙に胡散臭い医者は言ってたけどよ。まさかおんなじ顔をした奴がいるなんて思わねェだろ! あのキャスター兄弟は見分けられたのにナァ。ハハッ、残念でしたァってな!」
この部屋の鍵に、ハイドは登録されていない。厳密に言えばする必要がないのだ。カルデアが誇るコンピュータは、どう分析したのか彼らを同じ顔――同じ体なのだから当然だが――とみなしていた。もっとも、ハイドの部屋は別にきちんと用意してあるのだが。
それを利用して片割れの部屋へ侵入したハイドは、満足したのかどかりとソファーへ腰掛けようとした。
「あン? んだこれ――ハハッ、もしかしてあのクソジキルのチョコレートか?」
ハイドが腰掛ける前に、そこにはすでに先客――小さな箱がおいてあった。
この時期に箱といえば、チョコレートに直結する。緑のリボンのかけられた焦げ茶の箱は、自分にチョコレートが入っているということを誇示していた。
誰が宛てたのかは分からない。もしかしたらジキルが作ったものかもしれない。どちらであっても、ハイドの心はどうとも動かない。
だが、愛の証であるチョコレートというものが、ハイドにとって無性に堪らないものであったのだろう。
「へェ。俺様ちゃんがご丁寧に掃除してやってる間に、お前は三文芝居にかまけてるっつうことかよ」
くるり、と懐から取り出したナイフを回して憎々しげに呟いた。見開かれた瞳は、赤くどろどろに溶けていた。
さて、どんな風に二人の愛を切り刻んでやろう。そう舌なめずりしたハイドは、ヴィーナスの首でも手折ってやろうかという目付きで箱を見つめていた。
今にも箱を自慢の怪力でぶち壊そうとしていたが、しかしふとナイフを捨てた。その顔には先程までギラギラ輝いていた殺意はなく、おもしろかったチャンネルを替えられた子どものような顔をしていた。
そういえば今日、ジキルが職員と接触した覚えはない。とするならばこれはジキルが作ったものなのだろう。
そして、リボンの間に小さなカードが挟まっているのを彼は見つけた。カードには「いつもありがとう」と彼らの母国語で記されている。
普段の感謝をマスターに伝えようと奮起するサーヴァントの一員、とでも言うべきだろうか。大方その類だろうと見切りをつけたハイドは、急にやる気をなくしたように気怠げに体をソファーに転がした。
とどのつまりジキルを破局させたかっただけなのだこの男は。このチョコレートを壊しても、嘆くのはジキルのみだろう。マスターはきっと優しく慰める。
労力を割いた結果が親愛劇とは、お涙一つもいただけない。
「……めんどくせェ。どうせならオイシク頂いてやるか。ついでに文句も添えてなァ!」
自暴自棄になったのか、ハイドはペリペリと箱の個装を破った。中から出てきたチョコレートはとてもいい匂いがしたが、彼は胃が回るような感覚を覚えた。
「うげえ。ンだこれ。腐ってんじゃねエのか」
丁寧にカップに包まれていたのは、シンプルな薔薇の形をしたイチゴのチョコレート二つ。手のひらサイズに施された薔薇の彫刻が美しい……と鑑賞する暇もなく、彼は嫌悪を示した。
見た目は至って普通だったのだが、とっさに彼は鼻を摘んだ。
甘酸っぱい、チョコとも果実とも違う独特の匂いが漂う。それはちょうど、アーモンドのような臭いだった。
だがそれにハイドが気づいた様子はない。
「あンのジキル、まさかマスターちゃんに腐ったチョコレートでもあげようとしてたのかァ? カワイソウニ! 毒見役として食べやんよ。感謝しな!」
そう言ってハイドはチョコレートを二つ、その尖った歯で砕いた。
そこでようやっと気がついたのだろう。口に広がったのは、血濡れた苦扁桃のような味だった。
「……ッ!」
顔を蒼白に染めたハイドは絨毯にうずくまる。うえっと吐き出した透明の中で泳ぐチョコの残骸が嘲笑っていた。それを吐き出してしまうと、胃には何も残っておらず、痙攣させながら弱々しく空気を吐き出していた。
ぐりぐりと回る目玉は、在りし日を映し出していた。先程までぐらぐらと煮え立っていた殺気が煮えくり返り、血の登った頭はこの状況を理解するのに遅れてしまった。
あの良い子なジキルクンは悪趣味なことに俺様ちゃんにギフトを贈りやがった!
内心でそう毒気づく。もう何が混ざっているか分からない口内で唯一、あの厭味ったらしい味だけは自己を主張していた。きっとシアン化合物を模しているのだろう。なんと凄惨な味なのだろう!
死ね、と呪詛を吐きながら、彼はふと先程放り出した箱のほうに目をやった。衝動的に投げた為にこぼれ出た中身の中に、見覚えのないメッセージカードが混じっていた。
『アンハッピーバレンタイン。ミスター・パラケルススとの合作のチョコレートはどうだったかな。随分とこだわって作ったのだけれど、お気に召してくれたかな。毒ではないから安心してね。喜んでもらえると嬉しいよ』
書いているジキルの顔が、彼の頭に浮かんだ。悪戯っ子のような笑みに復讐してやると誓って、ふっと意識を手放した。
ギフトはどこかの国の言葉で毒という意味です。
リクエストの品。
リクエストの品。