片想い


「よおジキル! ちゃんと飲んでるか!」
「ちゃんとってなんだい、ちゃんとって! 君こそ飲み過ぎだよ!」
「細けえこたァ気にすんなって! ホラ、飲めよ!」

 むさ苦しいサークルの飲み会で、もみくちゃにされるように飲まされているヘンリー先輩は、困惑と疲労でぐったりとしていた。その原因は彼の隣でジョッキを振り回している、友人のモードレッドだ。彼女はこのサークルに所属していなかったはずだが……。

「クッ……飲むしか……ないのか?!」
「いやほら、飲めって言ってんだろ」

 結局押し負け、渋々ジョッキを手に取った彼の姿に、かわいいなと男性に対しては大分失礼な感想を抱いてしまった。

 いつも研究室にこもりっぱなしで、このサークルも頼まれたからという理由でリーダーをやっているらしい。半分飲みサーと化している天文サークルで、唯一計画性を持って行動しているのは彼ぐらいだ。
 パシっているような後ろめたさがあったせいで、気難しい先輩だと思いこんでいたけど、実はあまり話したことはなかったんだな。この人、結構かわいい。

 たまたま居合わせたモードレッドに絡まれて心底困った顔をしていたり、パラケルスス先輩に怪しげな実験をされかけたり(理系の怪しいサークルと掛け持ちしているらしい)、それをおちょくられて耳を真っ赤にしたり。
 プライベートだからと眼鏡を外した顔は、普段よりも幾分子供っぽく見える。モデルにスカウトされたという風の噂も納得できた。ちなみに研究があるからと断ったという噂も一緒に耳に入ってきた。先輩らしい。

 無理矢理モードレッドに飲まされた先輩は、ふらふらと机に突っ伏している真っ最中だ。いつも見られない一面というやつを見てしまった気分だ。
 じろじろ見るのは不躾すぎただろうか。彼がふとこちらを見た。慌てて目を逸らすと、視界の端で先輩が私に向かって微笑むのが見えた。自意識過剰かな? いや、視線をしっかりと合わせると、確かに彼は困ったように笑っていて、へにゃりと小声で囁いた。

「夜風に当たりに行かないかい?」

 居酒屋の外に出ると、都会の人工の光がきらきらと瞬いていた。電車の音が時折反響し遠ざかっていく。
 そういえばそろそろ終電も近かったはずだ。彼らはこのあとカラオケでオールと言っていたが、正直私はごめんだ。会費は払ってあるし、このまま帰ってしまおうか。基本出欠は取らないタイプの人達だから、案外明日にでも「カラオケ楽しかったな」なんて言われそうだ。
 天体観測をしたくて入った私にとっては、喧騒まみれ、時々罵声が飛び交う飲み会は地獄の底。そんな私に蜘蛛の糸を伸ばしてくれた先輩は、隣で何やらメールを打っていた。

 ……先程からずっと携帯をいじっている。先輩から誘ってくれたのに。それがどうしようもなくもやもやとした。私がぎゅっと先輩の腕に抱きつくと、彼はまんまるな目でこちらを見る。気持ち猫なで声で――そんな声は一度も出したことはなかったが――先輩と小さく呟いた。

「ちょっと酔っちゃったみたいで……。あの*一緒に帰りません? 終電ももうすぐで*」
「え? あ、ああ。そうだね。でも……」
「うふふ、せんぱ*い。いきましょう*」

 携帯をしまいそこね、先輩の両手は塞がってしまう。抵抗がないのをいいことに、ずるずると先輩を電車の音がする方角へ引っ張っていく。これじゃあ愛の逃避行だ。

 酩酊のフリをして千鳥足で歩くと、なんだか本当に酔ってしまったみたいな気分になる。
 私が完全に酔っていると思っているのだろう。実際には乾杯コールのあとに一口飲んだだけなんだけど。
 しばらくもたついていた先輩も、ため息を一つ吐き出して自分の足で歩き出す。私を気遣っているような仕草は後ろめたさがあったが、暖かかった。

「大丈夫、藤丸さん。歩けそう?」
「う*まだ……」
「分かった。転ばないようにね」

 先輩がだらりと垂れ下がった私の腕を持ち直すと、自然と体が密着する。ドキドキしているのは私だけだろうか。そうでなければいいのだけれど。
 無言のまま時間が過ぎていく。駅から一番近い居酒屋を選んだせいで、道のりはそう遠くなかった。駅はもう目の前で、都会の喧騒が夜空に混じってきた。

 ふと、なんとなく浮かんだ言葉が、雰囲気に流されて口から滑り落ちた。

「先輩って、カノジョいるんですか?」

 なんでそんなことを聞いてしまったんだ立香!!
 今すぐ頭を掻き毟ってしまいたい。穴があったら入りたい。これは不用意すぎた。知ってどうするんだ、失恋するだけなのに。

 しかし先輩は意外にも、真っ赤な顔で意味のなさない言葉を呆然と呟いていた。

「あっへっいやあ、あのねその……」
「――もしかして居ないとか」

 ビクッとわざとらしいほどに先輩の体が跳ね上がる。それを見てなんだから笑えてきてしまった。別に軽蔑とかではなくて、ただ微笑ましかっただけだ。うぶだなあ。
 よほど恥ずかしかったのか、顔を伏せてもじもじと恥ずかしそうにしている。小動物みたいだ。男の人に使う言葉ではないだろうけど。

 ふと、戸惑うように私を見たあとすぐ目を逸らすと、聞いてほしくないのかな?と思うぐらい小さな声で呟いた。

「実は片想いの人は居るんだ」

 例えば君とか。そんな幻聴が聞こえた気がした。

 そんなもしもを期待している自分を抑えこみ、ぎゅっと先輩の腕を強く抱き締める。すると先輩がこちらを見て笑うものだから、私の心は急上昇していった。
 
――でも昇るってことは、下り坂もあるわけで。

 ふと、目の前がキラリと光った。
 なんだろうと思う暇もなく、それは大きなエンジン音を響かせて姿を見せた。

「――ジキル? 何してんだお前」
「ああ……ハイド」

 えっと声を出す暇もなく、先輩の腕がするりと抱擁から抜け出していく。あまりにも素早いものだから、先輩が溶けて幽霊になったのかと思ったが、先輩が声の方向に駆け寄っただけだった。

 先輩の駆け寄った先には、先程近づいてきた黒塗りのバイクがあった。正確にはその上。バイクの上に跨っているハイドと呼ばれた男性は、先輩の知り合いのようだった。

 支えをなくし、呆然とミーアキャットみたいに立ち尽くしていると、ハイドさんにぐるりと赤い目を向けられた。彼は私を一瞥するなり嘲るように笑った。

「なあジキル、なにその女。すげーバカ面」
「なっちょっ! 先輩誰ですかコイツ!」

 ジャラジャラと耳にピアスを付け、透けた金髪をピョンピョンとハネさせたハイドさんは、私の顔を指さした。チャラすぎるとか、人を指してはいけませんと言った言葉を飲み込めず吐き出していると、先輩が困ったように間に割り込んだ。

「すまない藤丸さん。彼はその……」
「いいからジキル、早く行こうぜ。ホラ」
「えっ先輩、行くってどこに……」

 そう言って先輩の方を見ると、いつの間にか彼はヘルメットを被っていた。
 完全に先輩と一緒に駅まで行くつもりでいた。思わずこぼした言葉が、独占欲丸出しで鼻で笑ってしまいそうだ。

 彼も同じだったのだろう。先輩を後ろに乗せると、こちらをじいと見つめてきた。そして先輩の手を引き寄せて自分の体を掴ませると、見せつけるようにして笑った。

「ジキルくんは今からオレ様ちゃんと一緒に遊ぶんだよ。じゃあな芋女。高望みすんなよ」
「こら、ハイド。……すまないね藤丸さん。ちゃんと歩けるかい? それじゃあ」

 さようならと言う暇もなく、ランプとともに先輩は遠ざかっていった。先輩の耳が真っ赤に染まっていたのは、きっとお酒のせいではないはず。

 シンデレラの魔法のようだ。あの物語はお姫様と王子様は結ばれる。さしずめ私は魔法使いだろうか。
 なんだかバカバカしくなってきた。カラオケで叫びたい気分だ。時間を巻き戻すようにして、私は来た道を辿る。気がつくと、バイクのエンジン音が側から聞こえていた。


「ああ、先輩の片想い、叶ってると思いますよ」
ぐだ目線のハイジキを書こうとしたら、文がいろいろ拗れていった残骸です。
ハイドの行動はぐだがジキルに想いを寄せていることを気付いてのものです。



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スワンプマンの箱庭