お疲れ様です安室さん


 店のガラスから差し込む光はもう街灯の白い光のみで、どこか寂しく感じられた。時計の針も八時を指すか指さないか。もうすぐみたいバラエティ番組が始まる時間、そしてポアロの閉店時間だった。

 掃除をしに外に出ると、日中は嫌というほど暑かったのに、ガラッと模様替えしたように今は肌寒い。今日は薄い七分丈の服を着ていたせいで、余計に風が冷たく感じる。この時期は落ちる葉もないので、道端に落ちているちりを軽く取る程度にしようと、ささっと地面をはく。

 無音の夜空に、二階の事務所からのテレビの音だけが微かに流れていた。日中は賑やかな場所だけど、住宅街が近いせいか、夜はとても静かだ。
 静けさを自覚すると、この街にたった一人でいるような気分になる。うら寂しい気持ちになる前に早くお店の中に戻ろうと扉を開けると、スルッと暖かい物体が足の間をすり抜けていった。

「あっ! 大尉!」

 見覚えのある三毛猫模様は、いつも気まぐれにご飯をねだりに来る、大尉だった。私もついついかわいがってしまっているせいか、野良猫というよりは飼い猫に近い。

 人に慣れているし、この間病院に連れて行ったら、どうやら医療的な処置は全て済ませてあるらしく、その振る舞いからももしかしたら本当に飼い猫だったのかもしれない。誰かが探しているかもしれないという思いもあって、でも離れたくないという思いもあって、結局はポアロでお世話をしている。
 普段は三時のおやつに来ることが多いはずだけど、今はそういう気分なのかな。猫ってほら、気分屋だし。

 せっかく来てくれたんだから大尉のふわふわ毛並みを堪能しようとも思ったけど、その前に大尉を外へ連れ出すのが先だ。閉店したから多少は大目に見てもらえると思うけど、それでも飲食店に猫は論外だ。それも野良猫。衛生的にだめだと思う。猫アレルギーの人もいるわけだし。多分お風呂とか入ってないだろうし。

「こら〜大尉! お店の中に入っちゃだめでしょう!」

 猫が私の言葉を理解できるのかは別として、手でメガホンを作りながら、ふりふりと揺れる尻尾を求めて店内に入る。
 ぐるっと店内を見回してみて、あれ、と思った。なぜか目につく場所に、あのふわふわの毛が見当たらない。ほほうもしやかくれんぼかな。

「大尉ちゃ〜ん。どこに行ったのかな〜? 出ておいで〜」

 安室さんはさっきバックヤードに入ってそのままだったので、遠慮なく鼻歌を歌いながら大尉を探すことにした。さっき整えたばかりの机の下、椅子の下、白い食器が並ぶ食器棚、半開きになっているバックヤードの扉付近、……あれ。

「大尉? どこにいるの?」

 大尉がどこにもいない。キョロキョロと見回してみても、大尉の影はどこにもなかった。念の為外にも出てみたけど、毛玉一つも落ちてない。
 私の目を盗んで、スルッと帰って行っちゃったのかもしれない。本当に猫って気分屋なんだなあと思う。
 ふとポアロの窓を見て、自分がちりとりとほうきを持ったまま大尉を探していたことに気がついた。

「……なんだかアホみたいな格好だなあ」

 片手にちりとり、片手にほうき、極めつけはポアロの制服でもあるエプロン。これじゃあまるで清掃のおばちゃんみたい。そんな格好で鼻歌を歌いながら、居もしない猫を探す……ちょっと恥ずかしい。安室さんがいなくてよかったな。
 
 とりあえずこの清掃のおばちゃん装備を片付けて、私も帰るとしよう。特に急ぎの様はないから、のんびりとバックヤードの扉に向かう。
 半分開いていたその扉を開けると、なぜかそこには先程まで探し回っていた愛猫の姿があった。

「あら大尉、こんなところに……あれ?」

 大尉が居たのは、ロッカー室のベンチの上。彼は褐色の太い腕に捕まっていて、ゴロゴロと喉を鳴らしていた。

「安室さん……? 寝てるんですか?」

 壁に寄りかかるようにして安室さんは座っていた。
 大尉をその腕に抱えている彼の瞳は、まぶたで閉じられている。大尉の首周りを撫でる手はゆっくりだけど止まっていないから、多分起きてはいるのだろう。近づいて顔を覗き込んでも起きないし、よく見たら目の周りに酷い隈があったから、大分疲れているのだろう。

「ねえ大尉、もうちょっとだけそのままでいてあげて。疲れてるみたいだから」

 小声でそうお願いをすると、理解しているのかしていないのか分からないけどにゃーんと一鳴きした。そのままもぞもぞと身動きをして、安室さんの腕の中に潜り込むと、安室さんはすこし大尉を撫でる手を緩めた。
 安室さんを残したまま帰るわけにもいけないし、とりあえず彼の隣りに座ってみる。彼は本格的に眠りについたのか、寝息をスースーと立て始めた。

「それにしても、大変だったんですねえ。探偵のお仕事」

 安室さんがお疲れモードのときはよくあるが、ここまで目に見えて憔悴しているのは初めてだった。上の名探偵とどうしても比べてしまうせいで、探偵という職業を軽く見ていたが、とんでもなく大変なお仕事なのかもしれない。愛車や身なりから伺える裕福さは余裕のある生活のように見えるけど、その分お仕事を頑張っているんだろう。

 安室さんは時々胡散臭かったり意地悪だったりするけど、すごく真面目な人だから時々心配になる。
 探偵のお仕事もあるのに、ポアロの新作をどんどん作ったり、毛利さんのところに差し入れをしに行ったり、子ども相手にも丁寧に接客していたり。探偵の副業だからと誤魔化せないほど欠勤遅刻もあるけど、ちゃんと連絡をくれるしお詫びの品を持ってきてくれるし。
 どれもこれも完璧すぎて――、人間味がなくて心配になる。

「ちょっと休むぐらいがいいんです。私だってポアロの店員ですもの。今日のように無理しなくても、電話一つで済ませちゃっていいんですよ。ついつい遅刻欠勤に対して強く言っちゃうのは反省しています……。お仕事大変だったんですよね。よく頑張りました」

 よしよしと頭を撫でる。ちょっと子ども扱いすぎたかもしれない。でも安室さんの髪の撫で心地が気持ちが良いのが悪いんだと思う。

 安室さんの髪は多少ぱさついているけど、柔らかくて細い。まるで蜂蜜色の猫みたいだ。こういうのを確か猫毛って言うらしい。大尉と同時に撫でると、ふわふわが二つも楽しめて贅沢な気分になる。
 しばらく撫でたり髪をいじったりしていると、微かに吐息が乱れた。

「あ、起きますか?」
「ん――。あれ……僕どれぐらい寝てました?」
「ここに入ってすぐ寝たなら二十分ぐらいだと思いますよ。あとは帰るだけですのでごゆっくりどうぞ」

 流石に撫ですぎたか。安室さんはぐっと身動ぐと、金の睫毛を震わせた。
 寝起き特有の掠れた声が猫のように聞こえ、にやにやしていると、安室さんは気の抜けた表情で首を傾げた。

「もう少しゆっくりしていていいですよ。ホットミルクでもいれましょうか。この部屋寒いですし」

 お願いします、という声を聞くと、厨房へ向かう。牛乳を鍋にカップふたつ分入れ、火にかけると、甘い香りが漂い始めた。
ゆるい梓さんと終始寝てる安室さん。
ポアロの空気に絆されて気が緩む安室さんの頭をぽんぽんしてあげてほしいです。



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スワンプマンの箱庭