おさらの上の少女


 ぴりりりり――。
 スマートフォンから発せられる着信音が、仕事まみれののうみそに割り込んできた。その瞬間思考が現実に引き戻される。

 ずっと同じ姿勢だったからか、からだがかたい。腕をうしろで組んでのびをすると、僧帽筋がこわばっているのを感じる。パソコンの下部にあるディジタルとけいに目をやると、二時をまわった頃だった。我ながら不健康だ。
 ずっと鳴りっぱなしの着信音がみょうにうざったい。この時間帯だから、部下からの電話だろう。こういうとき、大抵予想というのは当たらないのだが。非情なことだ。

 スマートフォンを手に取ると、意外な人物の名前が表示されていた。とたんに、あたまがさあっと冷静になる。しまった、早くでなければいけなかった。ミスったな。嫌な汗が流れ、鎖骨へ伝った。

「もしもし、僕です。どうされましたか。ベルモット」
「あら。やけに緊張しているのね」
「そりゃあまあ。貴女がこの時間に電話をかけてくるなんて珍しいですから。なにか問題でもありました?」

 耳元で、鉛製の容器に入ったワインのような、甘く毒性のある女の声が聞こえる。ベルモットだ。
 この女は美容に気を使っているらしく、きほんてきに十一時以降に電話はかけてこない。だからいっそうなにか緊急事態かと勘繰ってしまう。ほら。たとえば、組織のネームドのバーボンが、じつは警察官だとか。そういう。
 さとられないように気をつけてはいたが、さすがに大女優には敵わなかった。

 さて相手はどうでるだろうか。さきほどまで作成していた書類を保存して、スピーカーむこうの声に神経を集中させる。かすかに息を吸う音が聞こえた。

「それで。なにか御用で」
「別に大した用事ではないから安心なさい。ねえバーボン。貴方、予定があいている日はないかしら」
「……はい? あいている日……? 貴女がそんなこと聞くんですか?」
「なによ。なにか問題でも?」

 大アリだよ。高飛車め。あたまをかきむしりたい衝動をぐっとこらえた。えらいぞ僕。
 この女は自分の都合となると好き勝手におしつけてくるのに、なぜ今日に限ってあいている日など聞くのだろうか。――そう。なにを隠そう、先ほど作成していた書類は、つい先日行われたばかりのテロについてのものだったのだ。もちろん公安も動いたものだから、汗が額をつうと伝う。ベルモットの声がやけに優しく聞こえてしまう。
 こたえあぐねていると、ため息が聞こえた。

「ねえ、空いている日はないの?」
「……はあ」
「だから……!」
「すみません、確認してきますね」

 いらだちが表れた態度に危機を察知し、一旦断りを入れて端末を机に置く。

 一体なんの冗談だ。まさか死刑宣告ではないだろうな? ありえるぞ。この女はジンほど短気じゃない代わりに人の死を彩ろうとする。余計なお世話だ。
 ベルモットのまっかな唇を思い浮かべてゾッとしていると、かすかに催促の言葉が聞こえた。あくまで主導権はこちらにあるような呼びかけに、いっそう気味悪さが増す。
 ……このまま機嫌を損ねて、という最悪の事態は避けたい。腹をくくって手帳をめくると、ちょうど明後日はポアロも公安も組織も入っていない日だった。

 答えるしかないだろうと、端末を手に取る。ようやく出た自分の声は随分震えて聞こえた。

「明後日なら、完全オフですが……」
「……へえ、そう。そうなのね」

 その言葉に続く台詞が死刑宣告だと身構えていたが、ベルモットの声には希望に満ちた喜色が滲んでいて拍子抜けする。
 そんなキャラだっただろうか。さっきまでの冷たい声はどうしたんだと動揺して、うっかり端末を取り落しそうになった。このやろう。
 変な汗をかいてワタワタしていると、「ちょっと……ちゃんと話聞いてるの?」と声が耳に流し込まれる。聞いてますよ。聞いているからこんなに慌てているんですって。

「――まあいいわ。それじゃあ明後日の午後一時、マンション前に来て頂戴。行き先はその時に伝えるから。ああ、ラフな格好でいいわ」
「はあ。かしこまりました。では……」
「ええ。Good night baby……」
 
 おやすみの挨拶を最後に電話が切れる。終了の表示を確認した途端、からだが糸の切れたマリオネットのように崩れた。予想以上に緊張していたらしい。こわばった肩が痛い。

 眉間をほぐしながら考える。あの女は一体なにを考えているのだろうかと。行き先は明後日に? どう心の準備をしていけばいいんだ。

「……寝よう」

 仕事の続きを進める気にもならない。
 力が抜けたせいか、瞼が重い。明後日のことは明後日に考えようと思考を放棄した。



 
 今日の僕は、おおよそ黒と名を冠する組織の幹部としては失格であろう服装をしていた。
 仕方がないのだ。バーボンとしての服は、町並みに馴染むようなものではないのだから。まあラフな格好と言っていたしいいだろう。
 それに仕事中は黒いライダースーツをこのんできている彼女は、私服は意外とパステルカラーだ。二人の服だけ見れば随分と春らしいカップルにでも見えるだろう。
 まあ僕の心情は真冬の吹雪よりも冷めきっているのだが。

 うでどけいは一時より数十分前の数字を指している。かなり時間に余裕があった。彼女はマイペースだが、良くも悪くも時間は守る人だ。きっと一時きっかりにくるのだろう。それまで昼寝でもしようかと座席を倒しあくびをしていると、コンコンと音が響いた。

「ハアイ。バァボン……いいえ、トオル。開けてもらっていいかしら」
 
 音の発生源である窓に目をやると、ニヤついた顔のベルモットが居た。あくびをしたところを見られていたのだろうか。

 ずいぶんとお早い登場だ。もしかしたらうたたねでもしてしまっていたか。
 とっさにとけいを確認したが、先程と同じ時間を指していた。……珍しいこともあるものだ。明日は槍でも降るのか? いや、血の雨か?

 外へ出てベルモットの側へ歩み寄る。頭のてっぺんから爪の先までを視界に収めて、こわばった肩の力を抜いた。

 彼女を彩るシフォン生地のブラウスと、プリーツがきれいについたロングスカートは、まるでたんぽぽのような色合いをしていた。
 組織の女としてはありえない、春らしい色をしていて安堵する。どうやら今日は本当に仕事ではないらしい。
 となるとなにが目的なのだろうか。この女は。警戒の意も込めて目を細め、じっとペリドットの瞳を見つめると、彼女は演技かかった動きで肩をすくめた。

「なによトオル。私が時間より早く来るのが珍しいかしら」
「ええ、まあ。貴女、時間を無駄にするのが嫌いみたいですし。それよりも、透って呼び方やめていだたけませんか」
「いいじゃない。警察の目があると厄介だから、私のことはベルとでも呼びなさい」
「……というと、本当に仕事じゃないんですね?」
「フフ。あら。言わなかったかしら?」

 言ってませんけど。と言おうとしたが、口を閉じる。会話していて気がついたが、なぜかこの女、やけに上機嫌だ。彼女の機嫌を損ねるのも面倒で従順に車のドアを開けると、面白くなさそうな顔をされた。

「行き先はどこですか」
「エエそうね……。米花駅周辺のパーキングエリアにでも、適当に停めてくれないかしら」
「おや? 貴女あまり歩きたがらないのに、珍しいですね」
「べつに。暇なだけよ」

 そういった彼女の足には、いつもの強気なハイヒールではなく、かわいらしいバレエシューズが履かされていた。歩きやすそうなそれはどうやら下ろしたてのようで、柔らかなパステルカラーには煤一つついていない。

 なんだろう。いつも黒色ばかり見慣れていたからとても調子が狂う。とてもおかしな気分だが……少しだけ心が弾んだ。

「それじゃあ行きましょうか? ベルお嬢様」
「ふふふ。ありがとう」

 ベルモットの手を取り車の助手席へ乗せると、自分は反対側に乗る。
 先程告げられた通り、駅周辺の駐車場に目星をつける。車の発進はこれ以上ないぐらいなめらかだった。



 軽やかなアコースティックギターがスピーカーから流れている。有名な曲のアレンジであろう音源は、耳の右から左へ通り過ぎていく。ささやか響く声は店内を少女色に彩っていて、だんだん居心地が悪くなってくる。
 うすい桜色と若葉色で飾られた店内で、僕の心情はどすぐろくくすんでいた。

 苦し紛れに仰いだ天井にはクラシカルな照明がぶら下がっていて、気分の悪さが3割増しになった。今すぐ帰ってハロとジョギングをしたあとに、久しぶりに牛丼を食べにいきたい。ネギ玉メガがいい。とにかく、おしゃれとは正反対に位置するものを掻き込んで、口の中の甘い唾液を拭い去ってしまいたい。
 だというのになぜ、こんなところに――ケーキバイキングなぞにだろうか。

「二名様でお待ちのアムロ様どうぞ*」

 店員のにこやかな声に名前を呼ばれ反射的に腰をあげたが、よくよく考えると違和感があり、目の前の女を睨みつける。

「ベル……なぜあなた……」
「あら、別にいいじゃない。私のファミリーネームを書くよりマシでしょう? それとも――コードネームがよかったかしら」

 からかうような表情を作る彼女にげんなりとさせられる。それなら僕も、ヴィンヤードとでも書いてやろうか。というか、自分がハリウッド女優であり、さらに国際的な犯罪者だという自覚があるのだろうか。彼女は。
 せめて顔を隠せ。顔を。周りからの視線が痛い。さいわい、ものすごい美人さん程度ですんでいるようだが。

「やめてください。それよりも、なぜこんなところに……」
「私が食べたかっただけ。なによ。なんでそんなに不機嫌なのよ。いけないかしら」
「別に不機嫌じゃありませんし……。それに、良ければこんな質問しませんよ」
「フッ。そう」

 不平不満を口にしたのに、鼻で笑われた。
 ゆらりとスカートをひるがえして、ベルは案内された席へ歩いていってしまう。その足取りが妙に浮足立っていて、さらに目元に皺が寄る。遠ざかる足音を追いかけようと踏み出せば、ベルモットがこちらを見て不敵に笑った。

 店員に案内された席は白く彩られたアンティーク調のセットで、さながら上流階級のティー・タイムを彷彿とさせた。
 僕が席へ向かっている間に、彼女はsjでにバイキング会場へと向かっていたので、おとなしく座って待つことにする。

 実はここのケーキバイキングに目をつけていたのは僕だ。と言っても、雑誌に印をつけた程度だから、どうやって彼女が知ったのかは分からないが。
 せっかく来るなら、こんな女とじゃなくてもっと――例えば、梓さんとか、毛利家とか、風見……はないな。組織とは無縁の人と来たかった。何かあるたびに銃を持ち出すような輩達と、ふわふわ甘いモノを食べるなんて冗談じゃない。

 あのセレブはケーキが食べ放題という売り文句に釣られたそうだが、その裏は計り知れないだろ。あの楽しげな顔だって演技かもしれない。そう警戒しながら食べるケーキの味なんて知れたもんじゃないな。

 しばらく待っていると、小皿にプチケーキをいくつか乗せてベルが戻ってきた。
 ミントの乗ったアプリコットタルト、いちごのムースにショートケーキ、オレンジソースのかかったチョコケーキ……あれはイチゴゼリーかラズベリーゼリーの類だろうか。見るだけで胃がもたれそうな量のケーキが、彼女の手元を飾っていた。

「随分と楽しそうですね。ベル」
「ええ。あなたもどう? 少しはその辛気臭い顔がマシになるかもよ」
「いえ……今はそういう気分では……」
「へえ、そう。なに。なによ。もったいないわね……」

 なんとなく気分が乗らない。そう意思表示をすると、ベルは若干苛立ちながら白いガーデンチェアーに腰を下ろした。
 
 きれいに彩られたお皿を前にしたベルはさながら映画のワンシーンのようであった。しかし、ブロンドの垣間にプライヴェートな表情が浮かんでいるのが見えた。それはまるで、少女のような楽しげな笑みで。
 こんな犯罪者でも女は女なのだろうかと。ふと湧いてきた気持ちにさして興味がないふりで、小さく切り取ったショートケーキのスポンジを口に運ぶ動作をただ眺めた。

 だから、見てしまったのだ。甘ったるい香りが漂うケーキを口に入れた瞬間、ゆるりとたれた目尻と口角を。
 最高級と称される三ツ星のディナーでも、ゼロがみっつもよっつも多いようなワインでも表情を変えないあの女が。誰が彼女がこんな色を浮かべると思うだろうか。有り体に言えばドキッとした。

 あれ、もしかして本当に彼女は、僕とでかけたかっただけなのだろうかと思うぐらいには、衝撃的だった。
 俗に言うアハ体験の映像のように、黒いスーツを纏った女がほろほろと崩れていく。ストレートの紅茶を飲んでいるはずなのに、砂糖が飽和しているのではないかというような甘ったるい味が口に広がった。

 糖分が脳までまわって、ふと目の前の彼女がたんぽぽのドレスを着ていたことを思い出した。そして、この日のためにおろしたであろうバレエシューズを履いていたことも。僕が、かってに勘違いしていただけだったか。

「――なによ。そんなほうけた顔をして。もしかして、みとれてた?」

 気がつけば、ベルが顔を覗き込んで胡乱げな目を向けている。それが今までとは別人のように見えて、こりゃあだめだと思った。

「そうかも……しれません……」
「え? ちょっと。おかしなこと言わないでちょうだい。気味が悪いわ」
「ええ……自分でもおかしいんじゃないかなって思ってます」

 まるで魔法にでもかかったみたい。そう言えば、ベルはいっそう愉快に笑うから、僕も自分の言ったことがだんだん恥ずかしくなって思わず声が漏れた。

 ひとしきり笑って息を整えると、ふいにベルが席を立った。よくよく時計を見ると、彼女はまだ一皿――僕に至っては何も食べていない――だというのに、大分時間が過ぎてしまっていた。
 聞けば世の中チョコケーキは元が取れるとか、ゼリーやプリンを先に食べるといいとか言う情報が飛び交っているのに、僕らときたら随分呑気だ。
 けれど、たまには食事中におしゃべりをしてのんびり過ごす時間があってもいいなんて思ってしまった。

「ねえトオル。私はケーキを取りに行くけれど……どうする?」
「ついていきますよ。こんなにたくさんケーキがあるんですから、しっかりと堪能しなくてはね。それに――」
「それに、料理の参考になる、かしら? 相変わらずだこと」
「あはは。よく分かりましたね」
「美味しくできたら食べさせて頂戴ね」

 そういうと、ベルはパチリとウインクをした。僕がふとした瞬間の気の抜けた表情が好きだって知ってるくせに、計算高い人だ。いや、計算ではないのかもしれない。だってこんなにも、あいらしい表情なのだから。ついつい自分が特別なのかもしれないってかんちがいしてしまう。ああ、うまいな。

 必要最低限の荷物だけポケットにつっこんで席を立つ。ならんでケーキのところまで歩いていって、ピカピカに磨かれたおさらを手にとった。
 隣をみると、白いおさらに照らされた彼女が、それに負けないぐらいの輝かしい表情でケーキをじっとみていた。

「ぜんぶ食べたいぐらいにかわいいわね」
「おや、大女優がそんなことをしても大丈夫ですか?」
「野暮なことをいわないで頂戴? ここはそういうことを気にしない場所なの。ああ、ねえほら、このカップケーキとかまるで誕生日ケーキのようで愛らしいじゃない」
「……そうですね。では僕も同じものを」

 まるで箱庭でもつくるようにして、ケーキをおさらに盛りつけていく。ついつい夢中になっておいていくと、まっしろな世界が一瞬でカラフルに染まった。
 ベルのおさらも、色とりどりのケーキで飾られていた。黒しかしらないようなのに、意外とたくさんの色を知っているんだな。彼女は。

 できあがったそれを机に運ぼうとしていると、ふとベルが足を止めた。

「ねえ、」
「なんです?」

 くるりと振り返ると、たからものを缶詰めにつめて眺めているような少女の目をしたベルが立っていた。なんて顔をしているんだろう。まるで僕が悪い男みたいじゃないか。

「たのしいわ。貴方がどうかは知らないけど」
「いいえ。僕もたのしいですよ」
「本当に?」
「本当に」

 そう返事をすると、ベルは一瞬気取ったような表情をして、すぐにそれは崩れた。ベルがかけよってきて、僕の隣に並ぶ。上目遣いに見られて、なぜか動揺してしまう。

「今日の貴方、バーボンじゃないみたい。まるでケンタッキーコーヒーよ」
「貴女こそ。たとえるなら……マンハッタン?」
「ええそうよ。だって今日はデートだもの」

 デート。彼女はそう言って笑った。その瞬間に耳のはじっこが熱くなる。それを見たのか見ていないのかは知らないが、からかうように僕の腕にすりよった。
 そういう、まるで僕を好意的に思っているようなことをするのはやめてほしい。だってたぶん、僕はかんちがいに気がついてしまうから。
 きれいに手入れされた髪の毛からはかすかにせっけんの香りがした。

デートだと浮かれているベルモットと、それに気が付かないバーボンの話。
一度くらいはデートしてるかわいいベルバボが書きたかったのですが、バーボンがかわいくないです。なぜでしょう。
ベルモットは一生懸命おしゃれして、バーボンの好み(ハニトラ紛いの仕事のときに「あの女、香水臭いし厚化粧で嫌だった……。僕は清楚な石鹸の香りが好きだ」とスコッチに愚痴っていたのを聞いた)に寄せようとしてます。



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スワンプマンの箱庭