花開く


「おお! みてみろよ花袋! 満開だなあ! やっぱり日本といったら桜だよな!」
「ああ。見事なもんだな……っておい独歩! 先行くなよ!」

 ひらりはらりと桜の雨がふる道を、独歩ふたりで歩く。花びらが絶えず視界で揺れるのは壮観だ。
 花見がしたいと言ったのは誰だったか。……たしか酒飲みたちだった気がする。まあ酒飲みたちが言いださなくとも、自然と花見会は開かれただろうけど。
 まあ気分が高揚するのも無理はない。何十年ぶりの桜なのだろうか。そう思うと、なんだか足取りが軽くなる。
  
 正面玄関から続く道は、もうすでに桜の川となっていた。はしゃいでいるのか、独歩はその川にまるで流されるかのようにゆらゆら遠ざかっていく。
 まるで子どもみたいだ。いつもは名は体を表すというのか、我が道を突っ走るやつだが、今日は別の意味で突っ走ってる気がする。

 ふと、曲がりみちに差し掛かったあたりでなにやら独歩が背伸びをした。独歩の顔の向きのほうへ目をやるとなにやら桃と白と緑で彩られた旗がゆれているのが見えた。

「……お、なあ花袋。あっちで白樺派のやつらが団子配ってるらしいぜ。俺たちも行って、全部かっさらっちまおうぜ!」
「おいおい、さっきと言ってることが違うぞ独歩! 花より団子かよ!」

 いえーい!なんてはしゃぎ声をあげると、旗を指差しながら顔を明るくする。鼻の先に団子をくくりつけられた独歩は、我先にとかけだした。

「お、おい待てよ!」

 独歩のジャケットがひらりと揺れたから、思わずその裾を掴む。反射的に行動したせいか、予想以上に強く引きすぎてしまった。
 その勢いで独歩がこちらを向いた瞬間、花びらがびゅうと空を切った。突風に煽られて、地面の花びらが竜巻のように舞い上がる。

 独歩の髪が、桜と一緒に踊る。
 風から守るために睫毛が揺れるのが、やけにはっきり見えた。髪と同じ色の睫毛が瞳を覆い隠すと、ツリメがちな目は嫌でもたれて見えた。
 やわらかい髪が逆立ったことでおでこと生え際が晒されていて、たまらなかった。
 あれ、こいつこんなに色素薄かったっけ。こんなに儚げな顔立ちだったっけ。あれれ。

「ん? おい、どうしたよ花袋くん。離してくれないか」

 独歩がなにやら言っているのが、耳のはしっこのほうで聞こえた。そんなことよりも、オレは目の前であざやかに蕾を開いた桜に夢中だった。

「桜に、」
「え?」
「桜に、攫われそう……」

 ふと口走ってしまった言葉に、独歩が一瞬喉仏を動かしたのが見えた。はあ?と言いたげなふまんげな口は、音を発さずにぽかんと開いたままだ。
 一息おいて、急に耳に音が入ってきた。よく聞けば、独歩の笑い声だった。

「ははは! アンタ、独歩さんがなんだって? 桜に攫われるだなんて。アンタ詩人にでもなったつもりか!」
「あ、いや、あはは」

 大口をあけて笑う独歩はもう、あの吹いたら消えてしまうような表情はすっかり消え去っていた。
 うんそうだよな。うんうんそれが独歩だな。そんなふうに流されようと、団子を求めて再び独歩についていく。

 でも、人の心の内を描くために鍛えられた俺の感覚、流されてはくれなかった。たしかにあのとき蕾を開いたのは――。
 横を歩く独歩の顔を見る。どう見たって男だ。だめだぜ田山花袋。おまえが一生を捧げたのは美少女だろう! うん、気のせいだ気のせい! ほらよく見ろよこの高飛車な顔! 大丈夫、大丈夫。

「どうした花袋。さっきからアンタ、俺の顔ばかり見ているが。なにかついてるか?」
「え、いや、なんでもないけど?」
「ふうん。まあいいが、アンタ変だぞ。桜に攫われそうなんて言い出すし」

 熱でもあるのか、なんて言って独歩がぐいと顔を近づけた。近い。近い。まつげの生え際まで見えた。
 独歩の澄んだ瞳の奥に、情けないオレの顔が映っている気がした。心の内を見透かされているようだ。思わずあごを両手で押し上げて目を逸らさせた。

「変じゃねえよ! ったく……早く行くんだろッ!」
「痛い痛い! は、ちょっと待てよ花袋!」

 急いで逃げ出すと、だんだん独歩の声が遠ざかっていく。
 そうだ。顔が赤いのは走ったからだ。けっして独歩が顔を近づけてきたからじゃない。違うからな!

 まがり道をまがって、その先をまっすぐ行って、坂を全速力でくだる。会場の活気を避けてはしっこの方で止まると、喉の奥で血の味がした。

「ハア、ハア……顔が赤いのは走ったから……息苦しいのも……胸が痛いのも……全部……」

 オレは一体何に言い訳しているのだろう。息を整えていると、だんだん虚しくなってきた。
 そういえば独歩はどこにいったか。もしかして、怒ってしまっただろうか。どうしよう。今から戻って、団子を食べて……。そうすれば、「なかったこと」になるだろうか。

 顔の熱さもだんだん引いてきて、息も整ったから、独歩を迎えに行こう。そう思って、顔を上げた。

「あ、」

 視線の先に、桜の木があった。桜並木なのだから当たり前だが、穏やかに散る桜を見て、オレは一瞬で独歩の顔を思い浮かべた。
 顔が再び熱くなる。もう言い訳なんてできなかった。

「ああ、どうしよう」

 目の前が桜色に染まっていくのが分かる。口に出すと余計に意識してしまって、もうだめだった。
 きっとオレは、あの瞬間、恋心を自覚したのだ。



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スワンプマンの箱庭