人魚姫は夢を見たのか
波風が彼の頬を撫で付ける。乾き切ってしまった瞳は、瞬き一つすることなく一点を見つめていた。
死者を表す冷淡な十字架。そこに名を刻むように佇む三角帽子と珊瑚の杖が、まるで卒塔婆のように揺れていた。
泡になって消えた人魚姫は、愛する国と自分を天秤にかけた。どちらが大事かなんて、彼女はわかりきっていたのだろう。
身の丈に合わない魔法を使いすぎたのだ、彼女は。そもそもこの国を一人で守りきるだなんてふざけたことを言ったものだ。
けれど彼女は挑んだ。守って、小さな泡になって、一つの花になってしまった。
他国との戦争があったのはほんの数ヶ月前。
彼女は王のいない国を守るため、魔力を全て使い果たしてしまった。魔力は無限ではない。表面上は回復するが、泉のように湧き出るわけでもないのだ。天才魔導師なのよ。と大きく胸を張って笑った彼女は、その有限の魔力を使い果たしてしまった。
彼女のおかげで、外交から王が駆けつけるまで国を保て、援軍も呼ぶことができた。けれど。
「なあ、本当にこれでよかったのかよ……バカ女……」
青と溶けるように混じる白の境界線が危うい。乾いた瞳から綺麗な涙が溢れでて、褐色の肌を伝った。
枯れて下を向いてしまった白い花がこう言うのだ。別にいいの、と。まるで現状に満足するように。水に絵の具を溶かしたように、濁ったガラス玉が海を見つめた。
まるでひとときの逢瀬を嘆くように、ひとつ、ひとつと海を零す。
「お前を守り続けると決めたのに、お前に負担ばっかかけて。守られてたのは結局俺じゃねえか……」
お前の代わりに国民を避難させて、お前の代わりに戦って、お前の代わりに俺がお前の闇を受け止めてあげられたなら。
お前が今も変わらない憎まれ口を叩いて隣にいるのだろうか?
「……じゃあな、また来るよ。最後に……知ってるか?俺らが生きている世界の他に合わせ鏡のように世界がたくさんあるんだとさ。なあ、もしかしたらその世界の中に」
俺とお前が、幸せな世界ってもんがあったりしねえかな?
小さく揺れる波が貝殻を運ぶ。
今日も世界は平和だ。一輪の花になってしまった彼女の隣で、彼は静かに涙を零すのだった。
いつか描いた未来がどこかにあるとしたら。
幸せな家庭を築いているのだろうか。
白い花が小さく笑ったような気がした。
古いのを発掘し、公開状態も非公開になっていたので、こちらにアップ。
ヤムライハが人魚姫になった話。
ヤムライハが人魚姫になった話。