漆黒の肖像画

 
キャンバスの上に筆を走らせて、絵を書いた。

記憶の中に残り続ける彼を描くのは、これで何度目だろう。キャンバスは、黒ばかりで埋まっていく。何度も描いている彼の記憶はこんなにもハッキリと残っているのに、もう会うことは叶わない。

(いつ、だっただろうか)

彼が、私の元を去ってしまったのは。私にはそれを引き止める術が無くて、彼は簡単に私の元を去っていってしまった。もしもあの時私が彼を引き止めていられたのなら、彼は私の隣にいてくれただろうか。こんなにも、彼の絵を描くことはなかったのだろうか。
キャンバスの中で立つ彼は、もういない。

「また、彼の絵を描いていたんですか」
「私の、勝手でしょう」

突然聞こえてきた声に、一瞬だけ私は筆を止める。けれどもすぐに動きを再開させて、キャンバスに黒を塗りつける。
私の何を気に入ったのかは知らないけれど、この優男はよくこうして私の家を訪れる。彼の絵しか置いていない私の部屋を見て、よく飽きもせずにいられるものだと思う。

「どうして、貴方はこの部屋に来るの?」
「どうして…ですか?」
「気持ち悪いでしょう。1人の男を描き続ける女の部屋だなんて」

黒を纏ったようなその男の絵を書き続ける私の部屋は、その男の似顔絵で埋もれている。記憶を手繰り寄せて描かれているそれらは、全て違う構図で。我ながらよくここまで飽きもしないでこの男の絵を描き続けられるものだと思う。

「一途で、いいんじゃないでしょうか」
「一途、ね」

私の中にある気持ちは、そんな綺麗なものなのだろうか。私があのとき彼を引き止めてさえいれば、彼は生きていてくれたかもしれないというのに。
彼のことが、好きだったかもしれない。私と彼は恋人と呼べるような関係ではなくて。セックスフレンドと呼ぶには慣れ合い過ぎた。甘い言葉を貰ったわけじゃない。けれど、ただ身体だけを求め合ったわけじゃない。すごく、曖昧な関係だった。それでも、最後に彼と会った時に私が彼を止めていられたのなら。

「最後に、何を言おうとしてたのかしらね」
「……私には、分かりませんね」

私に別れを告げた後。一度だけ私を振り返った彼。彼が最後に言おうとしていた言葉は、きっと私は知っていた。それに気付きたくなくて自分の気持ちでさえ隠してしまったけれど、多分ずっと前から知ってた。

「この部屋がキャンバスで埋もれるぐらいになったら、秀一は帰ってきてくれるかしら?」
「さぁ…どうでしょう」

黒で塗りたくられたキャンバスを見ながら、返事をした彼が口角を上げたような気がした。

2016.01.01