終われなかった世界で午前7時

 
―これを飲めば、あとは眠るだけだよ。

薬を渡されたときに言われた言葉を思い出して、なんとなく口角を上げる。薬を飲めば、あとは眠るだけ。ただ、それだけで私の身体は二度と目を覚まさなくなる。

(死ぬことは、怖くはないけれど)

ほんの少しの後悔はあるかもしれない。あの人が、秀一だったのかもしれない、ということに気付いてしまった、後悔。出会わなければよかった、というのはこういうことなのかもしれない。
あまり考えると、それこそこの薬を飲めなくなってしまう。そう思って、ペットボトルに手を伸ばした。そのとき。

「その薬…飲まないで、もらえますか?」
「え……?」

バンッ、と大きな音を立てて扉を開いて入ってきた男。それは、昨日会って、一夜を共にしたあの男で。走って来たのだろうか。少しだけ、肩で呼吸をしている。
はぁ、と彼が大きく息を吐いて、カツン、と足音を立てながら私に近付く。持っていた錠剤を反射的に握りしめるけれども、私の腕を掴んで無理矢理に手を開かせる。

「コレは、いただいても?」
「…出来れば、飲ませて欲しいのだけれど」
「私じゃ、駄目ですか」

私の腕を引いて、彼の腕の中に納まる。数時間前まで感じていた、彼の体温が私を包む。その暖かさに縋りつきたい衝動を抑えながら、彼の腕の中で身じろぐ。けれど、それを阻止するように腕の力を強められた。

「何で……そんなに私に構うの?」
「放っておけないと、思ったからです。もしも誰かに必要とされたいのなら、私が貴方を必要とします。寂しいというのなら、傍にいます」
「…ずるい、わね」

弱っているところに付け込んで、甘い言葉で誘惑する。秀でなければ駄目だと思っていたはずなのに、こんなにも簡単に、私は落ちる。ずるい、人。
目の前の男は腕の力を軽く緩めて、私の額にキスをする。子どもを、落ち着かせるように。

「ずるい、とは…よく言われますね」
「私、元の職場に辞表を置いて来たわよ?」
「上司の方は、確認をされたんですか?」
「さぁ?上司が帰った後に置いて来たもの」

出社してきたときは、大騒ぎだったんじゃないかしら?そう言えば、彼は時間を確認して口角を上げた。日本で朝だから、本部辺りは夕方だろうか。それならば、私が辞表を置いてまだ1日程度。

「独断でFBIだとバレないようにするために辞表を置いて日本に来たということにすればいいのでは?」
「ホントにそんなことしたらクビよ……って、え?」
「…何か?」

未だに私を腕の中に閉じ込めたままの彼を、見上げる。私は、彼に秀一の話はしたけれど仕事がFBIだということは一切言っていない。潜入捜査をすることがある以上、基本的にそういう話はしない方が何かあったときの為になると思っているからだ。会って間もない人間に、自らFBIだなんていうことは、まず無いのだ。

「私、貴方にFBIだなんて言ってないわよ…?」
「……そう、でしたかね」
「えぇ。だって、潜入とかの為に仕事が何かは言わないようにしてるもの」

嫌な予感が、した。ずっと、私が思っていたこと。彼が、秀一なんじゃないかということ。それが、私の中で確信へと変わっていく。そして、同時に私が言ったことはただの告白じゃないか、ということを思い出して彼の身体を押して無理矢理離れる。

「どうか、しましたか?」
「……帰ります」

意図してなかったとはいえ、告白したという事実に変わりは無い。飲もうとしていた錠剤だけは彼に押し付けて、立ち上がって荷物を手に取る。そのままいっそ本当にアメリカに帰ろうかと思いつつ歩こうとすると、フッ、と笑った彼が後ろから私の手を引いて引き寄せる。

「俺は、まだ告白の返事をしていないんだが?」

耳元で、秀一の声で囁かれた言葉。それは、私の嫌な予感が絶対的なものに変わって。
なんでこうもこの男は余裕があるのか。恥ずかしさと苛立ちを隠すように、私は彼にひじ打ちをした。
 

2015.08.15