恋人とぬいぐるみ

 
恋人である零がとある組織に潜入するようになった頃ぐらいから、連絡を取る頻度が減った。時には組織の人間として、時には公安の人間として動かねばならないからとてつもなく忙しいのは知っているし、私も同じ公安として働くだけに邪魔はしたくない。もし仮にそれで恋人としての情が無くなったとしても、零とはそれまでの関係だったということなのだろう。寂しいとは、思うけれど。
組織に入る前はよく零が私の家に泊まってたな、なんて昔のことを思い出しながら、随分とひとりの生活に慣れたものだと帰宅する。最近は探偵としても動き始めたらしいから零がまだ私を好きだと思ってくれているのなら少しは会えるかもしれないと思って無造作に靴を脱いだとき。

「ぬいっ、」
「……え?」

玄関にいた、小さな小さなぬいぐるみのようなそれ。零の姿によく似たその存在が、鳴いた。ぬいぐるみなのに鳴けるのか、とか。なんでぬいぐるみが動いてるんだ、とか。どこかから電池でも入ってるのだろうか、とか。そんなことが頭をぐるぐると回って、けれど目の前の小さな零に似たぬいぐるみはただ私に手を伸ばして鳴いている。

「ぬいっ、ぬい!」
「えーっと……はい?」
「ぬい!」

犬にお手でもさせるかのように手を差し出せば、ぬいぬいと鳴き続けるぬいぐるみがよじよじと手に乗って私の手に擦り寄る。表情は変わらないけれど少しだけ嬉しそうな気がするのは、気のせいなのか。

「……飼うか」

あまりにも零に似ているし、このまま外に放り出しのも怖い。ぬいぐるみが何故動くのかとかそういう現象は置いておくとして、やけに私に懐いているところを見ると余計に手放しにくい。

「ぬい?」

ペットとして扱っていいのかは分からないけれど、目の前で首を傾げるこの生き物は可愛い。普通の犬や猫を飼うのと違って、ぬいぐるみならばそこまで手もかからないだろう。そう思いながら飼うことを決めた。

 + + +

「ぬいっ!」

ぱしぱし、と足を軽く叩かれてぬいを見れば、その手には何本かの花。外に出て、摘んできてくれたのだろうか。ぬいの身長の低さのせいで傘のようになってしまっている花を受け取って、反対の手にぬいを乗せる。そのままロッククライミングでもするようによじよじと腕を登って、肩の上に落ち着く。私の肩がぬいの定位置のようだ。

「ありがとう。花瓶に入れようね」
「ぬい」

どこから外に出ているのか、という問題とかもあるけれど、ときどきこうして外に出て私の為に花を持って帰ってくる。いつも枯れて着始めた頃に持って来るから、ちゃんとそういうのを見て取りに行ってくれているらしい。

「そういえば、零に花なんて貰ったことなかったなぁ…」

花瓶に花を活けながら、小さく呟く。元々あまり多くの物を残せない立場だからだろうか。零に貰ったものは少ないし、私も同じように零にあげたものは少ない。
ぬいは私の方へと手を伸ばし、どうしたのかと手を差し出せば私の手に乗って頬へと擦り寄る。慰めるようなその仕草に思わず頬を緩めてぬいの頭を撫でれば、嬉しそうに小さく鳴く。

「大丈夫だよ、フラれたらぬいに慰めてもらうから」
「ぬいっ!」

元カレに似たぬいぐるみに慰めてもらうというのもなかなかに凄い光景かもしれないけれど、これはこれで有りかもしれない。フラれなくても、自然消滅スレスレなのはちょっとある気がするけれど。

「零とダメになったらもう私ぬいに乗り換えるしかないかなー」
「ぬい!ぬいぬいっ!」
「ふふふっ、零とダメになったらね?」
「ぬい!」

いつでも乗り換えていいよ、とでも言うように嬉しそうにするぬいの頭を撫でる。零はこんなに好き好きしてくることはないから新鮮だし、素直に嬉しい。ダメだとは分かっているけれど、いっそ安室透に近づいてみようか。そんなことを考えながらぬいの頭を撫でながら頬をつついたりして遊んでいると、ふいに玄関が開く音がした。

「……零?」
「ぬい…?」

動きの止まった私を見てか、ぬいが不思議そうに首を傾げる。とりあえずぬいを肩に乗せて玄関に向かえばそこにいたのは案の定零で、少し気まずそうに私の顔を見ながら久しぶり、と呟いた。

「どうしたの、いきなり…」
「あー……その、だな」
「何よ、歯切れ悪い」
「うるさい。名前に聞きたいことが……」

相変わらずな口の悪さだな、と思いながら零を見ていると、零が私の肩を凝視しながら言葉を止める。そういえば私もここ一年ぐらいまともに会ってなかったわけだしぬいと会うのは初めてだっけ、と思いながらぬいを見ればぬいはぬいで戦うつもりなのかと言いたくなるように構えていた。

「肩のそれ、何だ…?」
「えーっと…ぬい?」
「ぬい、って……最近仕事が終わるなり早々に帰ってたのはコレがいるからか?」
「そうだね、ペットみたいなものだし」

零はじっと私の顔を見て、安心したようにその場にしゃがみ込んで大きく息を吐く。一体何がどうしたというのか、視線を合わせる為に私もその零に尋ねれば風見が最近ずっとお前が仕事終わって早々に帰るようになったって風見が言ってたから愛想尽かされたかと思った、と。

「私は自然消滅したか考え始めてたけどね」
「そんなことっ……あるな。同じ仕事をしてるから、なんて言い訳だ」
「まぁホントに自然消滅したなって思ったらぬいに乗り換えようと思ってたけど」
「はっ…!?」

未だに戦闘態勢なぬいの頭を撫でてやれば、小さな手を伸ばして私にぴったりとくっ付く。甘えたいのか、と反対の手に乗せて頬を撫でてやればすりすりとその指に擦り寄るのは小動物を連想させる。

「何で、それは動いてるんだ…」
「さぁ。でも零に似てるし可愛いからいいかなって」

零にフラれたらこっちに乗り換えるよ。私がそう言うのとほぼ同時に零にぬいを撫でていた方の腕を掴まれて、少しムッとした表情で私を見る。突然の零の行動に私も零の顔を見返せば、零の顔が近づいて私の唇に触れた。ぬいっ、とぬいの驚く声が聞こえたけれど、私からすればそれどころじゃない。前にこうして触れられたのは、それこそ一年以上は前だ。

「いきなり、何よ…」
「俺は、まだ名前が好きだ」
「…そう、」
「まだ俺は、名前を恋人だと思ってもいいか?」

捨てられた子犬のように私を見るその視線に、ドキリと胸が脈打つ。昔から私はその視線に弱くて、ついつい許してしまいそうになる。

「ぬいっ!!」
「わっ……え、ぬい?」

ぬいはよっぽど零のことが気に入らないのか、拳を向けて零を威嚇する。零がじっとぬいのことを見て、手を差し出せばぱしぱしとぬいは零の手を叩いた。痛くは無さそうだけれど、ぬいぐるみなのに随分といい音がしている。

「名前は、ぬいの方がいいか?」
「え?」
「確かにぬいなら傍にいてやれるし、こうやって一年近くまともに会えない俺よりはずっといいだろ」

まさか本気で言っているのか、と零を見れば、零はぬいに叩かれながら少しだけ拗ねたように私から視線を逸らす。確かにぬいからアプローチのようなことをされるのは可愛いし純粋に嬉しいけれど、それとこれは別だ。

「ふふふっ、零はヤキモチ焼きだね」
「…悪いか、」
「まだ零が私のことを好きでいてくれてるって思うと、嬉しいよ」

ぬいのアプローチも勿論嬉しいけれど。そう言いながらぬいの頭を撫でればぬいは私に甘えて、それを見た零が私を抱き寄せてキスをする。そうすれば、またぬいが威嚇を始めて。

「二人共、ヤキモチ焼きだねぇ」
「名前のぬいでも作るか…」
「動くとも思えないんだけど」
「動かなくても、威嚇されなければいい」

いつか本気で作り始めそうだな、と思いつつ私から零の頬にキスをすれば、やけに驚いた顔で私をまじまじと見て息を吐きながら抱き寄せる。甘えるように私の肩に頭を乗せて、ぬいからの攻撃を受けつつもぎゅっと抱きしめられた。

「これからは、もう少し頻繁に会えるようにする」
「そうじゃなきゃ、ぬいに取られちゃうもんね?」
「頼むから、俺のものでいてくれ」
「善処します」

痛いぐらいに腕の力が強まるのは零も寂しかったからなのか、それともぬいに対しての対抗心なのか。ぬいが少し不満気に小さく鳴いたけれど、私もこの状態が嬉しいから少しだけ我慢してもらおう。そんなことを考えながら、ぬいの頭を撫でた。

2016.09.16