嫉妬と欲望

 
「ちょっと聞いてくださいよ安室さん!」
「僕仕事中なんですけど」
「今お客さん私だけ!大丈夫!」
「まぁ、いいですけどね…」

ポアロのカウンター越しに仕事をしている安室さんに声をかけると、呆れるように返事をされた。いやでも今の私の興奮は伝えずにはいられない。安室さんも確かにお客さんは私一人だしいいか、と判断したのか手を止めて私の前に立った。

「さっき歩道橋から落ちかけたんですけど、」
「またですか」
「うっ…。でも!助けてくれた人がいて!」
「名前さんちょっと1回落ちた方がもう落ちなくなるんじゃないんですか?」
「否定はしません……」

ザクザクと突き刺さるような言葉を放つ安室さんに、むぅ、と少しだけ唇を尖らせる。私と安室さんの出会いも、私が歩道橋の階段から落ちかけたところを近くにいた安室さんが腕を掴んで食い止めてくれたことだった。その日の夕方、たまたまポアロに来たら歩道橋で助けてくれた男の人が仕事をしていて話すようになったのが仲良くなったきっかけ。

「で、その助けてくれた人がどうしたんですか?」
「すっごくカッコ良かったんです!」
「へぇ?」

安室さんの視線が、突然冷たいものに変わる。だからどうした、とでも言うような視線。けれど、少しばかり興奮していた私はお構いなしに続ける。

「見た目はインドア系なんですけど、引き寄せられたら思いのほか身体はがっしりしてて!ギャップっていうんですかね?きゅんってしちゃうような…!」
「連絡先でも、交換したんですか?」
「したいな、とは思いましたけど…!でもそこでしたら私なんか狙ったみたいじゃないですか!」

はぁ、と呆れたように安室さんが息を吐く。安室さんもカッコいいとは思うけれど、また違う顔の整い方だった。落ち着いた感じがまた良かった。
安室さんはあまりそれが気に入らないのか少しだけ不機嫌そうに私の顔を見る。そして、カウンターの向こう側から手を伸ばして、私の頬に触れた。

「安室さん?」
「もう少し、危機感持ってくれませんかね…」
「危機感?」
「えぇ。例えば……」

安室さんが、私の座っている席の近くにあったメニューを取って私の顔の左側でそれを広げた。私がその広げられたメニューの方を見た瞬間、私の頬に触れていた手が無理矢理安室さんの方を向かせて。

「…こんな風に、されますよ?」

一瞬、だった。何をされたのかを理解するより先に、目の前に安室さんの笑った顔があって。安室さんは、何もなかったかのようにメニューを元の位置に戻して。
一瞬の唇の温もりを確認するように、指先で唇に触れる。確かに、ここに、安室さんの唇が触れた。ホントに一瞬だったけれど、確かに。

「今日は夕方で上がれるんで、そのときにでも少し話しましょうか」

安室さんの言葉に、私は何も言葉を発することが出来なくて。ただひたすらに首を縦に動かした。

 + + +

安室さんの言っていた時間よりも少しだけ早くポアロに着いてしまった。普段なら中で何か注文して頼むのだけれど、昼間のことがあっただけに安室さんと顔を合わせにくい。とりあえず外で待とうかな、と携帯を見ながらそう思ったとき、突然声をかけられる。

「あ、昼間の…!」
「あれから、階段から落ちたりしていませんか?」
「大丈夫です!昼間は有り難うございました。友人には、落ちた方がもう落ちなくなるんじゃないかって言われちゃいましたけど」
「そんなによく落ちるんですか…」
「まぁ、それなりに……」

運良く助けてもらえることもあるけれど、実際に落ちたことも何回かある。後はもう何もないとこでいきなりコケたりとか。足元をよく見ていないで歩いていることがよく分かる。
そんなことを昼間助けてくれた男の人と話していると、ふいにポアロの扉が開く。私が出てくる人を避けようと後ろを振り返ると、そこにいたのは安室さんで。

「お、お疲れ様です…?」
「……すみません、彼女借りますね」
「構いませんよ。少し、話をしていただけですから」

ぐい、と安室さんに腕を引かれて、私が言葉を発する前にそのまま歩き始める。話していた人に少しだけ頭を下げて、私の腕を掴んだまま歩く安室さんに必死で着いて行く。安室さんは何も言わないまま私の腕を引っ張って行って、連れて行かれた先は車。多分、安室さんの。

「あ、の…安室さん?」
「座って、」

車の鍵を開けて、助手席に座るように促される。何か抵抗をするもの怖くてそのまま座れば、安室さんは反対側の運転席に座った。そして。

「っ、んん!」

運転席から腕が伸びてきたと思うと同時に突然塞がれた唇。あまりに突然すぎて一瞬何が起きたかわからなくて、けれど気づいた瞬間に離れようと身体を動かすけれど、安室さんは私の後頭部を押さえて離れることは叶わなかった。

「っ、ん……安室、さ…ぁ、ん!」

酸素を求めるように少しだけ開いた唇に、舌を入れられる。慣れたように口の中を動く舌に、私の身体が震える。恋人でも無いのに、なんでいきなり。そう思うのに、口にすることは出来なくて。安室さんの身体を押してもビクともしなくて、私はされるがままに安室さんを受け入れる。

「はっ……どうします?逃げますか?」
「逃げる、って……言ったら、腕、離してくれるの…?」
「嫌です」

ちゅ、と触れるだけのキスを安室さんがする。前に恋人がいたことはあるけれど、ここ暫くはそんな人いなかった。久しぶりの感覚にどうしていいかわからずにいると、安室さんが私の身体を引き寄せた。

「期待、してもいいですか」
「え?」
「触れても、怒らないことに。本当は、僕にこんなことをする権利は無いんですが…今日会ったばかりのあの男よりかは、好かれていると」

耳元で、囁くように言われる。その言葉に、ドキリと胸が高鳴るのが分かる。これは、そういうことでいいのだろうか。私の方こそ、期待していいのだろうか。

「安室、さん、」
「何ですか?」
「私の方こそ、期待してもいいんですか…」

ぎゅっと彼の服を握って、安室さんに尋ねる。キスする行為の意味が、分からないほど子どもじゃない。けれど、何も言ってくれない安室さんの気持ちがそうなのかは分からなくて。

「好きですよ。だから、嫉妬しました」
「う……ぁ、そんな、さらっと…」
「本当のことですから。出来れば、もっとしたいんですけど」

私が答えを言うよりも早く、キスをされる。さっきまでのと荒々しいのと違う、少しだけ優しいキス。でも、結局は徐々に激しくなって。車の中で人に見られるかもしれない、ということも忘れて、私はその熱に溺れていく。

「は、ぁ…待って…、」
「僕としては、まだ足りません」
「ど、どうしろと……」

安室さんの身体が離れて、ちゃんと運転席に座る。そしてハンドルの上に組んだ腕と顔を乗せて口角を上げる。私もきちんと座り直して安室さんを見て、この人に触れられていたのかと思うと顔に熱が集まるのが分かった。

「送り狼に、なってもいいですか?」

いつものように笑いながら問う彼に、私はただコクリと首を縦に振った。

2016.05.25