鏡が繋いだ世界

 
新しい姿見を買った。アンティーク系な姿見は、実際に量産されたようなものではなくて一点ものらしい。少し怪しげな店の人が言っていたのを思い出しながら梱包を外して部屋に置く。

「前の鏡は変な割れ方したんだよねー…」

別に倒れさせてしまったとかそういうわけでもないのに突然に割れてかなり驚いた。鏡の近くにいなかったことが、せめてもの救いだろうか。片付けはちょっと大変だったけれど怪我はしなかった。今度は長持ちしてくれよ、と指先を鏡の表面に滑らせた瞬間。

「きゃっ……!」

スッ、とまるで触れるのを待っていたと言わんばかりに鏡が映像に切り替わる。映像、なのだろうか。鏡が映し出しているのは真っ昼間の私の部屋とは対象的に薄暗い。テレビか何か組み込まれているのか、と我ながらアホらしいことを考えて鏡の裏を見てみるけれど特にコードが伸びているわけでもなく、そもそも私はこの鏡とコンセントを繋げたりはしていない。果たして私は何を買ったのか。映像のようなものが表示されている鏡を見ても特に変化は無くて、向こうには人はいないのかもしれない。

(買ったときレシート貰わなかったんだよなぁ…)

レシートが無い以上は返品も出来ないだろうか。映像なのか、それとも向こうにも人がいるのか。そう思いつつまじまじと鏡を見ていると、カツン、と確実に私の家の中からではない足音が聞こえてきた。カツン、カツン、と徐々に聞こえてくる足音に息を呑んで、どこか映画でも見ているような気分だ。

「赤髪の、男の人…?」

映像は人物にだけ白いモヤがかかったようにハッキリと見えないけれど、薄暗い中でも目立つ髪色に首を傾げる。身長が高く見えるその姿は、髪が長く見えるけれど恐らくは男性だろう。ただ、その人は真っ直ぐにこちらを見ていて心臓が跳ね上がるような気がした。もしかして、繋がっているのだろうか。

「貴方は、誰なの」

鏡に向かって話しかけるとは、なんて変な光景だろうか。それでも何故か鏡の向こうに人がいるような気がして、声をかけた。瞬間、鏡の向こうにいる人は足の向きを変えてこちらに向かい、私に向けて手を伸ばす。けれど、向こうにも鏡のようなものはあるのだろうか。ホラー映画のように人が出てくるなんてことはなかった。

「そこに、誰かいるのか」

聞こえてきた低い声はそれが男の人だと認識するのには十分で、けれど緊張からだろうか。ひゅっ、と息を飲む音がやけに耳に響いた気がした。鏡がどこかに繋がっている、なんてどんな安っぽい映画だろうか。ドキドキと胸が音を立てるのを感じながら鏡の表面をなぞれば、向こうの彼が気のせいか、と小さく呟くのが聞こえてハッと我に返る。

「貴方は誰?そこにいるの?」
「人、か…?女か、そこにいるのは」
「男の声に聞こえるなら、病院に行った方が良いんじゃない?」

ふっ、と彼の言葉に思わず笑みが漏れる。さすがに立ちっぱなしで鏡を見るのもな、と思い近くにあったクッションを引き寄せて鏡の前に座る。顔はハッキリと見えないけれど、鏡を通して向こう側にいる彼のシルエットは分かる。鍛えられているのであろう身体は、少しだけ関心するものがあった。

「貴方の名前は?」
「……紅孩児。お前は、人間か?」
「犬にでも見えた?」

はぁ、と向こうで息を吐くのが聞こえた。少しだけからかいすぎただろうか。ふふっ、と少しだけ笑って謝罪と名前を告げれば覚えるように私の名前を呼んだ。ドサリ、と音がして鏡を見れば彼も同じように鏡の前に座ったらしい。

「紅孩児は、いつもその暗いところにいるの?」
「ずっといるわけじゃない」
「ふふっ。その場所、ちょっと物語の中みたいでドキドキしそう」

薄暗くて、何か機械のようなものがところどころに見える。どこか映画の中の世界のように見えるそこにいる彼は、どんな人なのだろうか。あまり深く触れるには私と彼は出会ったばかりで、またここが彼のもとに繋がるなんて保証は無いけれど聞けずに他愛もない話をする。名前からして日本人ではなさそうだし、言葉が通じるだけ奇跡だろう。
暫くそこで二人で話して、ふいにどこからか紅孩児が呼ばれる声がする。どうやら人に呼ばれたらしく、彼はすぐに行くと返事をしてこちらに視線を向けた。

「……また、ここに来たら話せるか?」
「さぁ。ここが紅孩児と繋がれば話せるんじゃないかな」

コンコン、とノックをするように鏡を叩く。ほとんど顔は見えないというのに一瞬だけ彼の表情が和らいだ気がしたのは、気の所為だろうか。

 + + +

鏡に指先で触れて、向こう側と繋ぐ。初めて紅に会ったあの日からどちらからともなく時間があるときにこうして画面を繋げて話す。相手が都合よく向こう側にいるかはほぼ賭けなのだけれど、一番最初と同じぐらいの時間帯に繋ぐからか繋げたものの相手がいなかった、というのは少ない。もしかしたら向こうは何回かあるのかもそれないけれど、生憎それは聞いたことが無いので分からないが。

「……紅?」

確かに目の前に彼がいるのに、彼は黙ったままこちらを見ていた。疲れているのだろうか、と声をかけようとしたのと同時に彼に私の名前を呼ばれて返事をすれば、声に元気はない。元々落ち着いた声ではあるのだけれど、少しだけ違和感がある、というのが正しいのだろうか。

「紅、何かあった?」
「いや……、少し疲れただけだ」
「そう……?何か体力的にっていうよりは精神的に……?」

無茶したらダメだよ、と鏡の向こうにいる紅に言う。紅が指先で鏡に触れて、それに合わせるように私が手を重ねる。刹那。

「えっ、?」

何が、起きたのか。スゥ、と指先が吸い込まれるように鏡の中に入って、指先が何かに触れる。それが何なのか理解するよりも先に手を掴まれ引かれて、私の身体は鏡の中に入っていく。鏡にぶつかる、と思ってぎゅっと目を閉じたけどぶつかることなんかなくて、何かが一瞬身体をなぞるように潜り抜けて軽く何かにぶつかってようやく瞼を開ける。

「成程、こうすればよかったのか」
「っ、紅、」

鏡越しに聞く少しだけ籠ったような声じゃなくて、鮮明な声。初めて見る、紅の顔。瞬間、ゾクリと背中が震えるのを感じた。何故だろうか、何度も話している人な筈なのに、私の中の何かが逃げろと言っている。

「名前、」

紅が、私の名前を呼ぶ。何度も聞いた優しい声色なのに、何かがおかしい。何か、じゃない。人と同じ姿をしているのに、紅の姿は少しだけ私の知る人間と違う。長い耳に、長い爪。人じゃ、ないのだろうか。

「俺は、お前を帰すつもりはないからな」

紅の身体を推しても、ビクともせずに彼は少しだけ口角を上げる。そうだ、なんで私こっちに来れたんだろう。そう思って後ろを振り返ってもそこにあるのは普通の鏡になっていて、私と紅が話をするのに繋げていたことがウソのようだ。

「ここにいてくれ、」

紅が、独り言のように私の耳元で囁く。痛いぐらいに抱き寄せられるその腕の中で、私は何故か震えていた。

2017.04.21