金色に雫が滲む
金曜日。沖矢さんが秀一さんに戻る日。毎週末、有希子さんが日本の訪れて変装のチェックをしている。…日本とアメリカを行ったり来たりでそろそろ有希子さんの日付感覚が大丈夫なのかが心配だ。
どうしても有希子さんは普段は中々会うことが出来ないし、ときどき私が秀一さんに変装をさせて出来栄えをチェックしてもらうこともあった。
いろいろと言ったけれどようするに数少ない秀一さんと会える日でもあるわけで、いつもより少しばかりテンションが高いのは仕方のない事だろう。沖矢さんは家にいるのだろうか、と曲がり角を曲がった瞬間。
「っ!」
曲がり角の先にいたのは、沖矢さんと見知らぬ女性。沖矢さんはこちらに背を向けて、女性となにやら話している。何故か近付いてはいけない気がして、2人からは姿が見えないように一歩踏み出した脚を曲がり角の手前まで戻す。
(大学の人、なのかな……)
余り行く回数は多くないのだろうけれど、大学院生を名乗る以上は言っているのだろう。だから、大学の人の可能性だってある。
確かに私と沖矢さんはあくまで友達で。恋人じゃないのだから、沖矢さんが私以外の女の人といるのは自由だ。
(気には、なるのだけれど…)
沖矢さんとは友達だけれど、秀一さんとは一応恋人で。好きな人に女の人が寄っててお好きな様にどうぞ、なんて許せる程私の心は広くない。
何を話しているのだろうか、と少し様子を見るために曲がり角から少しだけ顔を出す。
そこにいたのは、その女性とキスをする沖矢さん。
(さすがに、コレはちょっと…)
ショックが、思っていたよりも大きい。曲がり角の手前で、崩れるようにその場にしゃがみ込んだ。
本当に、それこそ沖矢さんが他の女性と何をするかは沖矢さんの自由だ。私との関係をカモフラージュするために、そういうことをしたのかもしれない。それでも、中身は秀一さんだって知ってるから。
じわりと視界がにじむのを感じながら息を吐く。確かに私の中身は秀一さんと変わりない年齢でも今の見た目は未成年で。それで秀一さんが悩んでることもあるって知ってて。だったら、私なんかよりも年が近くていい人は周りにいっぱいいるだろう。
「名前、姉ちゃん…?」
ふいにかけられた声に、堪えていたものが溢れだした。
+ + +
「で、泣いたと」
「まぁ…ソウデスネ」
「あの人に限ってそれはないだろ……」
場所は変わり、私の家。目の前に座るコナン君が息を吐きながら言った。胡座で頬杖をつくその姿は呆れているように見える。さすがに少しばかりまじめに聞いて欲しいところもあるのでちょっとだけ意地悪でもしてみようか。そう思って、軽くコナン君の胸元を掴む。
「考えてみなよ。もし毛利さんが新出先生とキスしてるの」
「何で新出先生なんだよ…」
「一緒に劇する予定の仲だったし何かあるならそこかなと」
そうかよ、とだけ小さく呟きながらコナン君が私の胸元を掴んでいた手を離す。あまり、効果はなかったらしい。
それとも想像力が足りないのだろうか。
「言ってしまえば、沖矢さんが何をしていようと自由なんだけどね」
「……沖矢さんは、な」
「アレが秀一さんとしてだったら、ちょっと立ち直れないなぁ…」
もし。もしも、秀一さんがあの女の人に本気なのだと言うのなら、私は彼の元を黙って去るのだけれど。最後くらい、いい人だったと彼にそう思ってほしいから。記憶に、とどめてほしいから。
「いっそ、私もコナン君と浮気でもしようかな」
「おい」
「冗談だよ。するなら、相手が居ない人にでもしておく」
へらっと笑ってコナン君に言う。上手く、笑えているのだろうか。
ただ、この世界でこんな冗談が通じる男友達なんて総司ぐらいなのだけれど。同姓ではあるけれど、真純も乗ってはくれそうだ。
コナン君が不意に立ち上がって、私に背中を向けて座り直す。
「オメーは、深く考え過ぎだっての」
「そう?」
「それが赤井さんにしろ沖矢さんにしろ、そういう人じゃないだろ」
「そう、なんだけど、ね」
明美さんには、勝てないから。そういうと、コナンくんが息を呑むのが分かった。後ろからコナン君の肩に額を置いて、顔を隠すようにしながら息を吐く。
「コナン君、」
「……見てねぇよ。ついでに暫聞こえねぇようにしててやるから」
「っ…ん、」
コナン君はテーブルに置いていたヘッドフォンを携帯に繋げてそれを付ける。私のものではあるけれど、この際貸しておくことにしよう。
溢れるソレをそのままに、コナン君の服を握りしめた。
+ + +
誰かの話し声で、目を覚ます。頭の奥底に鈍痛のようなものを感じるのは、泣きすぎたせいなのだろうか。ソファーに転がっていた体を起こせば、私に気付いたコナン君が私の声をかけた。
「目、覚めたんだな」
「……とんだご迷惑を」
「別にいいけど、あとは本人で話し合えばいいんじゃねぇの?」
「へ?」
どういうこと、とコナン君に聞こうとするも、コナン君は私に軽く手を振ってリビングを出る。それと同時に入れ替わるように、沖矢さんが入ってきた。どうして沖矢さんがここにいるのか、コナン君が話しているのか、何が起こったのか分からなくて戸惑っていると、私の方へと沖矢さんが近付いてきて、ソファーの前に跪いて私の頬へと触れた。
「泣いた、のか」
数日ぶりに聞く、秀一さんの声。秀一さんの指が、私の目尻をなぞる。先程の光景を思い出して、ビクリと身体が揺れた。秀一さんに触れられたいのに、触れられたくない。相反する気持ちが、私の中に渦巻く。
「泣くな」
「っ、」
頬を、涙が伝う。秀一さんの手を取って引き離そうと試みるけれども、それは叶わなくて。何かあったのか、と尋ねられるも秀一さんには言えなくて黙って首を横に振る。目を合わせるのが怖くて下を向いていると、秀一さんの手が動く。
後になって気付いたのだけれど、恐らく秀一さんはこのとき私を落ち着かせてくれようとしたのだと思う。でも、このときの私は近づく秀一さんの身体が怖くて。
――パシンッ
「っ、あ…」
反射的に動いた私の身体。自分がなにをしたのか理解するのと同時に、しまった、という後悔でいっぱいになる。秀一さんも自身の身に何が起こったのかが分かっていなかったらしく、一拍置いて驚いたように私を見た。
「ごめ、なさ…」
秀一さんの頬を叩いた手が、じんわりと熱を持つ。どうしていいか分からないでいると、さらに涙が溢れてきて。
はぁ、と秀一さんが小さく息を吐くのに、ビクリと身体が震える。呆れられたのだろうか。そんなことさえ思う余裕なんてなくて。ソファーの前に跪いていた秀一さんが、ソファーに対して横向きに座り、そのまま私を強引に引き寄せる。
何が起きたのか分からなくて私が顔を上げようとすると、上げるなというように自身の胸板へと私を押し付けた。そのまま子どもをあやすように、秀一さんの手が優しく私の頭を撫でる。
「何か、あったか?」
「……沖矢さん、が」
ぽつり、と小さな声で呟く。ゆっくりでいい、と言われたのに甘えて、少し間を開けて秀一さんの服をぎゅっと掴んで再度口を開く。
「女の人と、ね…キス、してるの…」
「……アレを、見たのか」
一瞬だけ、秀一さんの手の動きが止まった。私が小さくうなずけば、強く抱きしめられる。
「すまない、嫌な勘違いをさせたな」
頭を撫でられるのを感じながら、首を左右に振る。秀一さんに、謝罪をしてもらいたいわけじゃない。むしろ、悪いのは私。
「沖矢さんは、私と付き合ってるわけじゃないから、女の人といても、いいのに」
「俺も、沖矢も、お前しか見ていないんだがな」
「でも、私がこんなんじゃいけないのに……」
あくまで私と沖矢さんは友人関係で。他の人の目を欺くためには、沖矢さんが誰といようと、何をしていようと、平然を保たなければいけないのだ。私はあくまで秀一さんの恋人なのだから。
「いっそ、沖矢を利用すればいい」
「利用……?」
「赤井秀一がいなくなって傷心しているときに自身に好意を寄せる沖矢が現れた。その居心地の良さに甘えているとでも言えばいい」
「…ずるい」
そうやって、秀一さんは私を甘やかす。いっぱい甘やかして、私が逃げないようにするように。
「私、秀一さんに甘えてばっかりだよ」
「俺が、甘やかしてるからな」
くしゃりと頭を撫でられて、秀一さんが変声機のスイッチを入れる。まるで、もう沖矢でもいいだろうというように。
「それと、1つ訂正しておきましょう。アレ、キスはしてませんよ」
「…してないの?」
「向こうも本当にするつもりはありませんでしたし、私もギリギリのところで貴方ではないと気付いたので」
貴方ではない、という言葉に首を傾げる。確かに私ではない人であったけれど、そんなに似ていたのだろうか。
「有希子さんが、貴方に変装していたんですよ」
髪型も、服も、名前がよくするものでしょう?と言われて、あのときの女性を思い出す。確かに髪型も私がよくしているもので、服装も似たような系統の服だった。じゃあ、有希子さんが変装している別人でも沖矢さんが気付くかどうか試した、ということなのだろう。
相手が全く予想していない人だった為、羞恥から沖矢さんの胸に顔を埋める。
「すっごい恥ずかしい……。思いっきり泣いたじゃないですか…」
「あまり私の前では泣いてくれないので、新鮮でしたよ」
楽しそうに笑う彼を前に、どうあがいても私はこの人には勝てないのだと再認識した。