そして夏が終わる



……蝉の音がする。




いつも手向ける花束は今日は少しだけ豪華で、いつもは閑散として寂しく並んでいる石造の墓たちはどこも色で溢れていた。
むせ返るような線香の煙と、それに少し入り混じる虫除けスプレーの匂い。それらで肺を満たしながら、目の前に眠るかつての同胞に水をかける。

ここのところ、特に暑い。

独り言なのか、はたまた話しかけているのか。自分でも分からない言葉達を、ただ胸の中で羅列する。
既に沢山の人が墓参りに来たのだろう、四ヶ所ある竹筒は、既に摘まれたばかりのような鮮やかな花達で彩られていた。
墓地には幾分似合わない向日葵が、綺麗に咲き誇っている。そういえば彼は向日葵がよく似合う男だったのを思い出して、ああ、帰ってきているのかなと呆然と思った。

線香の煙が青い空へと立ち上っていく。
りんを一回鳴らすと、コーンという高いのに深い鐘の音がすうっと耳に入って、心の息を鎮める。
辺りは蝉の声がわんわんと反響して五月蝿いのに、なぜかとても静かだった。

そっちでは元気でやってますか。
先立って逝った同胞達には無事会えてますか。
まさかそっちに行ってもすぐに喧嘩売ってないでしょうね。せめてあの世でくらいは穏やかに過ごしてほしいと思います。まあでも、楽しく過ごせているなら、それはそれでいいか。
私は元気でやっています。
毎日徹夜続きで思ったより早くそちらに逝ってしまうかも知れないけれど、ああでも降谷一人を残してはいけないから、多分まだまだ先になるなあ。
降谷も相変わらずの仕事ぶりだけど、あの人はあの人なりに元気でやってるから、降谷のことは心配しないで、任せてね。
きっと絶対、寿命以外ではそっちには行かせないから。

「宮瀬、」

聞き慣れた声が耳を掠める。「…降谷、」灰色のスーツを身に纏い仏花を抱える降谷の姿があった。久しぶりに見た彼の"降谷零"としての姿に吃驚しつつも、しかしそれが危険だということを彼が一番に分かっている筈だった。

「大丈夫なの」

かつての同僚の墓参り。
それは、自らが警察関係者だと示しているようなもので。
降谷はその意味を汲み取りつつも、私の問いかけに反応しなかった。

「もう花がいっぱいだな」

降谷は苦笑しながら試行錯誤して花を竹筒へと活ける。線香の包み紙を開けながら、「俺が来る必要もなかったか」と独り言のように呟いた。

「…そうだね、降谷が危険を顧みてまで来て欲しいとは、彼らも思わないだろうけど」

降谷が私の言葉に苦笑する。「…手厳しいな」彼の言葉に私は呆れの意味を込めて一つ息をついた。「それに降谷の分も私が墓参りしてるし」降谷は驚いたように私を見る。

「まあでも、嬉しいんじゃないかな、きっと」

本人から声を聞いた方が、萩原も松田も伊達も、スコッチも。

降谷は一瞬目を見開いて息を飲んだが、すぐに目尻を下げてフッと笑みを漏らした。その顔は暫く見てなかった降谷の本当に気が抜けた笑顔で、私も思わず息を飲む。

降谷がりんを鳴らして合掌した。何を語りかけているのか、斜め後ろから降谷の後ろ姿をぼうっと見つめていると、降谷が終わったようで立ち上がって私を見た。その瞬間目が合ってしまって、じっと見つめていたように思われるかもと変に焦った私は、さり気なく視線を逸らしつつも気を紛らわすように質問する。

「何、話したの」
「宮瀬こそ、何話したんだ?」
「…え、聞く?」
「聞くってお前、自分から聞いたんだろ」

まさかのおうむ返しに少し口ごもる。

「うーん、元気ですか、とか、そっちで喧嘩してないですか、とか」
「はは、確かにあいつらは手が出るの早かったからな」
「あいつらはって、降谷もでしょう」
「そういうお前もな。いつだったか、俺らの喧嘩止める為に松田を投げ飛ばした時あったろ」
「えー、嘘だ。そんなことあったっけ?」
「あったあった。結構な取っ組み合いで周りも手が付けられなくて…教官呼ぶかって話までなってたんだけど」

降谷が車で来たと言うので、駐車場の方へ向かう。「宮瀬は?車?」「私はバス」「ちょうど良かった。送ってく」大丈夫だと断る前に荷物を奪われて、助手席を開けられる。
穏やかな笑みを浮かべてるものだから、私も何だかこのまま話したい気がして素直に車に乗り込んだ。

「お前が急に飛び出して来た時は俺らも吃驚したよ。思わず全員で目を合わせて大人しくなってさ。後から寮に戻って皆で大爆笑」
「あー、あったかも。てかあの時も私必死だったんだけど。急に殴り合い始めるし、しかもどっちも知り合いだし。教官呼ばれる前に何とかしなきゃと思って……何であんな喧嘩してたの?」
「それは、あいつがお前を……」

運転する降谷が急に黙り始めた。
「私?」聞き返すと降谷はどこか歯切れが悪そうに「あー、その、なんだ」と濁すので、余計気になってくる。

「何?私が原因で喧嘩してたの?」

少し身を乗り出して降谷の顔を覗き込むと、降谷はバツが悪そうに私を見て、急にわしゃわしゃと私の髪をかきみだした。「わ!ちょっと!」降谷を睨みつけるも、運転してるため私の視線には気付いてないようだ。はあ、と私はため息を吐くと、暫く車内に沈黙が宿った。

「……ところで、降谷は何を話したの?」
「まだ聞くか」
「だって私だけ話されて不公平じゃない」

降谷に目を合わせないままそう言うと、「拗ねてんのか?」と質問が帰って来た。別に拗ねてないし。

「まあ、色々だよ。元気でやってるかとか、煙草はそこそこにしとけよとか」
「…私ら揃いも揃ってお母さんか」

私が思わず笑いを漏らすと、降谷も釣られて笑い出した。「あいつらどうしてっかな」「お酒と煙草と……喧嘩?」「それは警察としてどうなんだ」「引退したと思って案外自由に過ごしてるんじゃない?」「それもそうだな」他愛ない会話が車内を流れていく。その様子が、私の心を温かいもので満たした。
今まで死者を思い出す度に、どうしても虚しくて悲しい気持ちと言うのはやってきた。しかしどうして、今は彼らの思い出を楽しかったと穏やかな気持ちで語らうことが出来ている。
自分が死んだら、泣き顔より笑う顔を思い出して欲しい。
どこかのフィクションで使い回されたような台詞が頭をよぎった。まあ、松田達の場合はいつも笑っていたけれど。

「ああ、あともう一つ約束してきたな」
「約束?」
「宮瀬」

車はいつの間にか私の自宅に着いている。
降谷はシートベルトを少し緩めると、私の方へ手を伸ばした。降谷の手が髪を梳いて頬を包む。思っていたよりもずっと大きくて暖かくて、ゴツゴツした男の手だと思った。
真っ直ぐに、少しだけ熱のこもったアイスブルーの瞳から目が離せない。

「俺は決してお前を一人にしない。お前だけは守る。何があっても、この命に」

思わず降谷にキスをした。

「その先は言わないで」

降谷の瞳が大きく見開かれる。

「お前、今…、」
「実は私も、約束したの。降谷を一人残して逝きはしないって。降谷のことも、寿命以外で死なせはしないって。だから、」

降谷の瞳が僅かに揺れる。
私は瞬きすら忘れてしまうほど、その瞳に魅入っていた。

「貴方に命をかけさせはしない。貴方の為に死にもしない」

そもそも、降谷に守られるほど弱くないし、私。
そう私が言い終わるか否かのところで、降谷に思い切り抱き締められる。「うっ」あまりに勢いの良いものだから、思わず変な声が出てしまった。降谷は耳元でフッと笑いつつも、私を抱き締める手は緩めない。

「全くお前ってやつは…、」
「降谷?」

降谷は私の肩口に顔を埋めながら、大きく深呼吸する。それが少し恥ずかしくて、汗の匂いとか線香の匂いとか、大丈夫かなと不安になったけれど、降谷が私の存在を確かめるような抱き締めるものだから、私も小さく抱き返した。

暫くしてどちらともなく離れた私たちは、お互い黙ったまま車に座り続けている。「宮瀬、お前顔真っ赤だな」「う、うるさい」いきなり抱きついてくる降谷が悪いのだ。そういうのに免疫がないものだからしょうがない。じゃあ何でキスしたんだと言われたけれど、それは降谷を黙らせるために、何となく、そう、何も考えてなくて。
思い出してみるみる赤くなる私に、降谷がくつくつと笑いを噛み締める。はあ、と恥ずかしさにため息をつく。何だかもう、面目が立たない。「もう帰るね、送ってくれてありがと」私がシートベルトを外してドアを開けて片足を地面につけたところで、「なあ、宮瀬、」と降谷に呼び止められ、帰りかけの足を止めた。


「俺たち結婚しようか」

「…はあっ!?」




そして夏が終わる




(早くあいつらくっつかねえかな)
(どーだろうなぁ、どっちも仕事人間だし)
(まあ、あの世でじっくり観察するとするか)