09.神の見えざる手

「えっ!!有希子さんって、あの藤峰有希子さんですか!?」

 有希子さん宅にお世話になってから数分。会話の断片から得た、あの頃はお互い大変だったとか、女優賞の奪い合いをした思い出だとかを聞いてるうちに私は重大な事実に気付いてしまった。

「えっあの、うわどうしよう、えっと、握手を、あっあっサイン!」
「ちょっと優美あんた落ち着きなさい」
「だ、だって…!私芸能人会ったことなくて…!」
「は?」

 お母さんに睨まれてぎょっとする。そうでした今隣にいる私のお母さんは世間を騒がせる超が付くほどの大女優でした…。いやだって身内はノーカウントというか…。そりゃ芸能人の娘だから撮影現場とか見学に行けないわけでもないけど、「撮影現場」って響きがもうフラグじゃん?その響きがもう芸能関係者を誰かしらあの世に送ってしまうじゃん?と、いうことで徹底的に同行拒否。さらばイケメン俳優…いくらミーハーでも自分の命には変えられぬよ。だからまさかこんな大女優を垣間見ることがあるとは思わなかった訳で。

「感動して泣きそう…」
「あら、こんな可愛いファンがいるなんて、私もまだまだ捨てたもんじゃないわね」

 有希子さんはどこか得意そうに顔を綻ばせる。いやまさか幼稚園時代の時から成人済みの精神があって、有希子さん出演の恋愛ドラマの再放送を楽しみに見ていたとかは口が裂けても言えないけれども。さすがにおか○さんといっしょを見ながら歌って踊るのは苦痛でしかなかったんだ…。でもあれ、そう言えば有希子さんは結婚を機に寿退職したような。

「それにしてもゆっきーに日本で会えるなんてね。まさか一人で帰ってきたわけ?」
「やだ、一人な訳ないじゃない!ほら、優作さんの作品が映画化されるじゃない?今はその試写会イベントに出席するために日本に帰ってきてるのよ。もう少しで優作さんも帰宅すると思うけど…、」
「ゆ、優作って、あの工藤優作…!?先生!?」

 あまりの衝撃さに本当に泣きそうになった。

「嘘…、」

 ミステリー作家で有名な工藤優作が藤峰有希子の夫だなんて。
 私がそれを読んだのはアメリカにいた時だが、日本人作家にも関わらず英語のセンスが抜群で、文章の中に巧妙に散りばめられた伏線だったり情景描写の独特な鮮やかさだったり、またミステリー小説ながらも、主人公の頭脳を使いながらの戦闘シーンや脱出劇、時折混じる恋愛描写が(〜以下割愛〜)本当に目を惹く作品だったのだ。読めば読むほど新たな気付きもあり、飽きることを感じさせない。まあ、つまるところ超のつく大ファンなのである。勿論原本をハードカバーで買いました。
 もしかしたら会えるかもしれないという期待と、いや旦那さんが帰ってくるなら夕飯の用意もしなきゃだし早く帰らなきゃという二つの思いがせめぎ合う。帰らなきゃ、いやでも…!

 ガチャッ

 ファッ!?!?!?!?

「あら、優作さんおかえりなさぁいっ!」

玄関が開いた。そう、玄関が開いた。だから玄関が開いてたウォォオ!?!?有希子さんがパタパタと玄関へ向かっていったのを確認して、え、待って、待って、待っ

「有希子、お客様でもいらっしゃるのか?」
「そうなの、今紹介するわね!私のデビュー当時からの親友親子……って優美ちゃん!?大丈夫!?」

 優作さンンンンンン!!!!流石有名作家、もう声がイケメンだし雰囲気がイケメンだしもう何も言うことはない。顔は残念ながら何故か歪んでる視界で分からないけれど、心の目が果てしないイケメンだと断言している。歪んだ視界をどうにかしようと目を擦ったら、大量の水分が目から流れ落ちていた。
 あまりの神々しさに無意識のうちに感涙したらしい。流石すぎる…。

「いや、あの、まさか原作者様に会えると思ってなくて」

 ウッウッと引きつった声を上げながらそう伝えると、工藤夫妻はキョトンとした顔で見合ってから再び私を見て、朗らかに微笑んだ。あっハイ死ねってことですねありがとうございます。ああもう昔から大ファンの女優と作家のほんわかツーショットとか尊すぎますええ。…今なら多分、きっと空すら羽ばたける気がする。実際怪盗キッドが空を飛んでいるので強ちあり得なくもないなと思ったのは取り消した。

「この子、昔からホラーとかスプラッターとか、推理小説ばっか好むのよ」
「ちょ、う、うるさいお母さん…」

 誤解のないように言っておくが、元からホラーもグロもミステリーも全く趣味じゃない。寧ろ苦手なため前世ではことごとく避けてきた。

 が、全てはフラグのためである。
 もう一度言う、全てはフラグのためである。

 小説あるある、映画あるあるのフラグ行動を熟知すれば、自ずと自分がフラグ行動をすることを回避できる…はず、と思って、夜な夜な悲鳴を上げ号泣しながら参考(ここ重要)にしたのだ。例えば、ガス欠が起きたときに近くの町や建物に寄らない。怪奇現象が起こったとき真っ先に逃げない。地元の人間の言うことは聞く。集団行動の際に一番後ろは避ける。「すぐに戻る」と言わない。相手の気を失わせたら安心せずトドメをしっかり打つ。フラグは決して立てない。
 ……いや一番最後のは当たり前か。ってそうじゃなくて!つまりはいつ何時、いかなる場合でも生存ルートを確保するために日々精進している訳だ……変にホラーとグロ耐性が付いてしまったのは想定外であるが(今では肉料理食べながら平然と見れるようになってしまった)。別に自ら好んで見てるわけじゃない。

 …のだが、やはりそこはかの工藤優作、彼の小説はどこぞのB級映画や薄っぺらいミステリー小説よりもかなり世界観が作り込まれており、ホラーやミステリー以外のヒューマンドラマ要素や乙女心を擽る恋愛シーンなど…え?さっきも同じようなこと言ってた?これ2回目?君は何も分かっていない。いいか!工藤優作の素晴らしさを二回聞いただけで分かるわけな(〜以下割愛〜)。

「ほう、君のような可憐なお嬢さんに僕の小説を気に入って貰えたなんて光栄だよ」
「か、可憐なお嬢さんだなんてそんな……」

 ンア゛――――!!(汚い低音)イケメンダンディな工藤優作に、いや工藤優作先生に可憐だなんて言われてしまった!!!(満更でもない)だめだこれ死ねるやつですわ。はあ、私もついにコナンの世界線の餌食になってしまったか……今頃画面上では私の下に【宮瀬優美(16)】というテロップが流れているに違いない。今なら死んでもいい…いや駄目だせめて死ぬ前に感想だけでも言わなければ死ねない。

「あの、短編の「休暇」、とても面白かったです!まさか友人の台詞の“absence with leave” =AWL(休暇)が凶器に使われた“awl” (千枚通し・キリ)を仄めかしてたなんて!工藤先生の語学力には脱帽です」

 工藤先生が目を見開いて私を見た。なんか気に触ったことを言ってしまったのだろうか。ああ、だからあれほど口は災いの元って学んだのに、私って奴は学習しない。少し後悔しながら俯くと、工藤先生が驚いたように口を開いた。

「その伏線は原作では言及しなかったものだね?」
「ええ、と…すみません、ま、間違えてました、か…?」
「いや、当たってるよ。君は私の小説を原本で?」
「は、はい…」

 工藤先生がふむ、と少し考える動作をとる。もう〜〜本当イケメンだよ〜〜もう〜〜。

「失礼、高校はどこに?」
「?帝丹高校です」
「ほう、なら話が早いな。君、バイトとして私の助手になる気はないかい?」
「エッはい!!!え!?!?」

 勢いで思わず頷いてしまった。この人は今なんだって??ん??????後ろの方では有希子さんとお母さんが「良かったわねー」なんて談笑してる。待て待て待て、え???待って、え???全く理解が追いつかない。全くだ。

「ずっと助手欲しいって言ってもんね!それに良かったわ、優美ちゃんみたいな可愛い子なら大歓迎よ(はあと)」
「こちらこそありがたいわ。うちの子ったらいっつも書斎引きこもってるかトレーニングしてるかのどちらかだもの。この機会に色々教えてやってちょうだい」

 私は悟った。これが四面楚歌…!(違う)
 でもまあいいか。てか寧ろ飛んで喜ぶレベルの話だ。だって工藤優作さんの助手って、助手って…!原作の裏側が分かるファンなら誰もが喜ぶポジション。ヨッシャ引き受けるなら全力で取り組むぜ!

 しかしアニメをたまに見るぐらいしかコナンの知識がない私は知らなかったのだ――

 ――彼らがあの事件ホイホイ(江戸川コナン=工藤新一)の両親だということに――――



つづく。(しんどい)