3.5話 降谷零とのフラグ

それはいつも通り徹夜続きの勤務を終えた日のことだった。警察庁警備局警備企画課所属・降谷零は愛車のRX-7を自宅へと向け走らせている途中、女子中学生とすれ違った。車と歩行者のためすれ違ったのは一瞬だが、降谷はその数秒で得た情報を整理する。彼女は新入生で、部活には所属していない。空手をやっていて、今は恐らく道場の帰りだろう。
職業柄もそうだが、昔から頭の回転と観察眼が鋭い彼は、もはや無意識に周りのことを推理してしまう傾向があった。
ーーー一方すれ違った優美は、通り過ぎた車がマツダの既に生産廃止されたモデル、高級で希少種のRX-7に乗っている運転者が、ガングロに金髪の不良高校生だと思い、ひとりドン引きしていた。

降谷が特に気にも止めず車を道沿いに走らせていると、今度は公園で不良が屯しているところを見かけた。
いつも通りなら無視して通り過ぎるところだが、生憎降谷は中学生の男の子がリンチされていることに気付いてしまった。
自分は公安だ、日本の安全は守らなければならないーーそう正義を掲げた彼は、特に急ぐ用もなかったので車をすぐ近くに路上駐車した。本来なら路駐を取り締まるべき側だが、生憎自分の業務ではないし、背に腹はかえられない。急ぎ足で公園へ向かうと、遠目に先ほど通り過ぎた少女が公園へと向かっていくのが見えた。彼女を止めようとする前に、優美はその集団に声をかけてしまう。


「あの、何してるんですか?」
「あ?……ってなーんだ、かわい子ちゃんじゃん。何、コイツの知り合い?こんな奴ほっといて俺らと遊ばない?」
「知り合いではありませんが、見過ごせません。集団リンチですよね?警察呼びますよ」


ほう、と降谷は感心した。彼女はリンチされている男の子を助けようと、恐らく自らこの状況へ足を踏み入れたようだった。不良なんて怖いだろうに、優美の振る舞いは堂々としていて、余裕さえ感じる。降谷は思わず感心したが、しかし相手は男子高校生5人だ。まず女子中学生が敵う相手ではない。その無謀さにはやはり幼さが見える。
案の定、彼らは気分を害したように声を低く唸らせた。


「…チッ、あのさあ…君、自分の状況分かってる?口の聞き方には気をつけろよ…じゃないと…コイツみたいになるぜ?」


こういう相手は挑発してはいけないのだが、彼女の言葉から出たのは悲鳴でも謝罪でもなく、挑発だった。


「忠告ありがとうございます。でも、そうなるのはあなたたちですよ」


男たちが激昂して彼女に掴みかかる。しかし降谷がやばい、と止めに入るより前に、優美は素早く男の掴んでいる腕と肩を掴み、腰を低くして男を綺麗に背負い投げた。受け身の取れない身体は硬い砂の地面へと打ち付けられる。それを皮切りに始まった男子高校生の集団暴力を、優美はいとも簡単に受け流してこめかみやや鳩尾に蹴りや拳を入れていく。

彼女の戦いはめちゃくちゃだった。
柔道のような投げ技をしたかと思えば、空手のように蹴りを入れ、拳法のように掌で顎を打ち、ボクシングのようにジャブやストレートを決める。そのルール無用の制限に縛られない動きはまさに、競技ではなく喧嘩だった。

空手をやっているというのは推理していたが、まさかの事態に降谷は喧嘩を止めることも忘れその場に立ち尽くした。いや、立ち尽くすも何も、降谷が我にかえるより前に喧嘩は終わっていた。彼女の手によって、だ。
一体何なんだ彼女は?
どの種類の格闘技も素人のものだとは思えない。特に殴りかけられても目を開けたままでいられるのは相当訓練を積んでる証拠だ。しかし普通の格闘技をやる人間なら無意識にルールが身体に染み付いてあそこまで柔軟な動きは出来ない。つまり彼女は複数の格闘技を同時に極めていることになる。


そんなことを考えている降谷が側で見ているとも知らず、優美は制服の裾を整え、地面に打ち伏した男たちを見て苦い顔をした。


「……正当防衛、の、はず……うーん喧嘩が初めてとはいえ手加減やらかしたよな」


優美はうー、とひとり唸ると、伸びた不良に向かいごめんなさいと呟いた。
初めてだと?
降谷は優美の口から出た独り言に戦慄せずにはいられなかった。
初めてであんなに冷静で洗練された戦いをしただと?
優美は暫く不良たちに合掌した後、後ろで倒れている男子中学生の元へと向かった。今の喧嘩を終始見ていた中学生の彼の顔は、奇しくも降谷と同じような呆気にとられた顔をしていた。


「大丈夫?出血は…なさそうだけど、顔の内出血が酷いね。すぐ冷やそう、ちょっと待ってて」


優美はハンカチを取り出し公園の水道でそれを濡らすと、それを男の子の顔に当てた。


「あくまでも応急処置だから…、これから警察の人たち来るけど、それまでは我慢してじっとしててね。意識もあるし呼吸もちゃんとしてるから骨折とか内臓破裂はしてないとは思うけど……一応救急車も要請するようには言ったから」


彼女はそう言って男の子にハンカチを押さえさせると、じゃあお気を付けてと公園を早足に出て行った。彼女のいうとおり、既に警察は呼んでいたのか遠くからサイレンが聞こえる。彼女の男子中学生への打診も処置も申し分ない。先程自分は彼女を無謀で幼いと言ったがーーあれは全撤回だ。彼女は大人顔負けの冷静さと対応力を持っていて、尚且つ戦闘力と医療知識を兼ね備えているようだ。そんな人間は自分の所属する公安のメンバーでも数人いるかいないか。

単純に言えば降谷は惚れてしまった。
もちろん恋や愛だのと言った類のものではない。純粋に彼女の戦力が欲しいと思った。今でさえ中学生ならば、彼女が大人になる頃には自分さえも超えているかもしれないーーいや、そうならないように日々精進するつもりだが、つまり何が言いたいかと言うとーー彼女が欲しいと思った。自分の側に置いておきたいと思ったのだーー同僚、或いは部下として。

しかし降谷がもう一度彼女を見たとき、彼女は既に公園から姿を消していた。外に出ても、気配すらない。彼女に関する情報は、その姿と声、そして自分が推理した中学1年生という年齢のみ。

後に彼女はアメリカへと旅立ち、それから降谷が優美に会うことはなかった。