善悪のたった二文字はあまりにも多くを取りこぼす
長瀬真琴は天才だ。
老舗呉服屋に生まれた彼女には兄がいた。年の離れた彼女の兄は、柔軟で応用のきいた考えを出してくれると奉公人達からも慕われ、妹である真琴も鼻が高かった。
そんな兄もまた、年の離れた妹を大層可愛がり、やがて祖父から継ぐこととなる仕事に妹を連れ歩いていた。
いくら若旦那とは言え、その様なことが許されるわけがない…と思いきや、
奉公人達もこぞって真琴を可愛がるものだから、頭を抱えたのは彼らの祖父であり、呉服屋の大旦那だけだったのだ。
そうして兄の働く姿を隣で見てきた彼女の才能が明らかとなったのは、9歳の時の事だった。
大事な取引があると、お得意様を連れ客間へ消えた兄を見届けた真琴は、暇をもて甘し当時の番頭ーー佐吉の隣で、帳簿を眺めていた時だった。
「佐吉さん、佐吉さん。」
「?どうしましたお嬢さん、どこかへ行かれますか?でしたらあたくしが若旦那にーー」
「そこに書いてある、四日前の橘様の欄、その下の朝倉様と逆だよ。」
更紗を頼んだのは朝倉様、橘様は雲取り牡丹だったもの。
四日前はここ最近で一番お客が入った日だ。その日の客の注文を、接客をしていない真琴が的確に覚えているのか。
「…お嬢さん、辻ヶ花を頼んだお客様は…」
「喜多村様でしょ?」
驚いた佐吉は大慌てで若旦那、もとい彼女の兄のもとへの駆け込んだ。共に客間にいた彼女の妻にこっぴどく叱られはしたが、彼女の才能を聞いた若旦那は商談そっちのけで大喜び。お客そっちのけで大騒ぎをしたものの、この商談は見事成立し、彼のせいで破談になるなんて事は無かったそうだ。
◇ ◆ ◇
「山崎、ここ、押収品の数間違ってるよ。87じゃなくて、89。」
「え!?あ、すみません参謀長。」
昼飯時に報告書を持って現れた我らが参謀長は、相変わらず記憶力が恐ろしく良い。彼女が抱えている書類達は恐らく、副長が頼んでチェックをしたのだろう。