地獄の一丁目




※現パロ、嘔吐と裏を匂わせる表現があります。



中学の入学式、朝からあまり調子が良くなかった。
昨日何か夢を見た気がしたのは、眠気眼で触れた枕が湿っていたからだ。泣いたのかな、何か夢を見たっけ?と思い出そうとしたけれど、全く思い浮かばなければ、頭痛がしてくる始末。一体どうしたのか、と不思議に思いながらも支度をして家を出た。

「似合ってるわよ、しのぶ、名前。気をつけて行ってらっしゃい。」

優しく笑うお母さんとお父さんは、私としのぶを見送ってから診療所へ向かうそうだ。
カナエ姉さんは一足先に学校へ向かってしまっている。在校生は入学式の前にHRを済ませるのだそうだ。
妹のカナヲは、同じ登校班のアオイちゃんと嘴平くんが迎えに来て学校へ。

「…名前、朝から何だか変よ?大丈夫?」

熱でもあるのかしら、と額へ手を伸ばしたしのぶに、慌てて首を横に振った。起きたら枕が濡れていて、どうやら夢を見ていたらしいのだけど、内容は覚えていないことを話してしのぶの顔を見た。

「…、名前、何かあったら、思い出したらすぐに言って。」

しのぶの表情は、心配というにはあまりに切羽詰まったような表情で、どうしてか分からなかった私は、ただ頷く事しか出来なかった。



◆ ◇ ◆



偶然が重なった日だった。
しのぶはフェンシング部の大会が近いから、と一緒に帰れないため、その日はカナエ姉さんと二人で帰ることになっていた。両親から買い物も頼まれていて、二人でスーパーへ寄り、買い物を済ませた帰り道だった。

「あーーー!大変!」
「!?、ね、姉さん?どうしたの?」
「お醤油を買い忘れちゃったわ!ごめんねえ名前、急いで買いに行ってくるね!」
「え、姉さん待って!」

止める間もなく走って来た道を戻ってしまった姉さんにため息をつきながら、来た道をゆっくりと戻っていく。そのうち醤油を抱えた姉が走ってやって来るだろうと、角を曲がった時の事だった。

「おっと、」
「わっ、あ、ごめんなさい。ちゃんと見ていなく…て…、」

ぶつかってしまった相手の顔を見上げた。ずいぶん背が高い人だと、なかなかたどり着かないその顔を見上げた。否、見上げてしまった。

「おや?見た顔だね。君、何処かで会わなかったかな?」

虹色の光彩をまあるくしながら、ニコニコと笑う男に、目が離せなかった。
知ってる。会ったことがある。でもどこで?どうして?何故此処にいるの?姉さんに会わせないようにしなきゃ。待って、なんで姉さんがでてくるの、この人は誰なの。いや、待って、知ってる。この人は、こいつ、は、

「どう…ま…?」

いつか、私の恐怖で歪む表情を好きだと言った男は、記憶と違わぬ顔を輝かせ、瞳を半月型に歪めながら、にこりと笑った。
記憶の中の男は血を被ったような頭をしていた。独特の瞳孔に、口から覗く牙が脳裏を過る。鬼の特徴だ。人食い鬼の、私の、私達の敵。鬼殺隊の、敵。
カチリと何かがハマる音がする。

全て、思い出した。

「嗚呼、そうか、君だったんだね。

久しぶり、会えて嬉しいよ、名前。」

身体がガタガタと震える。ニコニコと笑う男は、膝から崩れ落ちそうになる私を抱えぎゅうっと抱き締めた。

「(どうして忘れていたの、鬼狩りだったこと、仲間の事、あの人の事、こいつの事、)」
「わあ、相変わらずいい香りがして柔らかいね、名前、それに昔よりも若いのかな?うん、とってもかわいいよ。」
「(嬉しくもなんともない、こいつの匂いも、手も、身体全てが気持ち悪い、)、っ、うっ、おえっ、」

触れられている場所からどろどろとしたものが這ってくる。込み上げる不快感を止めることが出来ず、きつく抱き締めてくる男の中で思い切り吐き出した。

「あれ、どうしたの?気持ち悪くなっちゃった?あー、口回りに思いきりついちゃったね。」

吐き出したもので汚れた口元へ顔を寄せて来た男に、力の抜けた身体では抵抗も出来ない。とにかく気持ち悪い。この男との過去を思い出す事が不快感でしかない。
べっとりと口元についた胃液が一筋つう、と喉元へ垂れたのを嬉しそうに見つめてくる男は恐怖でしかない。腰に回されていた男の腕の片方が持ち上げられ、胃液が伝った跡を撫で上げ顔を上向きに持ち上げられる。喉元を覗き込むようにしている男へ、そこを突きだすような格好は不快感でしかないが、相も変わらず身体はガタガタと震えるばかりだった。

「嬉しいなあ、また君に会えて、またこうして抱きしめられて。君の肉も涙も体液も全部甘くて美味しかったんだ。ねえ、名前、」

べろりと胃液の跡を舐め上げられぞくりと身体が震える。恐怖と共に込み上げるその感覚は、生前男に与え続けられたそれで、小さくこぼれた「っぁ、」という鳴き声は、男が好んだものだった。

「また沢山あそべるねえ。」

よぎったのは、大好きな家族の笑顔と、この世で逢うことが叶わなかった、愛した人の姿だった。



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