行軍の途中で美しい花を見付けた。たったそれだけの事でも季節の変わり目を感じられて嬉しくなる。手折ってはかわいそうなので愛でるだけにして先を急いだ。
花冷えの幽か
「いかがなさいました」
本陣にいるはずの騰様が一番端の夜営地に訪れた。この方の事だから録鳴未様や隆国様に何も言わずに抜け出して来たに違いない。
「今日は冷えるな」
「ええ、本当に」
飄々とこちらにやって来て一段高い丘から夜営地を見渡した。確かに今夜は外気が冷えている。昼間通った道には所々に花が咲いていたというのに。備えをするよう各隊には伝えておいたが、ここ数日は暖かく、身体も緩んでいただろう兵達には余計堪えるかもしれない。
「兵達の士気を確認しにいらっしゃったのですね」
「ああ、だが心配無かったようだ」
兵達の士気は戦の結果を左右する。昼間の風の冷たさには気付いていたので、兵達には多めに衾を配り、適度な酒と温かい食事、なるべく天幕の中で寒さを凌ぎながら睡眠を摂り、明日に備えるように指示を出していた。端の夜営地まで衾と食事がいき渡っているのを確認し、今日やるべき事は終わった。
「戻るか」
「ええ」
近くに置いていた馬に乗り本陣まで戻ると、案の定、録鳴未様がとてもお怒りで騰様に向かって怒鳴っておられた。理由を知っていた私が止めに入ると火の粉が私にも飛んできて、これもいつもの事だったと小さく息を吐くのだった。
火の粉を被る事しばらく、怒れる録鳴未様からやっと解放されて騰様の天幕を訪れた。
「騰様、お食事は摂られましたか」
「いや、まだだ」
「お持ちしましたので一緒に食べましょう」
温め直した食事を机に並べ、杯に酒を注ぐ。やはり天幕の中は外よりも少し暖かい。そして食事や酒も一人より二人の方が心が温かい。
「顔が少し赤いな」
不意に騰様の手が頬を撫でた。咄嗟に少し顎を引いてその手を避ける。避けた事を少し後ろめたく感じたが、悟られないように笑い、明日の戦の話を始めた。時々外からびゅうと冷たい風の音が聞こえてきて後片付けが少し面倒だなあなんて思った。
「そろそろお休み下さい、私も片付けをして参りますから」
「今日は天幕が少ないな」
なるべく一つの天幕に二、三人で入るように伝えていたので、本陣の天幕はいつもの半分の数しかなかった。その方が暖をとるには効率がいい。
「ええ、今夜は冷えますから」
「お前はどこで休むのだ」
「録鳴未様と同じ天幕です。先ほど怒らせてしまいましたから少し気まずいのですが」
「……そうか、ならばもう少し付き合ってくれないか」
録鳴未様が寝てしまってから天幕に戻る方が安全な気がする。即座に頷くと、騰様は脇に置いてある筵と衾を持って外に出たので私も明かりを持ってそれに続く。弛緩していた頬に冷たい空気を感じて思わず身震いする。
「大丈夫か」
「はい、中がとても暖かかったので」
騰様は私の手を取り、歩きづらい茂みをゆっくりと進んだ。しばらく歩くと足元の草が少なくなり、明るく拓けた場所に辿り着いた。
「騰様、ここは……」
「夜営地を見て回る時に見付けてな」
そこには鮮やかな花が咲き、月明かりの下で幻想的に揺れている。目の前の景色は春そのものなのに、空気は冷たく透き通って、花の色彩をより際立てた。騰様が持ってきた筵を敷き、そこに座るよう促され腰を下ろすと身体にぐるりと衾を巻かれ、寒さは少し和らいだ。
「とても、美しい景色ですね」
「ああ」
頬に触れる空気は依然として冷たい。騰様の身体にも衾を掛け、少しだけ身を寄せると先ほどよりも温かくなった。
「温かいですね」
「ああ、そうだな」
しばらくの間、月や星や花を見つめてみる。辺りは静かで、私の心臓の音が聞こえてしまいそうだ。布越しに伝わる熱はもどかしく胸を締め付ける。ここまで近付いた事を後悔しても、頬や耳はまるで私の気持ちなどお構い無しにじわりと熱くなる。
この方相手に隠し通せる訳が無かった。
ゆっくりと横目で騰様を見ると視線がぶつかった。慌てて視線を前に戻してももう遅い。
「また顔が赤いぞ」
騰様はきっと気付いている。
「ほ、放っておいて下さい」
私の心に積もる思いに。
「無理だな」
近付いた唇を避けようと手を上げるが、それは騰様の手に阻まれて叶わない。思わず瞼を閉じると、先ほどの花の鮮やかな残像が幽かに残っている。
捕らわれた手の熱にすら心臓がどくりと鳴ると、もう抗う術は残されていなかった。
END
title by ユリ柩様