薄ら開いた目にはお医者様の悔しそうな顔が映る。長く生きられないことは分かっていたから、延命はしないでほしいと言ったあの約束を守ってくれようとしている。お医者様には酷なお願いをしてしまった。けれど、私には看取ってくれるような家族もおらず、延命して生き長らえたとしても寝たきりで動くことも出来ない。誰とも話せず薬の副作用で意識もなく、それを生きていると言えるだろうか。
身体が弱くても思いのままに強く生きることは出来ると教えてくれた人を思い出す。最後に会えたのはもう十数年以上前なのに、こんな時でも心に浮かぶのはあの人のことだった。
目を開けていられず力を抜くと、記憶が波のように押し寄せて溺れるように深く飲み込まれてしまった。
******
「ごめん! どなたかいないかっ!」
玄関先から大きな声が聞こえてきた。
身体にぐっと力を入れて立ち上がり羽織に袖を通す。「はいっ、ただいま」と声を上げたが掠れてほとんど響かない代わりに咳き込んでしまった。壁に手をつきながら前屈する身体を起こし足を動かす。
「あっ」
気が急くばかりで上手く動かない足がもつれて体勢を崩した。倒れる、そう思った瞬間、ぼすっと気の抜けた音がして身体は何かに支えられていた。
「勝手に入ってしまって申し訳ない、苦しそうな声が聞こえたのでな」
「あ、ありがとうございます」
私を抱き起こした男性は綺麗な色の髪と燃えるような瞳をしており、大きく開かれた目で私を見つめた。先ほど聞こえた声のとおり覇気のある出で立ちで、何となく普通の人ではないのだろうと思った。
「父か母に御用でしょうか。生憎、家には私しかおりません」
「そのようだな。だが君に用があって来た」
父と母はひと月前に突然行方知れずとなった。そのことで家を訪ねたのだと彼は言った。
「鬼、ですか」
「ああ、御両親は鬼に誘拐された可能性が高い」
鬼を見たことはなかったが話を聞いたことはある。彼は煉獄杏寿郎と名乗り、鬼を退治する役目を負う鬼殺隊だと言った。初めて会った人の言うことを信じられたのは、彼の真っ直ぐな言葉や瞳故だ。
「父と母は無事でしょうか」
「分からないが、鬼は通常人を食らう」
人を食う、父と母は鬼に食われてしまったのだろうか。あまり実感が湧かなかった。
身体の弱い私を大事に育ててくれた父と母、腕の良い医者がいると聞いて二人でその医者の元へ向かったっきり行方が分からなくなっていた。道中で鬼に誘拐されたのだとしたら、
「私の所為です」
私がこんな身体に生まれていなければ、二人に苦労をかけることも医者を探しに行かせることもなかった。瞬きと同時に涙が零れて思わず顔を背けた。目元を拭い、ぐっと奥歯を噛み締める。
「父と母は私の為にお医者様を訪ねるはずでした」
「そうか、だがそれと鬼のことは関係ない」
彼はきっぱりと言い切り、その大きな瞳で私の目を見つめた。
「君の所為ではない」
「……っ」
堪えられない涙が次々溢れ出し、顔を覆った手を伝う。息をする度に咳と嗚咽を漏らしながら寂しさか悲しみか分からない感情に心を覆われてしまう。
「大丈夫、思い詰めないでいい」
均衡を崩した身体はまたも彼に支えられていた。頭を撫でられて父と母の温もりを思い出すとまた涙が止まらなくなる。私が泣き止むまで、彼はずっと私を支えてくれていた。
「御両親は君を愛しているから行動したのだ、気に病む必要はない」
涙が枯れるほど泣いてしまうと心は少しの落ち着きを取り戻した。頬に先ほど綺麗だと目を奪われた髪が触れている、私から離れた彼の胸元は服の色が変わってしまうほど濡れていた。同時にさぁっと頭が冴える。
「す、すいませんっ」
「いや、気にするな」
改めて二人が行くはずだった場所や交通手段を詳しく伝え、よろしくお願いしますと頭を下げた。粗方の話が終わると彼が席を立ち、玄関へ向かう。汚してしまった服のまま帰らせる訳にはいかない、新しい服を用意すると言ったが断られてしまった。
「本当に申し訳ございません」
「気にするなと言ったろう」
「ですが、」
「また、君を訪ねて来ても良いか」
「え、あ、もちろんっ」
「良かった。ではまた」
言葉のとおり、彼はその後も私を訪ねて来てくれてた。父と母の行方のことや、それ以外のことも色々と話をしてくれた。食事を用意すれば美味い美味いとびっくりするほど沢山食べてくれたし、お礼にと綺麗な簪をくれたりもした。快活で明るい彼と一緒にいる時間は身体のことを忘れてしまうほど活気に満ちて、心まで強くなるような気がした 。そして、いつの間にかこの時間を楽しみにするようになっていた。
「御両親を拐った鬼を見付けたやもしれん」
何度目かの来訪時に彼はそう言って私の手を握った。そこから私の震えが伝わったのか、一層強く手を握られて与えられる温もりに気が付く。
「偶然だが俺が任務にあたることになった」
「れ、煉獄さんっ」
思わず行かないでと口走りそうになって寸でのところで言葉を飲み込む。だめ、言ったら泣いてしまう。父と母には帰ってきてほしい、彼には危険な目に遭ってほしくない、矛盾した気持ちが不安となって広がっていく。
「どうした」
鬼は人を食う。二人がもう生きていないであろうことは薄ら理解していた。それでも私は無事を願わずにはいられなかった。
「父と母を、よろしくお願いします」
「うむ、任された!」
不安の雲を晴らすような声だった。項垂れる気持ちを前に向かせてくれるような、優しく照らしてくれるような声だ。私は何度も彼に助けられている、私が返せるものなど何もなかっただろうに。
「終わったらまた会いに来る」
「はいっ」
「その時に聞いてほしいことがある」
大きく頷くと優しい顔で笑ってくれた。私も伝えたいことがあるとは言えなかったが、感謝と私の想いをきちんと言葉で伝えようと決めていた。
「どうか、お気を付けて」
******
気がつくと広い空間に一人で立っていた。
ここはどこだろう。私はどうなった。身体は楽で歩いていても苦ではない、現世の身は死んだのだと理解した。ここが黄泉の国ということか、思っていたより簡素な場所だ。
結局、あの人は二度と私の前に姿を見せなかった。父と母が戻ることもなく、私は死ぬまで一人で過ごした。ただ、心を強く、思いのままに生きることは出来たと思う。両親が愛してくれた私に誇りを持って生きることが出来たのはあの人のお陰だ。一つだけ心残りがあるとすれば、
「煉獄さん」
未練がましくも口から零れたのはあの人の名。明るくて真っ直ぐで優しい、
「俺を呼んだか」
はっ、と顔を上げるとそこには綺麗な髪と目をした人が立っていた。
「煉獄さんっ」
「会いに行けなくてすまなかった」
申し訳なさそうに眉尻を下げたあの頃と少しも変わらない彼がいる。言いたいことが山ほどあって、聞きたいことも山ほどある。言葉が詰まって出てこないことに驚いたのは自分自身、思い出になんて少しも出来なかった。
「あ、会いたかった……っ」
何とか一言、吐き出すので精一杯。後はもう言葉にならなかった。
「俺も会いたかった」
「うっれん、ごくさ」
「ここは現世の未練を断ち切るための場所だが、俺はどうしても先へ進めなかった」
煉獄さんの指先が頬を掠める。
「御両親も君が心配でここに留まっていたが、俺が必ず連れて行くと約束して先に行ってもらった」
抱き寄せられて胸が鳴る。ありがとうございます、と言おうとしたが声が震えて情けない音がした。
「話したいことが山ほどあるな」
「わ、私もです」
「なら順番に言おう、まずは俺からだ」
回された腕に少しだけ力が込められた。耳元に、内緒話のようなうんと優しい声で、夢みたいな言葉が囁かれる。
「名前が好きだ」
臨終の道すがら
END.
title by ユリ柩様