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「それで、お前はあそこで何してた。」
『うちに帰ろうとして、エレベーターを降りたらあそこにいました。』


森で未知の生物に襲われた時、私に声を掛けたのは年若い男性だった。
彼はどうやったのかあの未知の生物を昏倒させてしまったらしく、その光景に唖然としていた私を一瞥すると

「こいつが目を覚ますと厄介だ。また襲われたいなら話は別だがそうでないならついてこい。」

とここ、彼の暮らす家まで連れてきてくれた。その口調や態度はどこかぶっきらぼうで人を寄せ付けない雰囲気のある人だけれど、落ち着くからとコーヒーまで用意してくれる辺りこのお兄さんは人がいいらしい。
それにしても、と目の前のお兄さんへ視線を向ける。
彼は美しかった。いや、整った鼻筋や、長いまつ毛に縁どられた切れ長の瞳はもちろん整った容姿と言える。しかし、何よりその色彩が美しかった。癖のない髪はムラのない薄茶色、瞳は深いマゼンダ。
おかしな出来事に、未知の生物にこの世のものとは思えない顔のいいお兄さん……ここは私が暮らしていた世界ではないのかもしれない………。

「全く分からんのだが…近頃この森はは<大いなる厄災>の影響で魔法生物がうろつく様になった。森には入るなと周囲の村には知らせが行っていただろう。」
『………自分、村住みじゃないんで…。』

ほんとに私が暮らしていた世界じゃなかった。
お兄さんの一言で確定してしまった。魔法生物?そんなものハリー〇ッターでしか聞いたことない。
あまりのことに頭が痛い。私は頭を抱えた。どうして、なにが起きてるんだ…。

考えたって分からない。頭は抱えたが分からないことが多くて、でも、気持ちは落ち着いていた。
何故?を考えてもどうしようもない。それなら、私は何をすべきだろう?何をする必要があるだろう?
森の中では考えられなかったことに思いを巡らす。ここまで考えられるのはきっと森から連れ出して、落ち着けてくれたお兄さんのおかげだ。

「おい…どうした。」

お兄さんがいきなり頭を抱えた私の様子を不審げに窺っている。
私が今すべきこと…それは……。
私は一度顔を上げ、彼に対して再び頭を下げた。

『あの!急に言われても怪しいのは重々承知なんですけど!この世界の事、教えてもらえませんか…お願いします!!!』
「は?…なんだ急に…。」
『この世界のことを知らないままじゃ、一人で生きてけないんです!』
「…………一人で生きるというのは、どういう意味だ。」
『私家に帰ろうとしてエレベーターに乗ったんです…。そしたら着いたのはあの森で、何をしても帰れなくて…それにあの生き物も、魔法についても、見たことも聞いたこともないんです。私の生きてきた世界では魔法は物語の中だけの存在だから…だからきっとここは、私が住んでいた世界とはまた別の世界じゃないんだと思って…。それなら生きるためには一人で生きなきゃ。そのためには、この世界の事、知らなきゃ…と思って…。お願いします!どうか…どうか…!』


勢いよく口にしたは良いものの、自分でも理解できないことを説明するのは難しかった。気持ちだけが先駆けてしまう。

しかし、少しの間を開けて目の前の彼はなるほどな、と呟いた。
驚いて顔を上げると彼はそのマゼンダの瞳でこちらをじっと見ている。

「お前は異界から来た、ついた場所があの森で状況が分からんうちに魔法生物に襲われ、そこを俺が見つけた…そういうことだろう。」
『え…はあ…まあ、そうなんですけど……驚かないんですか?…別の世界から〜なんて正気の沙汰じゃないでしょ…。』
「自覚はあるんだな。……異界から来るものは限定的ではあるが、存在する。」
『え…じゃあ!』
「先に言っておくが、返し方など知らん。…異界から人が来るのも、そうあったことではない。……それよりも、お前に尋ねたいことがある。」

彼が言葉を切った時、急に空気が重くなった。
冷気を深く吸い込んだような、息が詰まる感覚がする。
彼の、深いマゼンダから視線を逸らせない。


「お前は言ったな、一人で生きると。」
「お前に本当に、この世界で一人で生きる覚悟はあるか?それがどういう事か正しく理解しているのか?」


答えられない。…私とて軽々しい考えでその答えに行き着いたわけじゃない。そうするほかない現実に直面しているのだ。……でも、彼のあまりに真剣な光を帯びたマゼンダに、私は覚悟はある、その意味も正しく立会していると自信をもって答えることができなかった。

しばらくして、彼のマゼンダがふっと緩んだ。
呼吸がし易くなって、どっと疲れに似た何かが押し寄せてきた。

「…この数刻の様子を見たところ、お前は愚直だ……良くも悪くもな。自分で考えて進もうとすることはできるのだろう。しかし、現実はお前が考えるよりも甘くはない。この世界のことを知ったとて、一人で生きるとなればお前はその愚直さゆえに、そのうち目も当てられん結果を迎える。」
「付け焼刃の知識を得た程度で、一人で生きることなどできん。”一人で生きる”ことはお前が考えるよりずっと過酷なことだ。」

淡々と語られる言葉を、ただただうつむいて聞く。
でも、しょうがないじゃないか。文字通りの異界に来てしまった私は、頼れる相手なんていない。誰かとともに痛いと思っても、私は一人。…帰れるかどうかも分からない。
それなら、一人で生きる以外にどう生きろと言うんだ。

また、森の中で考えたようなマイナスの思考になってしまう…じんわりと零れそうになるものをなけなしの自尊心で耐え、ぐっと奥歯を噛み締めた時、「だが、」と声が掛かった。



「一人で生きようという意義を持つのは良い。俺は生まれは北だ、その考え方は嫌いじゃない。……ただ、生まれてこの方一人で生きる事等なかっただろうお前が、この世界で一人で生きられるようになるにはそれ相応の時間と教示が必要だ。」

「…こんな小娘を放り出してすぐそこで死なれるのも目覚めが悪いしな。………何より残りをただ過ごすのも退屈だ、暇つぶしとし1人で生き抜くことができる様になるまでの世話はしてやる。」

「大見栄切ったんだ、泣き言言わずに頭に叩き込めよ、いいな。」





彼の言葉が終わった時には、その真意を測ることはできないまま。
ただ、あれだけ私の無謀さを説いたその口から”世話をしてやる”と言う言葉が出たことに驚きが隠せず、ポカンとしながらその願ってもない内容に頷くことしかできなかった。

こうして、この恐ろしく高圧的で、ぶっきらぼうで、そのくせどこか世話焼きな魔法使いとの生活が幕を挙げた。




今思えば、これはこの先、私がこの不思議な異界で過ごす時間のほんの序章でしかなかったけれど、確実に私の運命に大きく関わる一つの出来事だった。

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