「俺は、どうやら20歳までに婚約しないといけないらしい」
夜、窓際で外を眺めながら彼はぽつりと呟いた。
ミナジール・ティラージャと出会ったのは、とある雨の日だった。バザールからの帰路で、怪我をしている彼を見つけて手当てをしたのがきっかけに、時折私の家に来ては他愛のない話をして帰る。でもそんな生活が、半年以上続いている。
「そうなの?第一王子は大変ね」
「おい、王子呼びはやめてくれって言っただろ?」
ムッと大きな口をへの字に曲げて私を睨むその姿に、数ヶ月前のことを思い出して頬が緩んだ。
彼と出会ってすぐ、私はミナジールがこの国の王子様だなんて知らなかった。新聞に載っている彼の写真を見てそれを知った時は心底驚いたし、敬語で話した方がいいのかとか、王子様って呼んだ方がいいのかとか、いろんな思いが湧いてきて、それを彼に話した。そしたら、今と同じように、口をへの字に曲げてしまったのだ。
「何で笑ってるんだ?」
「え?ふふ、拗ねてる姿がかわいいなと思って」
「また子ども扱いか」
窓辺から移動し、大きなクッションに体を預けている私の横に腰を下ろしたミナジールは、立てた膝の上で頬杖をついて私の顔を見つめてくる。その顔がなんだかとても寂しそうに見えて、私は無意識に彼の頬に手を伸ばしていた。
「どうしたの?泣きそうよ」
「……俺が?まさか」
目を見開いた彼は、私の手から逃げるようにクッションに頭を預けて、何も言わずに天井を見つめている。そして私に問いかけた。
「魔法のランプの話を知っているか?」
「3つの願いを叶えてくれるっていう?」
「ああ、そうだ。もし願いが叶うなら、貴方は何を願うんだ?」
唐突な質問に、頭を悩ませる。幸い世間一般的には裕福と言われる家に生まれているから、お金には困っていない。兄も優しくて家族は私を理解してくれて、好きなことをやらせてもらっているし、今も何の不自由もない生活をしている。
「すぐには思いつかないかも。ミナジールは?」
「俺も3つはすぐに思いつかないけど、1つはもう決まってる」
「そうなの?どんな願い?」
体勢を変えて横向きになってこちらを向いたミナジールに向かい合うように、私も体勢を変えた。
「貴方が……」
「私が?」
ランタンの灯りが、彼の瞳の中で揺れている。あ、また泣きそうな顔してる。そう思った時には、彼はまた体勢を変えて天井を見つめていた。
「……いや、何でもない。ああそうだ、あの大きな荷物はなんだ?部屋も前に来た時より随分すっきりしてる。大掛かりな掃除でもしたのか?」
ミナジールが上体を起こして、不思議そうに部屋を見渡す。そう言えば、彼にはまだ言っていなかったっけ。
***
「私、国に帰るの」
「え?」
突然の話に、頭を鈍器で殴られたかのような衝撃が走った。
「研究も一段落ついたし、父からそろそろ帰ってきなさいって連絡があって」
「……そうなのか、いつ立つんだ?」
「遅くとも今週末には」
「それは……何と言うか、随分と急なんだな」
物分かりのいい振りをして、心の中では何とも言えない感情が湧き上がってくる。今週末って、もう2日しかないじゃないか。彼女の人生を縛る資格なんて俺には無いのに、ずっとここに居てくれと、俺から離れないでくれと、声に出してしまいそうになって、ぐっと息を呑んだ。
ここに足繁く通うようになったきっかけは単純だった。怪我を治してくれたから、優しい人だと思った。振る舞ってくれた料理も美味しかったし、何より俺を特別扱いしないのが心地よかった。蓋を開けたらただ俺の事を知らなかっただけだったけれど。俺がこの国の王子だと知ってからも俺を王子としてではなく、ミナジール・ティラージャという1人の人間として見てくれたのが嬉しかった。それなのに。
「1ヶ月前には決まってたんだけど、言うタイミングが無くて」
ごめんなさい。と眉を下げる彼女に、かける言葉が見つからなくて、唇を噛み締める。確か彼女は黎明の国から来たのだと、前に言っていた。と言う事は、帰るのも勿論黎明の国なのだろう。そう遠くはないとは言え、自分の立場上易々と会いに行けない事くらい理解している。
「……もう、会えないかもしれないんだな」
「そうかもしれないね。でも、案外すぐに会えるかもしれないよ」
傷心気味な俺と打って変わって、あっけらかんとしている様子に無性に腹が立つ。もう最後なら、どうにでもなれ。そんな思いで俺は彼女を抱き寄せ、腕の中に閉じ込めた。きっと、結末は初めから決まっていたんだ。それなら出会わなければよかったとさえ思ってしまう。
「願い事が1つ決まったわ」
「……何?」
俺の胸に手を置いてそっと離れた彼女は、額と額をこつんと合わせ、俺の目を見て呟いた。
「ミナジールが、幸せになれますように」
ああ、なんて残酷な願いなんだと思った。だって、そんなの、貴方無しじゃ叶えられないと言うのに。この呪いの解き方は、きっと俺のユニーク魔法を使っても解析できない。
「……俺からも、1ついいか?」
「勿論よ」
ふふっと、嬉しそうに笑った彼女の頬に手を添えて、鼻頭が触れる位置で宝石のような瞳を見つめる。ランタンの灯りが彼女の瞳の中で揺れている。
「貴方が、俺の事を死ぬまで忘れませんように」
彼女が息を呑んだと同時に、床に落ちた俺たちの影が重なった。
fin.
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