動き出す
あの日から2週間後、TRIGGERの現場での仕事は滞りなく進み、何も変わらない日々を過ごしていた。
「奈々美ちゃん、帰ろうか」
「あっ、はい」
変わったことがあるとすれば、十さんの優しさに拍車がかかった事くらいで、彼は毎日のように撮影が終わった後、車で送ってくれるようになった。
始めこそ断っていたが、十さんの残念そうな顔を見ると心が痛み断りきれず、結局その日から送ってもらうのが日課になってしまっている。
十さんに甘えてはいけないと分かっているのに、既読をつけたまま返事を送れずにいるメッセージから逃げるように、私は今日も十さんの車に乗り込んだ。
「いつもすみません」
「いいんだよ、俺が好きでやってる事だし」
気にしないで。と笑う十さんに、罪悪感が募る。
きっと彼がここまで優しくしてくれるのは、私が過去の話をしてしまったからだろう。そう考えたら、やっぱり話すべきではなかったと、今更すぎる後悔が頭を埋め尽くす。
そんな事を考えていたら沈黙が続いてしまい、何か話さなければ。と思ったところで、十さんが口を開いた。
「明日から、送ってあげられなくてごめんね」
「えっ?いえ、全然大丈夫ですよ!」
TRIGGERの3人は明日からしばらくの間、仕事後にライブに向けての振り付けの自主練を行うらしい。終わるのが遅くなってしまうから、しばらく送ってあげられなくなる。と連絡があったのが昨日の夜の事だった。
「撮影の後に練習って、大変ですね」
「ははっ、まあね。でも、最高のライブにしたいからそのための努力は惜しまないよ」
あの曲の振りが難しいだとか、あの衣装の時のヘアスタイルが楽しみだとか、その後もいつものように他愛のない話をしていたら、あっという間に自宅付近に到着した。
この辺りで大丈夫ですよ、と声をかけようと十さんの顔を見やれば、そのタイミングで十さんの目が少し見開かれた。そして次の瞬間、私の上半身の前を十さんの片腕が横切り、車が急停止した。思わず目を瞑り、小さく悲鳴をあげる。
どうやら十さんが急ブレーキをかけたようだ。
「ごめんね…!」
「いえ。十さんは大丈夫ですか?」
何かありましたか?そう言いながら顔を十さんから正面へ向けるが、そこには何か落ちている様子もなく、動物や人の気配もなかった。
「あぁ…いや、勘違いだったみたいだ。ごめんね」
「大丈夫です!きっと疲れが溜まってるんですよ」
衝撃で床へと落ちた鞄を拾い上げて、今日はここまでで大丈夫ですよ。と声をかけるが、それはダメだ。と十さんが鬼気迫る顔で言うので、私はそのままお言葉に甘えて自宅の前まで送ってもらう事にした。
車を降りる際、くれぐれも戸締りはしっかりと、いつも以上に念を押された事を疑問に思いながらも、私はお礼と、おやすみなさいの言葉を残して十さんの車を後にした。
郵便受けに入れられていた手紙をテーブルの上に乱雑に置き、手元のスマホへと目を落とす。
表示されているのはラビチャの環くんとのトークルームだ。
『ななみんと、ちゃんと話したい』
1週間ほど前に送られてきたそのメッセージ。
そろそろちゃんと向き合わなければと思いながらも、私はまた逃げるようにスマホの画面を消した。
今はまだ仕事が忙しいから。で乗り切れる。でも、今のTRIGGERの現場が終わったらいやでも顔を合わせる事になるし、避け続けるわけにもいかない。そうは分かっていてるのに、踏ん切りのつかない自分にため息をつきながら、テーブルの上の郵便物に目をやる。
その中にいつだか投函されていたものと同じ、白い封筒がある事に気がついた。
そう言えばあの時結局中身を確認しないままだったなと思い、私はその封筒から1枚の紙を取り出す。
「『今度はこいつなの?』…なにがだろ?」
白のコピー用紙に活字が並んでいるだけのその手紙に首を傾げながら、封筒の中身を取り出して血の気が引いた。
「なに、これ…」
封筒には私が十さんとメイクルームで話している様子や、十さんの車から降りる瞬間が収められている写真が複数枚入っていた。中には私1人で歩いてる写真や、部屋の中の写真もある。
震え始めた体を自身の腕で抱きしめながら自身の鞄を漁り、以前送られてきた封筒を探すが、封筒はどこにも見当たらない。
鞄から出した覚えはないのになぜ?ドクドクと脈打つ心臓を落ち着かせるように深呼吸をして、もしかして、と呟く。
「あの時落とした…?」
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「はぁ…」
十は自宅へと車を走らせながら、思わずため息をついた。そのため息の原因は先程の急ブレーキにあった。
奈々美の家まで間も無くというタイミングでかけられたあの急ブレーキ。奈々美には心配をかけたくなくて、勘違いだったと笑った十だったが、本当はあの時全身黒い衣服に身を包んだ男がいきなり車の前に飛び出してきたのだった。その男はこちらを…十を、鋭い目付きで睨みつけた後そそくさとその場を去ったため、奈々美はその男の存在に気付かなかったのだろう。
十はもう少しで人を轢いてしまうところだった。という恐怖とともに、その男の鋭い目付きを思い出して、1人固唾を飲み込んだ。
それはフロントガラス越しでもはっきりとわかる、敵意、そして憎悪だった。
自分の思い過ごしならばいいが、念のため奈々美にはいつも以上に戸締りをする様に伝えた十だったが、これじゃまるで父親だな。なんて思い返しては自嘲を溢した。
ようやく自宅に着いた十は駐車場に車を停め、ふと助手席の足元に何かが落ちていることに気が付いた。
それは白い封筒で、封のされていなかったそれからは中身が飛び出していた。
「なんだろう…?」
拾い上げて目をやれば、それは先ほどまで助手席に座っていた奈々美とIDOLiSH7の環が話している様子、そしてメイクルームや、奈々美の自宅と思われる部屋から撮られた、明らかな盗撮写真だった。
そして同封されていた四つ折りのコピー用紙に活字でこう書かれていた。
『いつも見てるからね』
「…これって」
まさか、と十が呟くと同時にラビチャの着信音が車内に鳴り響いた。
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