男と女
「私、今日もでかけるから」
そう奈々美に言われたのは、朝食の席での事だった。毎朝律儀に俺の時間に合わせて、朝食を作って一緒に食べてくれる奈々美が、何かを思い出したかのように、あ!と声を上げたのが始まりだった。
「そう」
「昼過ぎには帰ってくるけど。万理は何時頃帰って来る?」
それに合わせてご飯作っとく。しれっと言う奈々美に、こいつと結婚したらこんな感じなのかな。なんて、頭に浮かんだバカみたいな考えを必死に掻き消して、俺はスケジュールを確認した。
「今日は現場から帰ってきたら事務所でミーティングして終わりだから、遅くても19時までには帰ってこようと思ってるけど」
明日早いし。と付け足して言えば、わかった。とだけ返される。そんな彼女になんの気無しに、今日どこ行くの?と尋ねれば、予想外の名前が出てきて俺は思わず箸を止めた。
「横田と家見てくる」
「横田って、あの横田?」
「そうだよ。今家探してるって言ったら、不動産屋で働いてるって教えてくれて、あー…その、昨日会ってきたんだけど」
昨日の約束をすっぽかした事に未だに罪悪感を感じているのか、奈々美は気まずそうに目を泳がせながらそう言った。
それよりも横田の事が気になった。昔の事だし大丈夫だろうと思ってはいても、心の片隅では、本当に大丈夫か?なんて安心しきれない自分が居て呆れてしまう。
「気を付けなよ」
「えっ?」
「相手は男なんだから」
どの口が言うんだか。と心の中で自分につっこみながらそう言えば奈々美は、なにそれ。と、眉間にシワを寄せて口を尖らせた。
「万理じゃないんだから」
「…だよな」
「それに、横田はただの友達だし、仕事で付き合ってくれるんだから、そんなこと言うのちょっと失礼じゃない?」
ごちそうさま!ぶっきらぼうに言われたその言葉からは機嫌の悪さが伺えて、やってしまった。と思った。
奈々美の言うことはごもっともだ。ごもっともなのだけれど、彼女の危機感のなさや容姿は、男が変な気を起こすきっかけに十分になり得るのだ。
その後早々に身支度を整えて家を出てしまった奈々美に、謝る事もできないまま俺は仕事へと向かった。
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「ごめん!片瀬!」
「へっ?」
横田は待ち合わせ場所で会うなり私に頭を下げた。なんでも、今日行く予定だった物件3軒のうち2軒が昨日のうちに契約が決まってしまった事が、今朝わかったらしい。
そんなぁ…。と心の中で落胆するが、必死に謝ってくる横田の姿を見てると逆に申し訳なくなってくる。
「しょうがないよ。とりあえず、1軒だけでも行こう?」
「うん…。あのさ、お詫びと言っちゃなんだけど、今日午後も時間できたから、飯でも行かない?」
「え?」
予定あるなら全然いいんだけど。と困ったように笑う横田に、別に予定はないけど。と返せば、じゃあ行こうよ。と詰め寄られる。
「ほら、このあんまり話せなかったじゃん?片瀬、二次会も来なかったし」
そう続ける横田に、結構話したつもりでいたけどなぁ。なんて思いながら、別に断る理由もないし私は、いいよ。と頷いた。
「よかった。じゃあ、向こうに車停めてるから」
「車?」
「あぁ、ほら。3軒回るつもりだったからさ電車で移動するよりいいかな。って思って」
マイカーなんだ。と、鍵を見せながら嬉しそうに話す彼に連れられて、私は車に乗り込んだ。
見に行った物件は結構時間をかけてしっかり見たけどなんとなくピンと来なくて、横田には悪いなと思いながらも、契約は見送る事にした。
その後彼からの提案通り昼食を取ってる最中、最近できたショッピングモールに行ってみないかという話が出て、私たちはショッピングをする事にした。
車内での会話はそれなりに弾んで、ショッピングも楽しかったし、横田はなんていうか、一言で言うとスマートで、紳士的だった。ただ、そんな彼になんとなく気を遣ってしまって、疲れてしまったというのが正直なところだ。
万理とだったら、こんなに気を遣わなくていいのにな。
暗くなり始めた街を見ながらぼーっとそんな事を考えていたら、車は見知らぬ駐車場に停車した。
「あれ?ここどこ?」
「ちょっと疲れたから休憩したくてさ」
とりあえず一回降りよう。と彼に促され、車から降りて目を疑った。
「えっ、ちょっと待って」
「大丈夫、休憩するだけだからさ」
そう言って私の腕を掴んだ横田が足を向ける先は、明らかにそういうホテル。え、やだうそでしょ。腕を振り払おうにも、力が強くて振り払えない。
「ねぇ!ちょっと!私入らないから!」
「え?やだな。休憩するだけだってば」
「なら1人で行って!私タクシー拾って帰るから大丈夫。今日はありがとう」
足に力を入れて踏ん張って彼を睨みつければ、ちっと舌打ちが聞こえた。それと同時に、背中に衝撃が走る。
恐る恐る目を開ければ、私の後ろには壁があり、両腕をその壁に縫い付けられている。そして目の前には紳士なんて言葉は似合わないほど、ニヤついた表情で私を見下ろす横田がいた。
「離してよっ…!」
「その表情めっちゃ唆られるね」
「何言ってんの?!離してっ、てばっ!やだっ…!」
「片瀬って危機感ないよな」
以前万理にも言われたその言葉に、ドキッと胸が鳴った。
「俺は今日、元々片瀬をホテルに連れ込むつもりだったんだよ。本当は同窓会の後にお持ち帰りしたかったのに、大神のせいでできなかったから」
「なっ…!?ちょっと待って、私達友達でしょ?!」
「友達ねぇ…。俺が片瀬の事好きだったの、知ってるだろ?しかもこんないい女になってりゃ、友達なんてそんなん関係ないから」
「意味わかんない…!やめてってば!」
近付く顔から逃げるように顔を逸らせば、代わりに首筋を舐められそして吸い付くような感覚と、チリっとした痛みが走った。気持ち悪くて、悔しくて、涙が出てくる。
そんな私に興奮したのか、私の太ももに自身を押し付けてくる横田に鳥肌が立った。それと同時に再び流れる涙。やだ、こんなやつにヤられるくらいなら、やっぱりあの時万理に抱かれておけばよかった。
「あれ?急に大人しくなったじゃん」
抵抗をやめた私に、横田は笑みを濃くした。
私を壁に縫い付けていた横田の手が私の頬に添えられて、彼の顔が近付いてきた瞬間、私は横田に頭突きした。
あの時と同じくジンジンと痛みが走るおでこを押さえながら、私は追い討ちをかけるように横田の急所を蹴り上げて、呻き声を上げてしゃがみ込んだ彼から距離を取る。
「くっ…!おまえっ…!」
「ふざけんなクズ野郎!あんたなんかに抱かれてたまるかっ!もう一生顔も見たくない!」
何か言ってる横田を置いて、私は全力で大通りまで走り、そのままタクシーを捕まえる。切れた息を整えていると、運転手さんに大丈夫ですか?と、声をかけられ、私は大丈夫です。と返しながらスマホで時間をチェックした。
時刻は19時を回ったところ。
そして昨日と同じようにラビチャが1通。
-どこに居んの?
差出人は勿論万理からで、その名前を見ただけでなぜか涙が出てきた。
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