消しても積もる
奈々美が家を出て1週間が経った。
『もう、終わりにしよう』
自ら告げた終わりのはずなのに、あの日の事を未だに引きずっている自分を情けなく思いながら、本日何本目かわからないタバコに火を着ける。
あの時、奈々美が本当はどんな言葉を欲しがってるか、どんな言葉を投げかけるのが最善だったのかなんて、今更考えても遅いのはわかっている。それでも、考えずにはいられなかった。
しかし今は目の前の仕事もとい、目前に迫ったIDOLiSH7のライブの準備に集中しなければならない。
いつまでも燻っている奈々美への思いを、タバコの火と一緒に消したくて、俺はいつもより強めにタバコを灰皿に押し付ける。
そこに積もった灰から逃げるように、足早に喫煙所を後にした。
今はどうやらダンスレッスンの休憩中のようだ。壁際で座り込んでいるみんなに、先ほど出来上がったばかりの追加資料を配布するべく近付けば、あっ!と真っ先に声を上げたのは環くんだった。
「バンちゃん、またタバコ吸ってたろ」
そう言った環くんは眉間にシワを寄せていて、俺は慌てて自身のスーツの匂いを嗅ぐ。ここに来る前にきちんと消臭スプレーをかけてきたはずなのに。そんな事を思っていたら、再び環くんが口を開いた。
「バンちゃんからその匂いする時は、いつもタバコ吸った後だって知ってんだかんな」
環くんの言うその匂いとは、おそらく消臭スプレーの匂いの事だろう。最近吸いすぎじゃね?と眉間のシワを濃くした環くんは、純粋に俺の心配をしてくれているのだろう。
「環くん。万理さんは、最近忙しいから気分転換が必要なんだよ」
「たしかに。大神さんは昨日も遅くまで残っていたと聞きましたが」
大丈夫ですか?と口々に尋ねてくるみんなに、大丈夫だよ。と笑いながら資料を配る。
タバコの本数が増えたのも、毎日のように遅くまで仕事をしているのも、全部気を紛らわせるためだった。家にいる時間が長いと、どうしても奈々美の事を思い出してしまうからだ。
女々しい。女々しすぎるだろ、俺。
そんな事を内心思いながらざっと資料の説明を終えたと同時に、今度は陸くんが、あっ!と声を上げた。
「そう言えば奈々美さん、ライブ来てくれますかね?」
「えっ?」
俺が首を傾げると、三月くんがことのあらましを説明してくれた。まさか彼らが直々に奈々美を招待しているなんて思わなくて内心焦りながら、そうなんだ。と返せば、今度はみんなが首を傾げた。
「万理さん、奈々美さんから聞いてなかったんですか?」
「あー…そう、だね。最近忙しくて会ってないから」
「Oh!忙しさを理由にガールフレンドに会わないのは、ナンセンスです」
「でも、ななみんから最近ラビチャの返信来ないし、ななみんも忙しいのかも」
その後もわいわいと奈々美の話で盛り上がっている彼らに、俺は先ほどの自分の言葉を思い出してため息を吐いた。
最近忙しくて会ってないから。なんて、まるでこの先また会える日が来るかのような物言いだ。
そんな日が来るかもわからないのに。
この子たちにも社長にも、いつか本当の事を話さなきゃな。と思ったら胸が痛んだ。
「万理さん…」
「ん?」
「奈々美さん、来てくれますよね…?」
不安そうにそう言った陸くんに、真実を言えるはずもなく、俺は、きっと来てくれるよ。なんて、自分の願いも込めて返すしかなかった。
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万理の家を飛び出して早1週間。
勢いで飛び出した私は次の仮住まいなんか決まってるはずもなく、仕方なくホテル暮らしをしていた。
念のため元々住んでいた家の大家さんに連絡したが、まだ住めるようになるには時間がかかるらしい。幸い、ホテル代は入居の時に契約した保険から負担してくれるとの事で、ならもうホテルでいいや。と、今に至る。
あの日、まさか1日に2人の男性に迫られるなんて思ってもいなかったし、そのうちの1人が万理だったなんて今でも信じられない。
クズだなんだと言いながらも、私は万理を信じていたのだ。
それと同時に、諦めていた。
きっと万理は私のことを本気で好きになんてならないし、本気で抱きたいなんて思わないだろうと。
だからこそ、同窓会の日の夜の切なげに私の名前を呼ぶ声や、泣きそうな顔の意味がわからなかった。そして、もしかしたら。なんて勘違いしそうになった私の目を覚まさせたのは万理自身だった。
『おまえまさか、あいつとヤったの?』
『なんだ、おまえもその気だったんだ』
『誰でもいいなら、好きだった男に抱かれたほうが満たされるんじゃない?』
あの日万理に言われた言葉たちが頭を駆け巡り、それをかき消すように私は頭を振る。
なによりも、万理に"そういう女"と一瞬でも思われた事が悲しかった。それまで何度万理にキスをされても押し倒されても、本気で嫌だと思った事は無かったのに、あの日あの時だけは本気で嫌だと思った。
今まで抱いてきたその辺の女と一緒にしないで欲しかった。そしてなによりも、好きって言って欲しかった。
約束を守れなかった罰なのだろうか。
言葉にしなかったにしろ、結果的に私は彼が一番嫌うであろう"面倒くさい女"に成り下がってしまったのだ。
これ以上一緒にいたら、万理に嫌われる。
そしてあの時瞬時に頭を過ったのは、私の思い描いていた最悪の結末だった。それだけは嫌だと、万理から離れるためについた嘘は、結果として"恋人ごっこ終了"という真の最悪の結末を招いたのだった。
「本当にもう、終わっちゃったんだよね…」
ベッドに横たわりながら万理とのラビチャの画面を眺めるとそこには1週間前、私が万理の家を出た直後に送られてきた『ごめん』というメッセージが表示されていた。
何が"ごめん"なのかなんて今更聞く勇気は、私にはもう無い。
喫煙可のこの部屋に、元々置かれていた灰皿を見て、なんだか無性に泣きたくなった。
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