素っ気ないけど優しい




−バンちゃんがぶっ倒れた



ホテル生活にも慣れてきたある日の仕事終わり。
四葉環からのラビチャを見て思わず、えっ?!と声をあげてしまった。同僚や先輩から、どうしたの?と尋ねられ、慌てて何でもないです!と伝えながら、荷物をまとめ始める。

万理が倒れた?なんで?

動揺で少し震える指で、何があったの?とだけ返信して、私は足早に会社を後にした。
電車の方が早いかな。それともタクシーの方が…?そこまで考えて私は足を止めた。

「いや、私に行く資格なんかないじゃん…」

だって、もう彼女でもなんでもないし。そもそも最初から彼女じゃないし。万理だって困るだろうし。そんな事うじうじ考えていたら四葉環から返事が来て、その内容に思わずため息をついた。
それから、タクシーをつかまえて私は万理の家へと向かう事にした。





返しそびれていた合鍵でゆっくりと鍵を開けて中に入る。
小さな声で言った、おじゃまします。には勿論返事はなくて、それにどこか安心しながら靴を脱ぎリビングに足を進めた。
一番最初に、ソファの上に脱ぎ散らかされたスーツが目に入った。そして次にキッチンに放置されているお弁当のゴミとビールの空き缶と、大量の吸殻が目に入って思わず顔を潜める。

四葉環によると、万理はここ数日間働き詰めだったらしい。毎日遅くまで残業している姿がよく目撃されていて、みんなが心配していた矢先の出来事だったそうだ。
四葉環は、ぶっ倒れた。なんて言っていたけれど、正確には『俺らのリハ中、ふらふら〜ってしてて、そんでしゃがみ込んで動けなくなってた』らしい。
そして暫く休んだ後、もう大丈夫ですよ。なんて血の気のない顔色のまま、みんなに無理やり作った笑顔を向けた万理は、音晴さんの命令で強制的に帰宅させられたのだとか。

ベッドで寝ているであろう万理の様子を見に行こうとして、思いとどまった。
心配だけど、多分顔を見たら帰りたくなくなってしまう。それに、万理が起きた時、私がいたらよく思わないかもしれない。
そんな考えが頭をよぎって、私は大人しく脱ぎ散らかされたスーツとキッチンに散らかったゴミを片付け始めた。






「…これくらいあればとりあえずいいかな」


タッパーにおかずを詰めながら、何してんだろう。と今更になって自分自身の行動に呆れてしまう。残業が続いての睡眠不足もそうだろうけど、万理は多分ここ数日ろくな食事を取ってないんだろう。
先ほどのキッチンの荒れ具合からしてその予想は的中だったようで、スーパーに寄ってきてよかった。と言う気持ちとともに、お節介だったかも。と今更になって後悔も出てきた。
山のように溜まっていた洗濯物を詰め込んだ洗濯機の音だけが、部屋に響く。


「…帰ろ」


誰に言うわけでもなく私はひとりそう呟き、万理の家を後にした。






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やってしまった。
ぐにゃりと歪んだ視界の中、頭の片隅でそう思った。


ここ数日、ろくに食事も睡眠も取らずに働き続けたつけが回ってきたようで、事務所のレッスン室でのライブのリハーサル中、俺はひどい目眩に襲われた。
体調管理は得意だったはずなのに。
みんなの心配する声を聞きながら、自分の情けなさにため息が出た。暫く事務所のソファで横になっていたが、結果として社長に帰宅命令を出され、俺は大人しく帰宅したのはおそらくつい数時間前のこと。

それからどれくらい寝ていただろうか。
多分、思ってるよりもずっと短い時間なんだろう。ぼんやりとした意識の中で、トントンと何かを切っている音が聞こえた。直後聞こえてきた、何かを焼く音に、思わず腹の虫が鳴った。
最近、お弁当の残りを日々の食事にしていた俺にとっては久々に聞く音だった。
更に遠くで洗濯機の音も聞こえて、そう言えば洗濯物溜めてたっけ。なんて考えながら再び目を閉じる。

気付いたら眠ってしまっていたが、これまた短い時間なんだろう。先程と同じく、何かを切っている音が耳に入ってきた。

そして段々と眠気が覚めてきた頭で、誰が居るんだろう。とぼーっと考え始めた。
そんな疑問を抱くと同時に思い浮かんだその姿を、いや、そんなまさか。とかき消すが、冷静に考えて俺の家の鍵を持ってるのは俺と、あいつしか居ない。
都合のいい話だとはわかってるけど、期待してしまう自分が居て、俺はゆっくりと起き上がりリビングへと続く扉を開けて目を見開いた。





「…紡さん?」
「万理さん!体調はいかがですか?」


そこにいたのは、思い浮かべていた人ではなかったから。
どこかがっかりしている自分に呆れながら、同じ小鳥遊事務所で働く後輩である彼女がなぜここに?と首を傾げる。


「もう大丈夫だよ、ありがとう。えっと、紡さんは…」
「勝手にお邪魔してすみません。父…社長から、心配だから様子を見てきてくれとのことで」


あぁ、なるほど。と納得した。そう言えば、以前…と言っても俺が小鳥遊事務所に入社してすぐ、高熱を出して野垂れ死そうになった時に、同じことが二度と無いように!と社長に合鍵を奪われたのを忘れていた。言い方は悪いけれど、あれは奪われたという表現が一番しっくりくる。


「軽く食べられそうなもの作ったんですが、食欲はありますか?」
「ありがとう。いい匂いで目が覚めたんだよ」

いただこうかな。と言いながら、冷蔵庫から水を取り出そうとして、俺は手を止めた。


「万理さん?」
「…このおかずも紡さんが?」
「いいえ。私はこの雑炊しか…。何かありました?」
「いや、なんでもないよ」


そう言いながら俺は、タッパーに貼られたメモを、くしゃくしゃに丸めてポケットにしまった。
そこに書かれていた『ご飯はちゃんと食べなさい!』という文字が、彼女の声で再生されてしまう前に。



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