そして暗転
環くんと話をした日から数日が経った。
私は以前のようにIDOLiSH7の現場に入るようになり、環くんとの距離感も戻りつつある中、割と大きな出来事がひとつ。
「えっ?山田くん、辞めちゃうんですか?」
「あぁ。他にやりたいことができたとかで、今月いっぱいでって。お前がTRIGGERの現場に行ってる間に話があってな」
事務所出勤の今日。珍しくオサムさんにランチに誘われたかと思えば山田くんが今月いっぱいで辞めてしまうと聞かされた。試用期間で辞めてしまう人は少なくはないけれど、仕事熱心な彼が辞めてしまうとは、少し驚きだった。
「残念ですね…」
「まぁな。でも、お前が向こう行ってる時もちょいちょい休んでたから、予感はしてたけどな。今日も休みだし」
「そうだったんですか…」
最後にちゃんと挨拶できるかな。なんて考えながら箸を進めているとオサムさんが、そんなことより。と再び口を開いた。
「お前、大丈夫か?」
「え?」
「あぁ、いや…あの日環くんとなんかあったろ」
あの日、というのはおそらく私がTRIGGERの現場に行く前の最後の撮影の日。つまり環くんに告白された日の事だろう。
「ありましたけど…。もう大丈夫です」
「そうか、ならいいけどな。お前は一人で抱えるタイプだから」
お兄ちゃんは心配だよ。肩を竦めながらそう言うオサムさんの言葉に、私は思わず声をあげて笑ってしまった。
「オサムさんは、どちらかと言えばお父さんって感じですけど」
「誰が老けてるって〜?」
「そんなこと言ってませんよ!ちょっ、髪の毛ぐしゃぐしゃにしないでください〜!」
力一杯私の頭を撫でていたオサムさんは、ふっと笑いながらその手を止めた。
「まぁ、なんかあったらいつでも相談しろよ」
「…はい」
「それはそうと、今日俺17時には帰るからあとよろしくな」
そういえば、ホワイトボードにも書かれていたかもしれない。何か用事があるんですか?と尋ねれば、オサムさんは照れ臭そうに、スマホの写真を見せてきた。
「今日、娘の誕生日なんだよ」
「え!そうなんですか?!それはもう、早く帰ってあげてください!」
絶対!と付け加えて詰め寄ればオサムさんは、ありがとな。と笑った。その笑顔はやっぱり、お兄ちゃんというよりお父さんの顔だった。
オサムさんとのランチを終えて事務所に戻ると、先輩が血相を変えて私の元へとやってきた。
「奈々美ちゃんのデスクが…!」
「え?」
そう言われて彼女に連れられ自分のデスクに足を向ければ、デスクの上は大きな地震でもあったのかと思うくらいに荒れていた。
なんでも、先輩が少し席を外して戻ってきたらこの有様だったらしい。
とは言え、貴重品は持ち歩いていたし特に盗られて困るものは置いていなかったはずだ。
「俺は一応重要書類とか確認してくるな。お前らもなんか盗られたものが無いか確認しておけよ」
オサムさんの言葉に返事をし、謝り続けてる先輩に大丈夫ですよ!と声をかけてデスクを片付けていると、散りばめられた書類の下に白い封筒を見つけて血の気が引いた。
なんで、ここに…?
震える手でその封筒を開けば、そこにはまた写真が入っていて、手紙も同封されている。
早鳴る鼓動を落ち着かせながら、その封筒を鞄へと仕舞おうとして気が付いた。
家の鍵がない。
盗られた…?でも、今日慌てて家を出たから置いてきたのかもしれないし、来る途中に落としたのかもしれない。物が物だけに、変に大事にするのも気が引ける。
でも、何かあったら言えって言われたし…。そんな事を考えながらデスクの片付けをしていると、オサムさんが再び私の元へとやってきた。
「こっちは大丈夫だったわ。お前達は?」
大丈夫だったか?という問いかけに、言うなら今しかないと思いながらも、私は先ほどのオサムさんの言葉を思い出して私は口を噤んだ。
『今日、娘の誕生日なんだよ』
もしここで、鍵がないなんて言ったらオサムさんはきっと仕事を後回しにするだろう。そしたら予定の時間に帰れないかもしれない。
そう思ったら、この言葉しか出てこなかった。
「こっちも、大丈夫でした」
19時、一応決められている退勤の時間。
早々に事務所を後にした先輩を見送り、私は大きくため息をついた。
「はぁ…どうしよ…」
仕事も切りがいいところまで終わったし、いつもならすぐに帰るのだけれど、今日は事情が事情だけにすぐに席を立つ気になれなかった。
気を紛らわせるためにスマホを確認すれば、新着のラビチャが2通。
1通は環くんから、今日現場でもらった限定の王様プリンの感想が写真付きで送られてきていた。無意識のうちに笑みを零しながら返信をする。
もう1通は八乙女さんからで、今日の夜暇か?という一文の後に飲みのお誘いが続いていた。
なんでも、この間の打ち上げでまともに話せなかったから、ゆっくり話そうぜ!との事だった。
鍵の事は心配だけれど、折角のお誘いだし…。と、私はそのラビチャに、今日大丈夫です!と、返信をすればすぐに返事が来た。
-20時頃、お前ん家に龍が迎えに行く。
家というワードに慌てて、事務所じゃダメですか?と送れば、あんな都心の真ん中で待ち合わせする気かよ?と返事が来て、何も言えなくなってしまった。
とは言え、鍵を置いてきてしまった可能性もゼロではないし、とにかく確認のためにも私は一度家に帰ることにした。
そうは言ってもなかなか勇気が出ず、いつもより自然と歩みが遅くなり自宅に着いたのは20時ちょっと前。十さんが来る前に確認だけでもしなくては。と、震える手でドアノブを引けばすんなりとドアが開いた。それと同時に、やっぱり置いてきてたのか。と安堵の息を吐く。次から気を付けなきゃと思いながら家の中に入って、私は足を止める。
暗い部屋の中から、物音が聞こえたのだ。
「だっ、誰か居るんですか…?」
私の呼びかけと共にその物音は止まった。
恐る恐るリビングへ続く扉を開けた瞬間、目の前に人影が現れた。私は悲鳴をあげそうになった口元を抑えられ、そのまま床へと押し倒された。
頭を打ち付けたのだろうか、朦朧とする意識の中で、目の前の人の荒い息遣いと、少し遠くに十さんの声が聞こえた気がした。
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