君らの未来に幸あれと
雨の中、ずぶ濡れになりながら歩いている後ろ姿になんとなく見覚えがあった。
本人だと気付いたのはモモが運転している車が彼女の横を通り過ぎてからで、止めて。という僕からの突然の注文を、モモは文句を言わず受けてくれた。
「どうしたの?」
「あれ、万の彼女だ」
え?!と驚きながら振り返るモモに、拾っていい?と尋ねれば、ちゃんとバンさんに返すなら。と、じと目で言われて思わず吹き出した。
窓を開けて声をかければ、私に構わないでと言わんばかりに不機嫌な表情を浮かべている奈々美ちゃん。その頬を伝うのが雨だろうが別の何かだろうが僕には全く関係ない。
でも直感的に、これは万と何かあったと踏んでその名前を出せば、彼女は大人しく僕に従って後部座席に乗り込んだ。
奈々美ちゃんがモモの存在に気付いたのは、モモがカバンからタオルを取り出して彼女へと手渡した時だろう。
その顔には、やってしまった。と書いてあって僕はまた吹き出した。
やっぱり降ります。なんて言う奈々美ちゃんの言葉を無視して僕の家へと向かったったのがつい30分前。彼女は今お風呂に入っていて、部屋には僕とモモだけだ。
「奈々美さん、どうしたんだろね?」
ぽつりと溢したモモは、そう言いながらお肉を焼き始めた。それに対して僕は、さぁ。とだけ返して、ちょっと電話してくるね。とベランダへと足を向けた。
にやける口元を隠すことなく、スマホからお目当の名前を見つけ出し発信ボタンを押す。
見つけ出すと言っても、だいたいいつもモモかおかりんか彼の名前がラビチャの一番上にあるから探すも何もないのだけれど。
そんな事を考えながら彼が出るのをただ待つも、一向に出る気配がない。一度切ってその後すぐかけ直せば、『…もしもし?』と不機嫌な声が聞こえてきた。
「なんだかご機嫌斜めだね」
『用がないなら切るぞ』
「用はないけど、面白い話はあるよ。帰り道面白いものを拾ったんだ」
僕の突飛押しもない話に電話の相手、万は呆れたように、何をだよ。と呟いた。それと共にプシュッという音も聞こえて、やけ酒?飲まない方がいいと思うけど。なんて思っていたら、ベランダの窓がカラカラと音を立てて開いたのがわかった。
あーあー、もうちょっとじわじわと攻めていこうと思ったのに残念。と、口元を緩ませたまま僕はため息を吐く。
「ねぇ、ユキ。このシャツ大きいんだけど、他に…って、ごめん。電話中?」
返事の代わりに電話をひらひらと見せれば、じゃあ後でいいや。と去っていった奈々美ちゃんに、いい仕事するね。と心の中で呟きながら、電話の向こうで固まっているであろう万を想像して更に口角が上がった。
「この雨の中、傘もささずにいたから拾っちゃった。奈々美ちゃん」
そう言った自分の声が思ったより楽しげで、思わず吹き出しそうになるのをなんとか我慢する。すると不機嫌と焦りが入り混じっているような、そんななんとも言えない万の声が聞こえた。
『…どういうことだよ』
「そのまんまの意味。なんか万には会いたくないみたいだから、一晩預かっとくね。まぁ…返さないかもしれないけど」
なんてね。と心の中で付け足して、そのまま万の言葉を待たずに電話を切る。どうせすぐかけ直してくるだろうけど、それで繋がっちゃうんじゃ面白くない。
万はもっと自分に素直になるべきだ。
万に言ったら、お前が言うな。とでも返ってきそうだなんてくだらない事を考えながら、僕はスマホの電源を切った。
どんどん不機嫌になればいい。そして、彼女が置かれている状況を想像して焦ればいいんだ。万が奈々美ちゃんの事を"本当に"好きなのなんて側からみれば一目瞭然だし、本人だってずっと前から自覚してるくせに、何をそんなにぐずぐずしてるのさ。
真っ暗になった画面に向かって、心の中でそう問いかけながらリビングへと戻れば、興奮気味なモモにモモリンを押し付けられてる奈々美ちゃんがいた。
「…こっちはこっちで面倒くさそうなんだよな」
思わず口にしていたその言葉に、あ。と口を抑えるも、どうやら2人には聞こえていなかったようだ。
さて、どうやって攻めていこうかな。なんて再び口角を上げながら、僕は空いている席へと腰を下ろした。未だに興奮気味のモモを落ち着かせ、早速本題に入ることにした。
「万と何かあった?」
「いや…別に…」
気まずそうに右耳に髪をかけながらそう言う奈々美ちゃんに、振られでもしたのかと思った。と言えば彼女は図星をつかれたような顔をした。
なんだ、結構わかりやすいじゃない。
一向に喋ろうとしない彼女を眺めていると、暫く続いた沈黙を破ったのはモモだった。
「あ〜!オレちょっと甘いもの買いにコンビニ行ってくる〜!」
気まずい空気に耐えられなかったのか、そう言って足早に部屋を出て行ったモモに、気を付けるんだよ。と声をかけた後、僕はモモの背中を見送っている奈々美ちゃんに、で?と話をかけた。
「いや、話すことは何も…」
そう言ってまた右耳に髪をかける姿をみて、癖なのかな。なんて思いながら、折角シャワーと着替えを貸して、食事を用意してあげたのに。と肩を竦めれば再び黙った彼女をじっと見つめる。
僕の視線から逃げた奈々美ちゃんに、知ってると思うけど。と話を始める。
「万、少し前に倒れたでしょ」
「…そう、だね」
「昔からの仲なら知ってると思うけど、万が体調管理できないなんてよっぽどの事じゃない?」
万は昔から体調には気を使うタイプだった。
曲作りに夢中になって食事や睡眠を取らない僕は、万によく叱られていた。そんな彼が忙しさを理由に体調管理を怠るわけがないと、僕も、そして多分奈々美ちゃんも知っている。それなのに、忙しかったんでしょ。なんて、その一言で終わると思ってるの?
「悪いけど、僕は真っ先に君が原因だと思ったよ」
あの万が、他人が原因で調子を崩すなんて今まででは考えられなかった。それでも、あの日万が倒れたと聞いた時、僕の頭には真っ先に奈々美ちゃんの顔が浮かんだ。
それは多分、飲みの席で彼女について本気なのかと尋ねたときの万の表情が忘れられなかったから。
今まで何度も万とその彼女(たまに自称の子も居たけど)と会ってきたけれど、あんな万の表情は見たことがなかった。
惚れてるというよりは大切で、好きというよりは愛してるなんだろうな。なんて、その時まるで歌詞にありそうな言葉が同時に浮かんできたけれど、あながち間違っていなかったのかもしれない。
僕の視線に身構えた奈々美ちゃんを眺めながら、そんなことを思った。
「別に責めてるわけじゃないさ。ただ、何があったか知りたいだけ。万を大切に思ってるのは君だけじゃないからね」
万はみんなから愛されてる。僕も百も、それから勿論IDOLiSH7のみんなだってそうだ。
だからこんなバカらしいことで悩んで欲しくない。
心当たりがあるのか無いのか、顎に手を当てながら眉を潜めている奈々美ちゃんの言葉を待つ。
「…万理が倒れる少し前に、別れたの」
予想通りの言葉に、だと思った。と返せば、別れたというのも本当はおかしいのだと言い出した奈々美ちゃん。その言葉の指す意味を、僕は最初から知っていた。
「元々付き合ってなかったんでしょ?」
僕の言葉に驚いた様子の奈々美ちゃんだったけれど、その後諦めたように全てを話してくれた。
万に恋人のふりをして欲しいと頼まれたこと、彼女も万を利用してたこと。そして、本気にならないと約束したこと。
くだらない約束だ、なんて思ってしまった。
そんな約束をしてる時点で、お互いその気がゼロではないじゃないか。それと同時に思わず笑ってしまった僕に、眉を寄せた奈々美ちゃんは、やっぱり面白いと思う。
そんな奈々美ちゃんにもうわかりきってる質問をする。万の事好きになっちゃったの?なんで好きになっちゃったの?久々に会ったらかっこよく思えちゃった?その質問に淡々と返していく奈々美ちゃんが、万のかっこいいところは顔だけだなんて言い出した時は暫く笑いが止まらなかった。
僕がやっと落ち着いた頃、玄関が開く音と2人分の足音が聞こえた。
何やら考え事をしている奈々美ちゃんは気付いていないようだ。
素直になれない2人に、優しい僕が引導を渡してあげよう。
「奈々美ちゃんは万とどうなりたいの?」
「どうって…」
「付き合いたいとかないの?好きなんでしょ?」
玄関からリビングへ続くドアのドアノブが少し動いて止まったのがわかった。
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「もう話終わってるかな〜…」
はー…。と誰もいないエレベーターの中にため息が響く。手に持ったビニール袋の中からモモリンを取り出し、乾いた喉を潤しながらスマホに目を向ければ、ユキの家を出てからそこそこ時間は経っていた。
奈々美さんを一目見た時、バンさんとお似合いだな。なんて思った。オレとユキに媚びないのもいい。
でも雨の中濡れながら歩いてたあたり、ユキの言う通りバンさんに振られでもしたのだろうか。
他人事ながら、それはなんかやだな。と思うと同時に、ユキが変なことしてませんように。と心の中で祈る。
エレベーターが目的の階について、もう帰っていいものかと、ユキの家の鍵を手に廊下をのんびり歩いていると、真後ろにあった階段へと続くドアが勢いよく開いた。
「ひっ…!?」
何?!と悲鳴を上げながら振り返れば、そこにはよく知る人物が肩で息をしながら立っていて、オレと目があった瞬間その人はしゃがみ込んでいた。
「えっ?!バンさん?!」
「はぁ…はぁ…モモくん…?」
顔を上げたバンさんに、大丈夫ですか?!と駆け寄れば、バンさんは眉を下げながら少し笑ったあと、めちゃくちゃ噎せた。
「あー…大丈夫。ごめん、ちょっと…ユキに、用があるから…」
未だに息が整ってない状態でそう言ってオレの手からユキの家の鍵を取り、オレの横を足早に通り過ぎるバンさん。その背中を慌てて追う。いや、別にやましい事は何も無いし、やらしい事はして無いと思うんだけど、100%バンさんの話をしてると思う。
「ちょっ、待ってくださいバンさん〜!」
オレの声を聞かずにユキの家に入っていくバンさんが、リビングへ続くドアのドアノブに手をかけたと同時に、ユキの声が聞こえた。
「奈々美ちゃんは万とどうなりたいの?」
その言葉の後に、どうって…。と言う奈々美さんの声も聞こえて、バンさんの動きが止まった。
あぁ、やっぱこう言う話してたのか…。とバンさんの様子を伺うも、後ろ姿からは何もわからない。
「付き合いたいとかないの?好きなんでしょ?」
「…好きだよ。でも、万理が私の事を"そういう意味"で好きになる事はないってわかってるから」
もういいの。その言葉を聞くと同時に、ドアノブを握ってたバンさんの手に、ぐっと力が入ったのがわかった。そしてバンさんはゆっくりとドアを開いた。
「じゃあ、全部万次第なんだ?」
「…まぁ、でも無いでしょ。さっきも話聞かないで大声あげながら出てきちゃったし、私もう嫌われてるんじゃない?」
「へぇー…。そうなの?万」
この間、まだバンさんの息が整いきらないくらいの僅かな時間だったけれど、2人の今の関係がなんとなくわかってしまって、一方的に気まずくなってしまったオレを他所に、バンさんは奈々美さんの元へと足を進めて彼女の腕を掴んで立たせた。
「…帰るよ」
「えっ?ちょっ…!離してよ!」
ただ一言だけ呟いたバンさんに、抵抗虚しくずるずると引かれていく奈々美さんが、ばっ!と勢いよく振り返って、オレとユキに助けを求める。
ちらっとユキを見やれば、にこにこと笑みを浮かべていた。
「ユキっ!ちょっと、どう言う事?!」
「なにが?」
僕は知らないよ。と笑みを濃くしたユキ。ただ楽しんでるだけに見えて、本当は2人の事いろいろ考えてたんだろうななんて思ったら、その笑顔がめちゃくちゃイケメンに見えた。いや、いつもイケメンなんだけど。
「なっ…!もう、離し…!」
そんな事を思っていたら、奈々美さんの言葉が不自然に切れた。そして、んっ…!とくぐもった声が聞こえ、まさかと思いながらも反射的に2人の方に目を向ければ、バンさんの顔が奈々美さんの顔から離れていったところだった。やだ、バンさんってば大胆!なんてオレが口元を覆うと同時に、今度はバンさんが奈々美さんを抱き寄せた。バンさんの胸の中で奈々美さんは未だにその胸を叩いて抵抗してる。猫みたいだななんて何となく思った。
「返してもらうから」
気付いたら玄関の前まで足を運び、廊下の壁に寄りかかっていたユキの後についていけば、バンさんは淡々とそう言った。
「いいよ。僕には必要ないし」
ほら、早く行きなよ。と手を振ったユキの言葉に何も言わず、バンさんは奈々美さんを連れて出ていった。
ドアが音を立ててしまったと同時に、モモ。とユキに名前を呼ばれてオレは首を傾げた。
「お礼は何にしようかね」
「え?あぁ。んー、そうだねぇ…4人で焼肉かなぁ」
「お肉かぁ」
ま、いいかもね。と笑ったユキには、どうやら2人がうまくいく未来しか見えてないらしい。
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