誰もあなたには敵わない
「万理さん、よかったらこれどうぞ。クッキー作ってきたんですぅ」
語尾にハートがつきそうなほど甘ったるい声が事務所に響く。ありがとうございます。といつも通りの笑顔で返す大神さんと不意に目が合って、私は慌てて目を逸らした。
彼、大神万理は女性社員からとても人気だ。いつも優しくて、頼れる存在で、私も密かに想いを寄せている。
そんな彼に猛アタックしている女性社員が、クッキーを配り歩いている彼女、鈴木さんである。
数ヶ月前に入社した彼女は元々モデルをやっていたらしく、とても綺麗で派手なタイプだ。
そんな彼女は、なぜか私のことを毛嫌いしているようで、入社から数週間は懐いてくれていたのに、ある時期を境に私への態度が激変したのだった。今日もきっと、私の分のクッキーだけ用意されていないのだろう。別に要らないけど。
「あれー?片瀬さんの分、お家に置いてきちゃったみたい。ごめんなさい」
そう言ってにこっと笑う彼女の目は笑っておらず、私はいろんな意味で苦笑いを溢してしまう。絶対わざとだろ。なんて心の中で呟きながら、大丈夫ですよー。と笑ってやり過ごす。
その後、お手洗い行ってきまーす!なんて言いながら出て行った彼女を見送ってため息をついた。
そう言えば、彼女の態度が激変したのは『大神さんと鈴木さんはどうやら付き合ってるらしい』と社内で噂が流れ始めた頃からだったかもしれない。私が大神さんに密かに想いを寄せてる事がバレて、気を悪くしたのかもなんて仮説が頭に思い浮かんだ。
私は大神さんの近くに居られるだけで幸せなのに。そんな事を思いながら大神さんを盗み見れば、再び目が合い、心臓が跳ねる。
そしてそのタイミングで、大神さんが私の席までやってきた。
「奈々美さん」
「あっ、大神さん。お疲れ様です」
「お疲れ様です。急なお願いで申し訳ないんですが、この一覧にある商品の先月の売り上げのデータをまとめていただきたくて…。明日の朝までにお願いできますか?」
俺、今日戻り遅くなりそうで。そう言って眉を下げた大神さんに、胸がきゅんっと音を立てた。
今日までの仕事が何個かあるけれど、少し残業すれば明日の朝までには仕上げられるだろう。大丈夫ですよ!と返し、手渡された資料を受け取ろうとしたと同時に、鈴木さんがお手洗いから帰ってきて話に割り込んできた。
「あっ、お仕事ですかぁ?私も手伝いますよ!片瀬さん、とーってもお忙しいみたいなので!」
「え?いや別に…」
「…そうですか?それじゃあ、2人でいい感じに分担してください」
よろしくお願いします。と言って自席に戻った大神さんは、あっ。と何かを思い出したように、再びこちらに戻ってきた。
「奈々美さん、よかったらこれどうぞ」
「あっ!ありがとうございます…!」
差し出されたのはコンビニ限定のカフェオレ。しかも、今集めてるおまけの王様プリンのストラップ付きだった。
大神さんからの差し入れと言うだけで嬉しいのに、それが好きなもので思わず笑顔になる。
「えー、片瀬さんこんなの集めてるんですか?子どもっぽーい!」
「えっ、あ…そうですかね…」
「好きなものがあるのはいい事ですよ。環くんもよく、ななみんは王様プリン仲間だー!なんて、奈々美さんの話をしてますよ」
笑顔でそう言った大神さんの言葉に鈴木さんは、そうなんですかぁ〜!!環くんと仲良くなれるなら私も集めようかな!なんて返していて、よくもまぁそんな下心曝け出せるな。と感心した。
「まぁ、環くんにわかには厳しいみたいですけど。じゃあ、俺これからMEZZO"の現場に出ますので、あとよろしくお願いします」
そう言って事務所を後にする大神さんの背中を見送った後、彼女は舌打ちをしながら私の手から資料を黙って取り、目を通した。
しかし、面倒だと判断したのか、資料を私のデスクに放り投げて自席に戻って行く。
感じ悪っ…。と心の中でため息をつきながら、私はとりあえず心を無にしてやりかけの仕事に戻ったのだった。
「はぁ〜…終わった。あとは大神さんに任された仕事だけか」
定時1時間前に今日までの仕事を終わらせ、大神さんから任された仕事に取り掛かる。と言っても、そこそこの量があって、これから1人でやるには骨が折れそうだ。
ちらりと彼女のデスクに目をやるも、彼女はこちらを一切見ようとしない。手伝って欲しいと頼んでも、どうせ嫌な態度取られるのだろう。それなら、と私は1人仕事に取り掛かった。
気が付いたら定時をすぎていて、事務所には私と鈴木さんの2人だけになっていた。
「あの、帰らないんですか?」
「万理さん待ってるんで」
特に仕事をしている様子もない彼女になんとなく声をかければ、笑顔と共に返ってきた彼女の言葉。それに、そうなんですか。と返しながら内心落ち込む。
わざわざ待ってるって事は、2人は付き合ってるって噂は本当なんだ。あんなに素敵な人なんだから彼女が居てもおかしくないとは思っていたけれど、よりによって鈴木さんだなんて。そんな事を考えていたら事務所のドアが開いた。どうやら大神さんが帰ってきたようだ。
「あっ、奈々美さん、お疲れ様です」
「お疲れ様で…」
「あ〜!!万理さん、お疲れ様ですぅ〜!」
私の声を遮った鈴木さんの声に、大神さんは驚いたように瞬きを数回した後、ぽりぽりと頬を掻いた。
「あれ?鈴木さんもまだ残ってたんですか?」
「万理さんを待ってたんですぅ。ラビチャ届いてませんか??この前言ってたバー、連れてってくださいよぉ」
そう言って大神さんの腕に絡みつく鈴木さん。そんな光景が見てるのが辛くて私はパソコンに目を戻す。
私は見てるだけで幸せだからいいんだなんて、何度も心に言い聞かせながら、キーボードを叩いた。
本当は私だって…。と、不意に生まれた生まれた醜い感情をカフェオレを流し込んで落ち着ける。
いつもは甘いと感じるカフェオレが、今日はほんの少し苦く感じた。
「あぁ、いいですよ。じゃあ奈々美さんも一緒に…」
「片瀬さんはお仕事まだ残ってるみたいなんでぇ。私何回も手伝いますって言ったのに、1人でやりますから!とか言って、手伝わせてくれないんですよぉ」
そんな事一言も言ってないんですけど!と声を上げたくなるのを我慢する。こちらを見た大神さんの顔が曇ったのがわかった。大神さんは鈴木さんの味方につくんだろうな。だって彼女だもんね。なんて考えたら胸が痛んだ。
「そう、なんですか…。わかりました。じゃあ行きましょうか」
「やったー!じゃあ片瀬さん、私達はこれからデートなので、お先失礼しまぁす!」
「…お疲れ様です」
私の声を最後に、バタン。と音を立てて閉まったドア。
バーか…お酒を飲むって事は、そういう事をするのかもしれない。そもそも付き合ってるなら、当たり前なのか…。
「いやいや!なに考えてるの、仕事に集中!」
誰も居ないのをいい事にぱちん!と両頬を叩き、画面を見据える。
私のため息と、無機質なタイピングの音だけが事務所に響いた。
「嘘でしょ!なんでこのタイミングでフリーズするの?!」
あれから1時間後、あと少しで終わるというタイミングでパソコンがフリーズした。保存はこまめにしていたから、データは大丈夫なはず!!と思い切ってパソコンを強制終了させる。
モニターがプツンと切れた切れたと同時に私の集中力とかそんなんも全部切れてしまい、そのまま机に突っ伏す。
「…はぁ」
何度目かわからないため息が出て気分が落ちる。今頃2人は何をしてるんだろうかなんて考えて、更に気分が落ちる。どこまで落ちれば気が済むんだというくらいに気分が落ちまくったせいか、つい本音が溢れた。
「私だって、大神さんとデートしたいのに…」
「奈々美さんならいつでも大歓迎ですよ」
ひとり言に返事が返ってきて私は勢いよく体を起こす。そこにはカフェオレを手にした大神さんが、笑顔で立っていた。
「なっ?!大神さん?!きゃっ!」
「えっ!大丈夫ですか?!」
驚きのあまり椅子から滑り落ちた私は、尻もちをついた。好きな人の前でこんなの、恥ずかしすぎる…。恥ずかしさと鈍い痛み、それからいろんな感情が一気に押し寄せて涙が出そうになる。
私の目線に合わせてしゃがみ込んだ大神さんはそれに気付いたのか、眉を下げた。
「どこか痛めました?」
「だっ、大丈夫です。それより、なんでここに…?バーへ行ったんじゃなかったんですか…?」
大神さんに差し出された手を無視して自力で立ち上がり、お尻をはたきながらそう言えば大神さんは、行きましたよ。と、けろっとした顔で言い放った。
「じゃあなんで…」
「奈々美さんの事が気になったので」
「えっ?」
大神さんの言葉に単純な私の心臓は高鳴る。
いやいや、ただ単に頼んでいた仕事が終わってないから気になったって事だろう。
大神さんには鈴木さんという彼女が居るんだし、変に期待はしない方がいい。そう自分に言い聞かせながら椅子に座り直す。
「鈴木さんはどうしたんですか?」
「あぁ、強めのお酒を飲んだみたいなので、タクシーに乗せて帰らせました」
「付き合ってる女性に対して、それは…」
「付き合ってる?」
誰と誰がですか?と首を傾げた大神さんに、今度は私が首を傾げた。
「大神さんと…鈴木さん、です…」
「付き合ってませんけど…」
「別に隠さなくてもいいんですよ。みんな、知ってる事、なので…」
やばい。と思った時には手遅れで、デスクの上に涙が落ちて慌ててそれを手で隠す。
あぁ、最悪だ。どんだけ情緒が不安定なの今日の私。自己嫌悪に押し潰されそうになっている私に追い討ちをかけるように、頭上で大神さんが、参ったな…。と呟いた。
「すっ、すみません、大丈夫なので」
「違うんです、奈々美さん。こんな事になるならもっと早く伝えるべきだったなと」
「…やっぱり、付き合ってるん、ですね」
「いいえ。俺が好きなのは奈々美さんですよ」
大神さんの口から出た衝撃的な言葉に、涙と呼吸が止まった。え?と呟きながら大神さんへ顔を向ければ、そこには困ったように笑っている大神さんがいた。
どくどくと自分の心臓の音だけがやたらと大きく聞こえる。
「すみません。もっとストレートにいくべきでしたね」
「へっ、いや、あの、十分ストレート…というか…えっと…」
混乱している私を他所に、大神さんは隣のデスクの椅子に腰をかけて、この仕事。と私の机の上の資料を手に取った。
「奈々美さんと、こうやって2人きりになりたかったから回した。なんて言ったら怒ります?」
「えっ?」
「奈々美さんが今日までの仕事何件か抱えてるのも、この仕事を回したら残業する必要がある事も全部わかってたんですよね」
「そんな…」
「それにこれ、本当は明日のお昼までにもらえれば大丈夫なんです。でもどうしても奈々美さんと2人きりになりたくて、俺が事務所戻ってくる時間に奈々美さんが居るの期待して回しました」
すみません。と頭を下げた大神さんの言葉を、私は未だに理解できずにいる。残業は別に苦じゃないから全く問題ないのだけれど、え、じゃあ大神さんは本当に私の事…?
「俺なりに、気にかけてたつもりだったんですけど、鈴木さんにバレたら、奈々美さんがもっと酷い嫌がらせされちゃうかも。って思ったら、中々思い切った行動取れなくて」
そう言って私のデスクの上に並んでいるカフェオレのペットボトルボトルを、指でトントンっと叩く大神さん。そのうちの1本は日中に大神さんにもらったもの、もう1本は新品で先ほど大神さんが持っていたものだろう。
「いつも飲んでるの見てて、これ好きなんだなーって」
「えっ、私から話したのだとばかり…!」
「奈々美さん、俺とは仕事以外の話あんまりしてくれないでしょ。目が合うとすぐ逸らすし」
だから、ずっと見てました。
そう言ってデスクに頬杖をついて私の顔を覗き込む大神さんの顔が思ったより近くて、椅子ごと離れようとしたけれど、椅子は大神さんの手で抑えられていて叶わなかった。
「また落ちちゃいますよ?」
「いや、あの、大神さん、近いです…」
「あはは、わざとに決まってるじゃないですか」
そう言って更に顔を近付ける大神さん。心臓が爆発しそうなほどの音を立てている。
そんな私にお構いなしに、口角をあげながら私を見つめる大神さんには、いつもの優しい雰囲気はなくて、少しいじわるでちょっとだけ大人な雰囲気を纏っていた。
「おっ、大神さん…」
「俺とデートしたいって思ってくれてるって事は、脈ありだと思ってもいいですか?」
そう言えばあのひとり言の聞かれてたんだった…!いろいろ衝撃的すぎて忘れていた。
「それは、そうなんですけど…。あっ!いやっ、なんでもないです!大神さん、酔ってるんですよね?からかうのはもうやめて…」
「俺一杯も飲んでませんよ」
「バーに行ったのに?」
「お酒の匂いします?」
「えっ…あれ、確かに…しない、かも?」
大神さんの言葉に、言われてみればお酒の匂いはしないし、明日大神さんは朝からMEZZO"の収録があるから車で帰るだろうし、あれ?じゃあ、本当に酔ってなくて、本当に大神さんは私のこと好きなの?
頭の中でまとまらない考えがぐるぐると渦巻いて思考が停止しそうになった頃、大神さんがふっと小さく笑った。
そしていつの間にか後頭部に回っていた彼の腕に引き寄せられて、気が付いたら私は大神さんとキスをしていた。
触れるだけのキスを数回した後、深くなったそのキスは、やっぱりお酒の味なんか全くしなくて、あの言葉は本当なんだと胸がいっぱいになった。
音を立てて離れていった唇に名残惜しさを感じていると、大神さんは首を傾げた。
「ね?お酒飲んでないでしょう?」
私はそれにただ黙って頷くことしかできなかった。そんな私を見て小さく笑ったあと、大神さんはそのまま私の耳元に唇を寄せて囁いた。
「奈々美さん、好きです。俺と付き合ってくれませんか?」
私はその言葉にも、ただ頷く事しかできなかった。
「万理さ〜ん!昨日はすみませんでした、気付いたら家に居たのでびっくりしちゃいましたぁ〜!」
そう言って大神さんの腕にくっつく彼女に、朝からよくやるな。なんて思いながらキーボードを叩く。
あの後本当に付き合う事になった私たち。まだその事を知ってる人が居ないから仕方ないのだけれど、やっぱりあの2人付き合ってるのね〜。なんて経理の人に言われて、苦笑いが溢れる。
「無事帰れてよかったです」
「も〜!次はちゃんと朝まで付き合ってくださいね?」
「あー…次は無いですね」
笑顔で、しかしながらはっきりとそう言い放った大神さんの言葉に、鈴木さんの笑顔がひきつった。
「そんな事言わないでくださいよ〜!」
「こうやってくっつくのも、もう辞めてもらえます?」
大神さんの言葉に今度は事務所の空気が凍った。と言っても、今日は外に出ている人が多いため、事務所に居る人数は多く無いのだけれど。
鈴木さんの腕をやんわりと離した後、こちらに向かってきた大神さんに戸惑っていると、大神さんはにこっと笑った。
え、まさか。と嫌な予感に冷や汗をかいたと同時に、大神さんは私の背後に周り、両手を私の肩にぽんっと置いた。
「俺の大事な彼女に、嫌な思いさせたく無いので」
勿論、いじわるももうしないでくださいね。
そう言った大神さんの声色はとても楽しそうで、きっと頷く事しかできないほど素敵な笑顔を向けているのだろう。
私の予想は当たっていたようで、鈴木さんをはじめとし事務所に居る全員が、一斉に黙って頷いたのだった。
---------
さくら様リクエスト
万理さんとすれ違いからの甘々※一部抜粋
back
novel top/site top