他所用の顔
「前から気になってたんだけど」
「何?」
夜、万理と2人で夕飯を食べている最中、万理は何かを思い出したように、なぁ。と声を上げて私に目を向けた。箸を止め、首を傾げて万理の言葉を待つ。
「おまえって何の仕事してるの?」
「何のって…ただのOLだけど」
予想外の質問にそう返しながら箸を進める私と打って変わって、私の回答に納得がいっていないのか、万理の箸は止まったままだ。
「聞き方変える。どんな会社に勤めてるの?」
「…教えない」
「なんでだよ」
「なんとなく」
私がこれ以上話す気無いのがわかったのか、まぁ別にいいけどさ。と呟きながら箸を進め始めた万理に、心の中で謝る。別に教えるのは全然構わないけど、教えない方が絶対おもしろいから、今は教えない。
「まぁ、近々わかるんじゃない?」
「なんだそれ」
ごちそうさま。と続けて席を立てば、万理が再び私に言葉を投げかけた。
「そう言えば、環くんと陸くんが会いたがってたよ」
「知ってる。四葉環からはしょっちゅうラビチャ来るし。…全然返してないけど」
「ははっ。たまにでいいから相手してやって」
まるで保護者のような物言いの万理に、はいはい。と返した後、今度は私が質問を投げかける。
「明日、ご飯は?」
「え?あぁ…。明日は夜打ち合わせなんだよな…。終わり見えないから、先に食べてて」
「了解でーす」
実はこの質問は何の意味もなくて、答えもわかってて聞いてたりする。本当に気付いてないんだな。と、頭の隅で考えてたら自然と口元が緩んでいたのか、何にやけてんだ?と万理に言われてしまった。
それに対して、別に〜。とだけ返して私は口元をそっと両手で隠した。
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現場での仕事を終えた俺は、今度IDOLiSH7とコラボする化粧品メーカーとの打ち合わせにやってきた。
化粧品に対する知識が無い俺は、同じく現場での仕事を終えた紡さんに同行を頼んだのだが、エレベーターからこの会議室に来るまでの間に向けられた視線を考えたら、やっぱり1人で来なくてよかった。と思わざるを得なかった。
「紡さん、今日は付き合っていただいてありがとうございます」
「いえ、とんでもないです!お役に立てればいいんですが…」
「居てくれるだけで十分ですよ」
2人でそんな会話をしていたら、会議室にノックの音が響いた。ドアが開くと同時に椅子から立ち上がって、笑顔で軽く会釈をする。
「お待たせして申し訳ありません。よろしくお願い致します」
「いえ。とんでもないです」
こちらこそよろしくお願いします。と再び会釈をして、促されるまま椅子に腰を下ろす。そして、目の前に座っているよく知る人物にゆっくりと目を向けて、思わず笑顔が引きつったのがわかった。
その人はにこにこと、それはもう楽しそうに笑っていた。
「本日は事前のお話し通り、企画担当も同席させていただきます。」
「企画担当の片瀬です。よろしくお願いします」
思わずぽかんと開いてしまいそうな口にぐっと力を入れて、よろしくお願いします。と言いながら名刺を交換する。受け取ったそれにはしっかりと片瀬 奈々美と書かれていた。
そう言えば、メールの文面で『片瀬』という苗字を見た時に、奈々美と同じ苗字だな。と思ったっけ。でもまさか、本人とは思わないだろ…。
目の前の人物に再び目を向ければ、ご丁寧に以前俺がプレゼントしたブラウスを身に纏った奈々美が、相変わらず楽しそうに笑っていた。
昨日言ってた、近々わかる。ってそういう事か。
俺は心の中でため息を吐きながら、手渡された資料に目を落とした。
打ち合わせは何の滞りもなく進み、予定より早く終わった。
最初こそ俺の反応を見て楽しそうにしていた奈々美だったが、いざ仕事の話が始まればスイッチが切り替わり、仕事モードに一変した。仕事モードの奈々美は、デキる女って感じで思わず感心してしまう。
その後雑談をしている最中、奈々美の上司が、そう言えば。と奈々美に話をかけた。
「さっき、イケメンが来てる!って女性社員たちが騒いでたの、間違いなく大神さんの事ね」
「え?…あぁ、そうですね」
「小鳥遊さんも可愛らしいし、芸能事務所って従業員の方もレベル高いのねぇ…」
俺と紡さんを交互に見ながら頷く彼女に、奈々美は当たり障りのない相槌を打ちながら、俺をチラリと一瞥した。
その目からは、なんかごめん…。という謝罪の念が感じられて、俺はただ笑うことしかできなかった。
「あはは、恐縮です…」
「うちの社員イケメンもかわいい子も大好きだから、片瀬はしばらくいろいろ聞かれるかもね」
「うまく躱しますよ」
そう言って笑った奈々美が、チラッと腕時計に目を向けて、そろそろいい時間ですね。と、切り上げてくれた事によって、その話は終わりを迎えた。
「ただいま」
「あ、小鳥遊事務所の大神さんだ」
おかえり。と言ってくすくすと笑っている奈々美の頭を、おい。と言いながら小突けば。奈々美は笑い声を大きくした。
「びっくりした?」
「した」
「ふふっ。万理の顔面白かった」
「人の反応見て楽しむな。紡さんも驚いてたぞ」
大成功だ。といまだに笑っている奈々美を尻目に、シンクに寄りかかりながらタバコに火を着け、ネクタイを緩める。
なんだかどっと疲れたな…。ため息と一緒に煙を吐き出せば、いつの間にか隣に来ていた奈々美が、俺と同じようにシンクに寄りかかり、それ。と声を上げた。
「今日改めて見たら、やっぱ似合うね」
「ん?あぁ、ありがとう」
奈々美の言うそれとは、今日つけているネクタイの事。先日誕生日プレゼントとして奈々美からもらったもので、今日初めて着けたのだが、事務所の人からの評判も良かった。
「おまえも似合ってるよ」
「ありがとう。他人の空似だと思われたくなくて、あえて今日着てみました」
「俺がおまえを間違えるわけないだろ」
「どうだか」
ちなみに、こっちも前にもらったやつ。と自身の唇に指を添えた奈々美に、そうなの?と返せば、えー…。と不満そうな声が聞こえてきた。
「覚えてないの?」
「いや、あげたのは覚えてるけど。わかんないって」
「…自分で選んだくせに。まぁいいや。お風呂入ってきまーす」
そう言ってシンクから腰を浮かせた奈々美の腰をすかさず抱き寄せれば、え?何?と驚きの声があがった。
「ん?いや、近くで見れば俺があげたルージュかわかるかなって」
「いや、わかんないでしょ。ってかタバコ!灰落ちるから!」
奈々美の声でタバコに目を向ければ、たしかに灰が落ちる寸前のところまで来ていた。灰皿の上で灰を落とし、残り少なくなったタバコを一口吸い、煙を吐き出しながら灰皿に押し付ける。
その間、奈々美がずっと俺の顔を見ていたのに気付いて、自然と口角があがった。
「おまえ見過ぎ」
「はっ?!」
「熱い視線をどうもありがとう」
何言ってんの?!と、逃げようとする奈々美を閉じ込めるように両手をシンクにつく。至近距離で奈々美を見つめれば、その頬がほんのり赤く染まった。
「自意識過剰!」
「ははっ。片瀬さん、お仕事の時はあんなにデキる女って感じなのに、ギャップがすごいですね。すぐ赤くなるのかわいいですよ」
「なっ…?!」
営業スマイルで、取引先に話すような口調でそう言えば、『かわいい』というワードに反応してなのか、はたまた他のなにかに反応してなのかはわからないが、奈々美の顔が更に赤くなった。
「そっ、それを言うなら万理だって、ギャップの塊じゃんか…!」
「ん?あぁ、もしかして、タバコ吸ってるの見て仕事時とのギャップ感じてたの?」
押し黙った後に、小さく頷いた奈々美。その唇がほんの少しだけ尖ってて、思わず笑ってしまう。
「おまえ、仕事モードの時の俺も結構好きだろ?」
「…うるさい」
「っていうか、俺の笑顔に弱いよな。あ、もしかして敬語も好き?」
「あー!あー!もうお風呂入るからこの話終わり!!」
そう言ってあからさまに逃げようとする奈々美に、口元が緩む。早く退いて。と俺の胸をぐっと押す細い腕を無視して、顔を近付ければ、奈々美が息を飲んだのがわかった。
「ち、近い」
「片瀬さんがあまりにもかわいいので、その顔をもっと近くで見たいなと思って」
「それやめて。って、おしり触らないでよ変態!」
「あ、すみません、つい。それにしても、片瀬さんって本当照れ屋なんですね。って、いてっ!馬鹿、叩くなよ」
バシバシと俺の胸を叩き始めた奈々美の腕を止めれば、奈々美は唇を尖らせながら俺をひと睨みした後、目の前のネクタイをぐっと引っ張った。
そして、前のめりになった俺の唇に、触れるだけのキスをする。
「やられっぱなしって性に合わないんですよね、私」
そう言ってにこっと笑った奈々美は、呆然としてる俺を置いてキッチンを後にした。その笑顔は完全に他所用で、不覚にもそれにドキドキしてしまった俺は、とりあえず心を落ち着かせるために、2本目のタバコに火をつけたのだった。
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