君が最初の




待ちに待った昼休み。
俺は今日発売したアイドル雑誌を、弁当よりも先に鞄から取り出した。
この雑誌を買うために今朝はいつもより早く起きて、隣駅に併設されている本屋へと走った。朝のうちに一通り目を通したけれど、インタビューを読み切れていないし、写真だって細部まで見れてない。

午前の授業中はこの事で頭がいっぱいで全く内容が入ってこなかった。いざ読むぞ!と雑誌を開くと同時に、クラスメイトの田中に話しかけられる。

「片瀬〜。って、お前また和泉の記事読んでんの?」
「は?!またじゃねえし、今日出たばっかのやつだから!!」
「はいはい。好きだね〜。ってか、お前和泉と仲良かったっけ?」

今や日本を代表するアイドルグループIDOLiSH7。
そのメンバーの1人和泉一織は、かつてこの学校に在籍していて、同じクラスで隣の席だった俺は、たまに弁当を一緒に食べたりする仲だった。
でも、和泉は普段からあんまり他人と連まないやつだったから、1人で居たそうな時は声をかけないかったし、俺自身もわいわいはしゃぎたい時は別の奴らと居たし、正直仲がよかったのかと言われると微妙なラインなのなもしれない。

「まぁ、そこそこ?」
「ふーん。それで、お前はなんでその和泉にそんなにお熱なわけ?」
「お熱って…。特に理由なんかねえよ。ただ、元クラスメイトが頑張ってるから応援してるだけ」

自分から聞いてきたくせに、あっそ。と興味なさそうに返した田中に、興味ないなら聞くなよ。と言いながら、俺は和泉が転校すると決まった日の事を思い出した。





あの日、俺はバイトまでの時間を潰すために教室でマンガを読んでて、和泉は日直の仕事で日誌を書いてた。教室には俺たち2人しか居なくて、まぁ特に話す事もないし仕事の邪魔しちゃ悪いし、と黙ってたら、珍しく和泉から話をかけてきたのを覚えてる。

「転校することになりました」
「へ?誰が?」
「私以外居ないでしょう」

ため息を吐きながら俺から目を離して日誌を書く和泉に、そっか…。と返せば、2人だけの教室は一瞬しーんとした後、すぐに吹奏楽部の楽器の音とか運動部の掛け声とかカラスの鳴き声とかでいっぱいになった。

「いつ?」
「今学期いっぱいで」
「そっか。なんで?」
「…アイドルになるので」
「アイドル?」

アイドルって、テレビの中でキラキラの衣装を着て歌って踊る、あのアイドル…?そんな事を考えながら腕を組んで首を傾げれば、そのアイドルですよ。と返ってきてびっくりした。

「え?和泉ってエスパー?」
「全部口に出てました」
「まじか。それにしてもすげえな」
「…笑わないんですか?」
「笑う要素ないじゃん」

簡単になれるもんじゃないでしょ。そう言いながらマンガに目を戻せば、和泉が少し笑った気がして、オレはまた和泉に顔を向ける。

「何笑ってんの?」
「いえ、別に」
「変なの。…なぁ、アイドルって事はサインとかすんの?」
「まぁ、する機会もあるでしょう」
「俺が考えてやろうか!」
「結構です」
「遠慮すんなよ」

どんなんがいいかな〜。と、ノートにいろんなサインを書き始めた俺に、再びため息をついた和泉は俺のノートの片隅に『和泉一織』と書いて、それを囲むようにさっと丸をした。

「サインなんて、こういうのでいいんですよ」
「フルネーム?ってか、織って画数多いじゃん。面倒じゃね?」
「書き慣れてるので問題ありません」
「ふーん…。なぁ、俺和泉のファン1号になってもいい?」
「…なんですか、いきなり。別に、いいですけど」

そう言って音を立てて日誌を閉じた和泉に、じゃあファン1号は俺って事で。と返しながら、俺はノートに書かれた文字を眺める。
サインと言うにはあまりにもシンプルで、ただそこには彼の名前が書かれているだけなのに、なぜかその時の俺には輝いて見えた。


「では、私はそろそろ帰ります」
「え?もう帰るの?もう少し話そうぜ」
「あなたと違って私は忙しいので」
「そっか。んじゃ、また明日」
「…また明日」

また明日。そう言って別れたのは、その日が最後だった。

気が付いたら和泉とは大して話すこともなく、学期末になていて、そんでもって新学期になったら和泉はもう居なくて、あー本当に転校したんだな。なんて思った。
人とは連まないけど人気があった和泉の転校は、学校中で話題になった。みんなは転校の理由を特に知らないらしく、残念だね。なんて口々に呟いていた。

あの日、何で和泉は俺にいろいろ話してくれたのかは正直全くわからないけど、まぁとりあえず、この学校では俺が一番和泉と仲良かったって自惚れておく事にする。
そんな優越感も長くは続かず、和泉がアイドルになったことは、あっという間に校内に広まったのだが、本人の口から聞いたのは俺だけだろう。そう考えたら、やっぱり優越感を感じざるを得なかった。




ファン1号になるとは言ったものの、俺は元々アイドルとか興味なかったから、なんとなく和泉が出るテレビを見たり、雑誌を立ち読みしたり、曲を聞いたりしてゆるーく応援していた。
俺よりも、一緒にテレビを見てた姉貴がどハマりしたのは予想外だったけど、そのおかげで俺はIDOLiSH7のライブに行ける事になった。
今となってはそのライブが、俺の人生を変えたと言っても過言ではない。

ライブ当日は、正直来なきゃよかった。って思った。
物珍しそうな顔で見られるし、ファンの子達の熱気はすごいし、場違い感が否めなかったからだ。
しかし、そんな考えもライブが始まってしまえば消え失せて、一気に7人の世界に引き込まれた。
席がめちゃくちゃいい席だったってのもあるし、男が全然居なかったってのもあると思うけど、その日俺は和泉以外のメンバーから、所謂ファンサってやつをもらいまくって、それもめちゃくちゃ嬉しかった。
でも、和泉はなかなか俺の席の方に来なくて、このまま和泉にだけファンサもらえないのか、残念だなー。なんて思ってたけど、逆に和泉からファンサもらったら反応に困るし、これはこれでいいのかもな。と1人頷いた。
それは別として、アイドルとしての和泉はめちゃくちゃキラキラしてて、あいつはステージに立つために生まれたんじゃないか?なんて思ってしまうほどだった。

そんな事を考えながら迎えた最後の曲で、和泉が初めて俺の席の近くに来た。なぜか緊張して心拍数があがったのを覚えている。
俺の席とは反対側を見ていて、なかなかこちらを見ない和泉に、おーい和泉俺はここだぞ!なんて念を送くってみた。
お前の元クラスメイトの俺だぞ!
お前が頑張ってるのを見に来たんだぞ!
こっちむけよ〜!
それが通じたのか、ぱっと振り返った和泉。

俺と目が合った瞬間、和泉は驚いた顔をしたあと、優しく微笑んだ。

そして何をするわけでもなくそのままメインステージへと戻っていく和泉を見ながら、都合の良い事を思ってしまった。和泉は俺に頑張ってる姿を見て欲しくて、転校する理由を話してくれたのでは?なんて、そんな都合の良い事を。

ただなんとなく思っただけなのに、妙に納得している自分がいて、俺はその日から和泉の事を熱心に応援をするようになった。
出演番組のチェックは勿論、ワンカットでも掲載されているならば雑誌も購入。それから手紙も送ってる。
当然ながらその手紙に返事が来ることはいし、もう俺のことなんか忘れてるかもしれない。なんなら、覚えてても同姓同名の違う人だって思ってるかもしれない。

それでも、応援してるからな。ずっと見てるからな。って事を、俺はあいつに伝えたかった。






「おい…おい!片瀬!」
「わっ!なんだよびっくりした!」
「なんだよじゃなくて。飯どうすんの?俺食堂行くけど」
「俺はこれ読みたいからいいや。パン持ってるし」

そう言って雑誌とパンを掲げた俺に、はいはい。と呆れたように肩を竦めた田中は、1人教室を後にした。
その背中を見送ったあと、俺はヘッドホンをつけて雑誌のインタビューを読み始め、いつものようにノートの片隅に感想を箇条書きにしていく。
うん。今回もいい手紙が書けそうだ。












「一織さん。またお手紙が届いてましたよ」

事務所での打ち合わせが終わった後、マネージャーから声をかけられ手渡されたのは、お世辞にも綺麗とはいえない字が書かれたシンプルな封筒。
ありがとうございます。とお礼を告げてそれを受け取ると同時に、マネージャーが嬉しそうに笑っているのに気が付いた。

「…なんですか」
「いえ。一織さん、その方からのお手紙を受け取る時、いつも表情が柔らかくなるので」

マネージャーの言葉に私は瞬きを繰り返した後、なんだか恥ずかしくなって目を逸らした。






「転校することになりました」

あの日の、なんで俺に話してくれたの?とでも言いたげな彼の表情は今でも覚えている。
私が彼に転校の理由を話そうと思ったのは、彼は前の学校で唯一、和泉一織をただの高校生と見てくれていたからだった。

彼との微妙な距離感はとても心地がいいものだった。
なんとなく人と話したい時に話をかけてくれて、私が1人で居たい時にはそっとしておいてくれる。ただ単に、彼の気まぐれだったのかもしれないけれど、それでもその距離感が、私は好きだった。
それ故に、離れがたいとも思ってしまった。
その他の事に未練も執着もないのに、唯一彼と離れるのだけは、寂しいと思ってしまったのだ。

だから、アイドルになるということも話した。
ただ、これは話した後に少し後悔をした。もしここで笑われてしまったら、一生引き摺ると思ったから。
しかし彼は笑わずに、凄いと言ってくれた。笑わないのかと尋ねれば、笑う要素がないだろうと、簡単になれるものじゃないから。と、そう言ってくれた。
あぁ、やっぱり離れがたい。
そんな気持ちを抱いたまま、あっという間に転校する日が来てしまい、彼とはそれっきりになってしまった。

忙しい日々を過ごしているうちに次第に薄れていった彼との思い出は、IDOLiSH7としてデビューして数回目のライブでまた鮮明に蘇る事になった。
座席に彼の姿を見つけたのだ。
目が合った瞬間輝いた彼の瞳に、覚えていてくれたんだ。と、柄にもなく顔が綻び心が躍った。

その日から、彼から手紙が届くようになった。
彼はもしかしたら、私が気付いていないと思っているかもしれない。同姓同名の別の人だと、そう思っているかもしれない。
それでも、そこに書かれている決して上手くはない文字が、彼からの手紙だという事を物語っていた。

「ファン1号からなので」
「え?」
「この手紙は、私のファン1号からの手紙なので。ただ、贔屓はしません。ファンの方には平等に接するのが私のモットーですから」

では、ありがとうございます。
微笑んでいるマネージャーの眼差しがなんだかくすぐったくて、私はその場から逃げるように事務所を後にした。

そう言えば、明日はプレゼント用のCDにサインを書くのだと、先ほどの打ち合わせで共有があった。

サインを書くたびに、私はあの日の事を思い出す。彼はまだ、あのノートを持っているのだろうか。


私が人生で初めてサインを書いたあのノートを。




---------

匿名様リクエスト
一織君が転校する前に通っていた高校のお友達が、アイドルをしている一織君を応援しているお話



back


novel top/site top