言い聞かせる
きっかけは覚えていない。
よく笑ういい子だな。というのが第一印象だった。
話すうちに打ち解けて、気付いたら気になっていて、彼女がヘアメイクをしてくれる日は、柄にもなく心が躍った。
そんな俺の様子に2人が気付かないはずもなく、楽は打ち上げに彼女が居る時は近くの席にしてくれたり、他のスタッフさんを交えて食事にも連れて行ってくれた。
天からは浮かれてると怒られるかな。なんて思っていたけど特にそんな事はなく、ただ一言。
僕たちは大勢のファンがいるアイドル、それだけは忘れないで。
とだけ言われた。天らしいな、とも思った。そして改めて自分の立場を考えた。俺はアイドルだ。ファンを悲しませるような事はしたくない。
その思いだけが、俺のなけなしの理性を保っていた。
−数週間前
その日は音楽番組の収録だった。
現場で待機をしていると、スタジオ内に彼女を見かけたのだ。
今日は誰の担当なんだろう?まだ人も少ないし、挨拶しに行こうかな。と、隣に座っていた楽に一言声をかけて俺は席を立つ。
すると同じタイミングで、賑やかな声と共にIDOLiSH7のみんながスタジオにやってきた。相変わらず元気だなぁ。なんて思っていたら、ななみんおはよう!と言いながら、彼女に抱きつこうとする環くんと、それをすかさず止める一織くんが目に入った。
環くんが誰彼構わずあだ名で呼ぶ事は知っているため、さほど気に留めなかったが、まさか彼女に抱きつこうとするとは思わず、驚いた俺は踏み出そうとした足を無意識に止める。
そしてそのまま2人の様子を伺っていると、環くんと話す彼女は、とても優しい笑顔をしていて、普段俺に見せてくれる笑顔とは何か違うものを感じた。
そして環くんからも、いつもより柔らかい雰囲気が出ている。
2人を取り巻く空気感はどこか特別で、それを感じた俺は、その場に根を張ったかのように動けなくなったのだ。
そんな時、前の仕事の関係で準備が遅れていた天がやって来た。
「よぉ」
「おつかれ。龍は何突っ立ってるの?」
「アレだよ、アレ」
楽が顎で指した方を見た天は、あぁ。と言いながら椅子に腰をかけ、テーブルの上に積まれている雑誌の山から一冊見繕い、黙々と読み始める。
俺が再び彼女へと視線を移すと、彼女は目一杯に腕を伸ばして、環くんの頭を撫でていた。
「あいつら、仲良いんだな」
「え?…あ、そうだね」
そう言いながら俺は再び椅子に腰をかける。そんな俺の様子を見て、天はため息を吐き、楽は俺に詰め寄る。
「行かないのかよ?」
「いや、ほら、環くんと話してるし…」
「あいつなら顔見知りなんだから、遠慮する事ないだろ」
確かに楽の言う通りだ。遠慮なんかしなくてもいいんだ。しかし、そうわかっていても、先程の2人の空気感を思い出すと、あそこに割って入れるのは楽や陸くんくらいだろうな、なんて苦笑いしてしまう。
事実、環くん以外のメンバーは既に楽屋へと移動したようだ。
楽みたいにかっこよければなぁ。と、呟けばなんだよ急に。と、少し距離をおかれた。
「楽って鈍いよね。」
と、ため息混じりに呟いた天に、なんだと?と、噛みつく楽をとりあえず宥めるが、そんな俺たちなんてお構いなしに、天は話を続ける。
「少し見ただけでもわかる。明らかに彼女の事を、ただのスタッフとは思ってないでしょ。アレは」
「四葉がか?確かに、やたら懐いてる感じだけど、あれだろ?犬みたいなもんだろ」
確かに、環くんを撫でる彼女は大型犬を撫でる飼い主のようにも見えなくはないのだが、そうするとあの空気感の正体はなんなんだろう。と、益々心のもやもやが深まる。
そうこうしているうちに、環くんとは話終わったようで、彼女は1人荷物をまとめていた。
「おい龍。今のうちに声かけに行けよ」
「いや、今日はもう…」
「今度のIDOLiSH7とRe:valeとの特番」
「え?」
「スタッフの名簿は見たでしょ?あの中で予めグループ分けされるって聞いたけど。僕としては既に何度か一緒に仕事をしてる人と組みたいと思ってる」
2人もそうでしょう?と言う天の問いに対し、俺は誰でもいいぜ?と答える楽。そんな2人に、俺は思わず笑ってしまう。
天が思い切り楽を睨んでいるが、楽は、なんだよ。と返すだけでその言葉の意図に気付いていないようだ。
天が出してくれた助け舟だ。折角だからこのまま乗ってしまおう。と、俺は立ち上がる。
「確かに、気心が知れた人の方が楽だよね。心当たりがあるから、声かけてきてもいいかな?」
「誘うなら奈々美にしろよ?」
「ちょっと。キミって本当空気読めないよね。台無しなんだけど」
わーわー言い合う二人の声を聞きながら、気持ち早足で彼女の元へと足を進める。
既に荷物をまとめ終えたのだろう。まさに今、移動しようとするタイミングだった。
このタイミングで声をかけるのは憚られるが、今日この時を逃したら、不器用ながらも背中を押してくれた2人にも面目が立たないぞ。と、自身を奮い立たせる。
「奈々美ちゃん」
「あ!十さん、おはようございます」
「おはよう。今日一緒の現場だったんだね」
「はい!今日はIDOLiSH7の担当で」
そう笑顔になる彼女に先程の光景を思い出す。そうなんだ、の言葉と共に貼り付けた笑顔は、うまく笑えているだろうか?と、急に心配になる。
当たり障りのない会話を続けて、なかなか本題に入れずにいると、そろそろ時間なので失礼しますね。と、荷物を肩にかけ始めた。
「収録、頑張ってください」
そう言い残し楽屋へ向かおうとする彼女の腕を、俺は咄嗟に掴んでいた。
驚いた顔で振り向いた彼女は、どうしたんですか?と、尋ねてくる。無意識に掴んだ手を慌てて離し、あ、えっと、なんて吃る。しっかりしろ、俺。
「実は、奈々美ちゃんにお願いがあるんだ」
「お願い、ですか?なんでしょう?」
「今度の特番なんだけど…」
と、俺は先程天から聞いたチーム分けの件や、できれば俺たちの担当について欲しい旨を伝える。
「ほら、タイトなスケジュールになるかもしれないし、気心が知れた人の方がいいって」
天が…と続けようとして口を紡ぐ。
だってこれじゃ、天が彼女に担当してほしいみたいだ。きっと彼女はそこまで深く考えないだろう。それでも、俺の意思でここに来てこの誘いをしたと言う事実を残したかった。
その言動に隠された気持ちが、今はまだ伝わらなくても。
「…その、本音を言うと、俺が奈々美ちゃんに担当してほしいだけなんだ」
「えっ?」
「あっ、いや、奈々美ちゃんに担当してもらった日は、調子いいんだよ、俺」
だから、奈々美ちゃんにお願いしたいんだ。と、真っ直ぐ目を見て言えば、彼女の表情は今まで見たことないくらい、喜びに溢れたのがすぐにわかった。
その表情に俺の心臓はドキッと大きく音を立てた。
「そんな風に言ってもらえるなんて、嬉しいです!」
ヘアメイクアップアーティスト、冥利につきます!なんて言いながら、満面の笑みになる彼女に、ときめくと共に少しだけ罪悪感が芽生えた。彼女に担当してもらうと調子がいいのは嘘ではない。嘘ではない、のだが、そこに下心が含まれているなんて、そんな事彼女は全く思っていないんだ。
そう考えたら、後ろめたい気持ちでいっぱいになった。
「あ、いや、でもチームバランスとかもあるし、急に言われても困るよね」
「いえ、大丈夫です!ある程度の希望は聞いてくれるみたいですし。お声掛けいただいた旨伝えれば、調整してもらえると思います」
では、担当者の方に伝えておきますね!と言い残し、彼女はIDOLiSH7の楽屋へ向かった。その足取りが少し軽くさせたのは間違いなく、彼女が受け取った"下心がない俺の言葉"なのだろう。
複雑な気持ちを抱きながら天と楽の元へ戻ると、2人は特に会話することもなく、雑誌や台本を読んでいた。
いち早く俺に気付いたのは楽だった。
「うまくいったか?」
そう聞いてくる楽は、表情にこそ出してはいないが、興味津々といったオーラが出ていた。最近、楽はこの手の話に食いつくようになった。
きっと彼にも何か心境の変化があったのだろう。
「一応、掛け合ってみてくれるって」
「へぇ。よかったな。アイツも満更でもないのかもな」
なんてニヤニヤと言う音がつきそうな笑顔で、彼はまた台本に目を戻す。
そうだといいんだけど。という俺の呟きに、天が本日何度目かのため息を吐いたのがわかった。
そして今日、特番の打ち合わせ当日。
前の仕事が押して遅れて来た俺に、まず壮五くんが声をかけてくれた。
手渡された資料を見ると、彼女の名前が俺たちのチームにあった。喜びと共に、本当に掛け合ってくれたのか。なんて思っていると、お疲れ様です。と、彼女の声が耳に響く。
「奈々美ちゃん、お疲れ様。俺たちのチームに配属になったんだね。引き受けてくれてありがとう。」
「いえ、こちらこそお誘いありがとうございました!」
そう言いながら敬愛の意が込められた笑顔を向ける彼女に、罪悪感が色濃くなっていくのを感じた。
あの言葉に込められた、俺の下心に気付いた時、彼女はきっと悲しむのだろう。そしてその時が来たら、彼女とはもう今の距離感では居られなくなってしまう。
そんな思いが頭の中に巡っては、俺の胸を締め付けるのだった。
大丈夫、まだ引き返せる。
彼女を傷つけるような事はしたくないだろ?
今度はその言葉を自分に言い聞かせ、俺は理性を保っていく。
言い聞かせれば言い聞かせるほどに、心が軋む音がした。
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