室内温度氷点下
※公式家族構成丸無視の兄妹設定有
カタカタとキーボードの音がオフィスに響く。やっと片付いた事件の報告書作成。次第に終わりの見えてきたその作業に、自然とタイピングの速度も速くなる。
これが終われば、午後から明日にかけて久々の休みだ。早く帰りたい。そんな事を考えながら、パソコンの画面だけに目を向けていたが、かれこれ15分近く、真横から送られ続けている視線を、気にせずにはいられなかった。
「……おい」
「はい?」
どうしましたか?キラキラ輝いた目で俺を見上げながら首を傾げたそいつを、俺は睨みつける。
「どうしましたか?じゃねえ。お前、なんでここに居んだ」
不思議そうに首を反対側に傾けたそいつは、どんなに睨んでも、大きくため息を吐いても、全く怯まない。そりゃ、こんな事で怯んでたら警察の仕事は務まらないけど、相変わらず神経が図太い女だ。
「えっと、あの…あ!お兄ちゃん…違う、服部さんに用があって」
たった今考えたような理由に顔を顰めながら、耀さんのスケジュールを確認する。
「…まだ当分戻ってってこねえぞ」
「知ってます」
「なら、さっさと自分の部署に戻れよ」
交通課所属のこいつ、服部奈々美は苗字からわかる通り、耀さんの妹だ。信じられないけど、同じ血が流れている。
同じ血が流れてると言っても、耀さんの穏やかさと明るさ、それから純粋な心を、全部こいつが吸い取ったんじゃねえかってくらいタイプは真逆で、見た目も似てるところといえば髪の色くらいだ。
一見無害そうな女だが何が厄介かと言うと、あの耀さんが、この歳の離れた妹を溺愛しているという事だ。
かつて、こいつに手を出そうとした男が、23区外の山奥の派出所勤務になったなんて話も聞いたことがある。それにどんな力が働いたかは、考えるまでもない。
2人きりでいるところを見られた日には、いくら同じ班の俺でも、耀さんに何をされるかわかったもんじゃない。だから署内でこいつと関わるのは極力避けたいのに、なんだってこいつはここに居るんだ。
「実は今日、午後からお休みいただけることになって」
「…なら、尚更ここに来る以外にもやる事あんだろ」
そう素っ気なく告げて、俺は再びパソコンの画面へと顔を戻す。カタカタとキーボードを叩く音だけが、2人きりのオフィスに響く。
あの。と聞こえた小さな声を無視して数秒後、隣の赤髪がわかりやすく項垂れたのが目に入って、俺は本日2度目の大きなため息を吐いて顔を向ける。
「んだよ」
「あの…本当は、お兄ちゃんに会いに来たんじゃないんです」
「…そうかよ」
「その、会いたくなっちゃって…」
蒼生さんに。俺の反応を伺いながらそう言った彼女の頬は、薄ら赤く染まっていて、俺は頭を抱えながら時計に目をやる。
耀さんが戻って来るまで、まだ時間はある。夏樹と司さんも昼に出たばかりだ。
どうすべきか悩んでいる俺の、膝の上に置いていた手が小さくて柔らかい手で包まれた。
ため息を吐いた俺に、ごめんなさい。と離れていく小さな手。その手を追いかけて、力を入れすぎないように握れば、奈々美は嬉しそうに笑った。
「…職場では我慢しろつっただろ」
「ごめんなさい」
「なんのために合鍵渡してると思ってんだ」
「そうなんですけど…。その、菅野さんと朝霧さんが出て行くのが見えて、今なら2人きりになれるかなぁって…」
尻すぼみにそう言った奈々美に、そうかよ。とだけ返す。それと同時に、俺だって会いたくないわけじゃねえんだよ。って意味を込めて、握ってる手の力をほんの少しだけ強めれば、伝わったのか、奈々美の表情がぱっと明るくなった。
「ねぇ、蒼生さん。今日の夜、何が食べたいですか?」
「…別に、お前が作るもんなら何でもいい」
「じゃあ、オムライスにします。今回は上手に作れるように、頑張りますね!」
空いてる方の手でガッツポーズをしながら笑った奈々美に、つい頬が緩む。柄にもなく、疲れた時に見るこいつの笑顔は、格別だな。なんて思ってしまう。
俺と奈々美は、所謂恋人同士だ。期間は1年くらい前から。きっかけは割愛。
付き合う前から奈々美に兄貴がいる事は聞いていたが、服部班に配属されるまで、まさかその兄貴が耀さんだなんて知らなかった。そして勿論、耀さんがこいつの事を溺愛してる事も。
後からバレるより、先に自分から奈々美との関係を話した方がマシなんじゃねえか?そう思った矢先に起きたのが、例の左遷事件。(署内の一部の人間ではそう言われてるらしい)
その男の左遷が、自分の兄貴によるものなんて全く知らない奈々美に、お兄ちゃんに荒木田さんを恋人として紹介したい!と言われた時には、俺はまだ本庁に居たいからやめてくれ。と、必死に奈々美を説得したものだ。
そんなこんなで俺たちは付き合ってから今日まで、耀さんは勿論、署内の人間に関係を隠し続けている。
関係がバレる可能性が高くなるからと、仕事中は極力会わないと約束したにも関わらず、今日会いに来たのは、会えない日々が続いていたからなんだろう。
誰も居ないし、今なら大丈夫か。
そう思った俺が甘かった。
「なーに見つめ合ってるのさ」
背後から聞こえた声に、背筋が凍った。ゆっくりと振り返ればそこには、耀さんが立っていた。人を射殺せそうなほどの鋭い視線を向けられ、冷や汗が出る。
「よ、耀さん、なんでここに…」
「なんで?会議を終えたら、自分のオフィスに戻って来るのは当たり前。蒼生はそんな事も知らないほど馬鹿だった?」
「あ…いや…すみません…」
あまりの迫力に返答がしどろもどろになる。この状況をどう回避するべきか、頭をフルに回転させていると、奈々美の嬉しそうな声がオフィスに響いた。
「お兄ちゃ…あっ!服部さん、お疲れ様です」
「はい、お疲れさん。お兄ちゃんでいいのに、奈々美は真面目だねえ。いい子いい子」
「ちょ!やめてください!私だって、もう子どもじゃないんですよ!」
「怒ってる奈々美もカワイイね」
俺と話してた時とは打って変わって、見たこと無いような笑顔で、奈々美の頭を撫でている耀さんに目を丸くしつつ、ほっと安堵の息を吐いたのも束の間、耀さんの目が俺たちの手元へと移動する。
そしてそれと同時に、部屋の温度が一気に下がった。
それに気が付いて慌てて握っていた手を離すも、時すでに遅し。耀さんがゆっくりとこちらを向いて、俺の名前を呼んだ。
「…蒼生」
「いや、これは…その、違うんです耀さん」
「ほーん…。まぁ、何が違うのかはあとで詳しく聞くとして。奈々美、交通課の課長さんが探してたよ」
「え?!なんだろう…。必要な書類は全部提出したのに…。じゃあ、私行きますね」
お兄ちゃんありがとう。と奈々美が席を立った瞬間、俺は絶望を感じた。
行かないでくれ。と引き止める事は叶わない。頭の中を左遷というワードが駆け巡る。しかし、それはすぐに死というワードに塗り替えられた。
「とびきり美味しいオムライス作って待ってるので、早く帰ってきてくださいね。蒼生さん」
そう言って笑顔で一課のオフィスを後にした奈々美。ドアが閉まると同時に、蒼生さん…ねえ…。と、ドスの効いた低い声が、俺の鼓膜を震わせる。
「で?」
「えっと…」
「簡潔かつ、正確な報告をもらおうかね」
終わった…。
持っていた空き缶を、耀さんが片手で握りつぶしたのを見て、そう思った昼下がりだった。
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