もう一度あの日から始めよう@




「ちやほやされて楽しかった?」

亜貴から言われたその言葉が酷く胸に刺さって、年甲斐にもなくぼろぼろと泣いてしまったのは確か1ヶ月前のことだった。
予定がなくなってしまった土曜の昼に思い出すには、あまりに重すぎる出来事にため息を吐く。

「今日、会えるのかな……」

亜貴とのトークルームを見ながら、仲直りもしてないのに何を言ってるのかと再びため息を吐いた。


亜貴と初めて喧嘩をした。
喧嘩をした日から彼からの連絡は一切なくて、その代わりと言っては何だけれど、彼の友人達から週替わりで連絡が来る。
仲直りしたの?とかそんな内容を送ってくることは無く、会話の殆どが世間話。しかし、普段そんなに頻繁に連絡を取るような間柄じゃないだけに、彼らがあの日の事を気にしてるのは明白だ。

「……亜貴のばーか」

口では悪態をついたものの、手帳にしっかりと記されている今日の日付と記念日の文字を眺めながら、亜貴と最後に会った日のことを思い出しては、涙が溢れた。




あの日は朝から浮かれていた。『仕事が落ち着いたから、今夜いつものバーで飲まない?』と亜貴から誘いが入ったからだ。
仕事を定時で終わらせて急いで帰宅した後、以前彼からプレゼントされたワンピースを身に纏ってバーへと向かった。
身支度に思ったよりも時間がかかってしまって、バーに到着したのは待ち合わせの時間ギリギリ。緩む口元にきゅっと力を入れ、背筋を伸ばして店内に入るも、そこに亜貴の姿は無くて一気に脱力する。
15分前に送ったメッセージに既読はついていないけれど、忙しい彼にとってそんなことは別に珍しくない。

-バーにいるね

その一言だけを送って、カウンター席のハイスツールに腰をかけた。亜貴が来るまではお酒は我慢しようと、炭酸が強めのジンジャーエールを、まるで度数の強いお酒を飲むみたいにちびちび口にする。
一向に来る気配のない返事に、心配になって電話をかけようとスマホを弄っていると、背後から声をかけられた。

「見覚えがある後ろ姿だと思ったら、やっぱり奈々美ちゃんだ」

軽い口調の声に振り向けば、そこに立っていたのは大谷さんで、その後ろに慶ちゃんと桧山さんも居た。
慶ちゃん以外の2人とは、実はそんなに話したことがない。とりあえず軽く会釈をして、私は慶ちゃんに目を向ける。ちなみに慶ちゃんとは幼馴染で、小さい頃から亜貴と3人でよく遊んでいたし、亜貴と付き合う前いろいろとお世話になった。なんなら、今もなってる。

「1人なのか?」
「うん。亜貴と約束してるんだけど、まだ来てないの」

仕事は落ち着いたみたいなんだけど。と肩を竦めれば、3人は顔を見合わせ、首を傾げたり首を左右に振ったり、目だけで会話をし始めた。
そんな3人を尻目にスマホに目を向けるも、返事はまだ無い。

「ねえ、奈々美ちゃんさえ良ければ、神楽が来るまで俺たちと飲まない?」
「……いいんですか?」
「勿論だ。俺たちも、お嬢さんともっと話してみたいと思っていた」

助けを求めるように慶ちゃんに再び目を向ければ、彼は黙って頷いた。
このままいつ来るかわからない亜貴を1人で待つのも寂しいし、慶ちゃんがいるなら大丈夫だろうと、私は3人と時間を潰す事にした。




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「うそでしょ……」

1人のアトリエに自分の声が響く。
大きな仕事を1つ終え、奈々美との約束の時間まで少し仮眠をしようと瞼を閉じたのは、感覚としてはつい数分前。しかし、時計の針は約束の時間を大幅に過ぎていた。
アラームをかけていたはずなのに。と、慌ててスマホを確認すると画面は真っ暗で、電源ボタンを押しても全く反応がない。どうやら電源が切れてしまったようだ。
急いで荷物をまとめてアトリエを後にする直前に、僕は作りかけの服を着ているトルソーに目を向けた。

1ヶ月後に迫った記念日に贈ろうと、以前から少しずつ作り始めたワンピース。しかし、完成を目前にしてなんとなく『奈々美に似合うのはこれじゃ無い』と思ってしまった。
かと言って、しっくりくるデザインが浮かんでくるわけでもなく、仕事が忙しいことを言い訳にして後回しにしていたのだけれど、そろそろ本格的にこれと向き合わなければならないらしい。



僕は奈々美が嫌いだった。
一応言っておくけど、あくまで過去形だ。
嫌いだった理由は単純なもので、一方的に避けられていたから。ただそれだけ。
小さい頃は、来ないでって言っても僕と慶ちゃんの後ろを着いて来たくせに、ある時を境に奈々美は僕たちから距離を取り始めた。いや、正確に言うと距離を取られていたのは僕だけだった。
僕と二人きりになるのを極端に嫌がるくせに、慶ちゃんとは頻繁に会っていて、慶ちゃんの前だけでは楽しそうに笑う。そんな奈々美を見るたびに、腹が立って仕方がなかった。
しかし、蓋を開ければ奈々美が僕を避けていたのは、僕の事が好きだからなんて馬鹿みたいな理由。

「亜貴の事が、好き」

奈々美から告白されてそれを知った時は驚いたけれど、更に驚いたのはその後僕が無意識のうちに口にしていた『僕も好き』という言葉だった。

それから付き合う事になった僕たちは、特に大きな喧嘩をする事も無く、順調そのものだった。
昔はいつでもへらへら笑ってて、何かあればびーびー泣いていたのに、大人になった奈々美はしっかりもので、芯のあるしっかりした女性になっていた。
時々そんな彼女に違和感を感じる事があったが、小さい頃から知ってる分、大人になった彼女に慣れてないだけなんだろう。
今の奈々美は、僕が多少強い言葉を投げてしまっても受け流してくれるし、僕の間違いを的確に指摘もできる。そういう意味で、僕らはバランスがいいのかもしれないと、事あるごとに思う。



タクシーが目的地に到着したのは、約束の時間から1時間が経った頃だった。足早にエレベーターに乗り込んだ僕は、再び奈々美の事を考える。
久々に会えるのが楽しみだと言ってくれた彼女は、僕が来ない事に落ち込んでいるだろうか。それとも、連絡も寄越さないことに怒るだろうか。いや、きっと怒るよりも、心配してくれてるだろうな。
お詫びに今日は彼女のわがままを沢山聞いてあげよう。そんな事を考えていると、エレベーターはあっという間に目的の階へ。
開ききっていないエレベーターのドアを潜りバーへと脚を進め、店内を見渡す。
飛び込んできた光景に、思わず顔を顰めた。

「奈々美ちゃんって、本当にかわいいね」
「そんな、褒めても何も出てこないですよ」
「本心なのにな。神楽が羨ましいよ」
「あぁ、俺もそう思う」
「へぇ、桧山も。槙は?」
「いや、俺は別に…」

そこには、羽鳥たちと楽しそうに話している奈々美が居たからだ。
普段浮かべないような笑顔を浮かべて楽しそうに話している奈々美に、なぜか無性に腹が立った。遅れてきた自分が悪いのに、そんな事は棚に上げてふつふつと湧き上がる怒りの感情を抑えるのに必死だった。

「あ、亜貴」

慶ちゃんが僕に気が付いて声を上げるとほぼ同時に、奈々美が振り、立ち上がった。そのタイミングにも腹が立つ。
なんで君が一番に気が付かないの。

「あっ、お疲れ様!なかなか来ないから心配した。大丈夫?疲れてるなら今日は家で…」
「嘘でしょ」
「え…?」
「心配したなんて、嘘でしょ」

我慢できずに冷たく言い放った僕の言葉に、場の空気が悪くなったのはわかった。みんなからの視線に居心地が悪くなって、ため息を吐きながらそっと目を逸らす。

「嘘じゃないよ。だって返事も来ないし、既読すらつかなかくて、何かあったんじゃないかって…」
「そんな風に思ってたら、呑気にお喋りなんかしてないでしょ」
「神楽、俺達が彼女を誘ったんだよ。奈々美ちゃんは悪くない」
「羽鳥は黙ってて。彼氏が居ない間に、みんなにちやほやされて楽しかった?僕の前ではそんな風に笑わないくせに、へらへら愛嬌振りまいてさ。僕が来たのにだって慶ちゃんの方が先に気が付くし、それに…」
「亜貴」

慶ちゃんの声で我に帰った時には、もう遅かった。目の前の奈々美は俯き、肩を震わせていて、無数の雫が床を濡らしていた。久々に見た奈々美の涙に、酷く動揺する。

「あ…」

ごめん。その言葉が音になるよりも先に、奈々美がカバンを持って出口へと向かう。それを追いかけなきゃいけないのに、まるでその場に根が生えたように足が動かない。

「追わなくていいのか」

桧山くんのその言葉でようやく自由になった足を必死に動かしてエレベーターホールへと向かうも、そこにはもう奈々美の姿はなかった。
肩を落としながら3人の元へ戻れば、なんとも言えない空気が漂っていた。

「…ごめん」
「その言葉、言う相手が違うんじゃない?」
「そんなの、わかってるよ」

羽鳥に図星を突かれて、つい反射的に噛み付いてしまう。それに再び謝れば彼は、気にしてないよ。と肩を竦めて笑ったけれど、その表情はやれやれ。とでも言いたげだった。
羽鳥のその表情より、我関せずと言った様子でグラスを傾ける桧山くんより、何より慶ちゃんの視線が痛くて、胸に刺さる。

「神楽も、何か飲む?」

羽鳥の問いかけに、普段頼まないような強めのカクテルを注文すれば、3人が顔を見合わせたのがわかった。
今日は酔いたい気分だなんて、ドラマみたいな臭いセリフを吐きたくなるくらいには、僕の言葉が彼女を傷つけたという現実が受け入れられなかった。



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