もう一度あの日から始めようA
奈々美と喧嘩をして1ヶ月が経った。
作りかけのワンピースは記念日当日の今日、つい数分前に完成した。
しかし、きっとこのワンピースは奈々美よりもこのトルソーの方が似合うんだろうな。と思ってしまうほどに、納得がいかない出来だった。
奈々美が好きそうなデザインで、色も彼女をイメージした淡い水色。生地だって、とびきりいいやつを使ってる。
漠然とした違和感に答えが出ないまま、気が付いたら外は茜色に染まっていた。
「今日、会えるのかな」
そもそも仲直りをしていないのに自然と口から出た言葉に驚きながら、ここに居てもしょうがないし一度家に帰るか、と立ち上がった。
元々今日は休みだし、納得がいってないものの、ワンピースを完成させると言う本来の目的は達成してるから。
デザイン画をファイルにまとめて、車の鍵はポケットへ。そんな風に荷物を整理していると、ノックの音が部屋に響いた。どうぞ。とドアの向こうの人物に返事をすれば、予想外の声がアトリエに響いた。
「お疲れ」
「え?慶ちゃん?」
振り返ればそこには慶ちゃんが立っていて、うちのスタッフだとばかり思っていた僕は、間抜けな声を上げてしまった。
「どうしたの?何かあった?」
「一応、連絡したんだけど」
「え?あ…ごめん、気が付かなかった」
ポケットに入れっぱなしだったスマホを取り出せば、そこには慶ちゃんからのメッセージが2通届いていた。
「別に平気。何してるかは、何となくわかってたから」
そう言ってトルソーに目を向けた慶ちゃんが、首を傾げたのがわかった。
「どうかした?」
「いや…これ、奈々美をイメージして作ったんだろ?」
「…一応、そう」
「なんか、イメージとだいぶ違うなって思って」
「え?」
だいぶ違う、と言われるほどイメージとかけ離れていただろうか。ワンピースを眺めながら、奈々美の事を思い出すも、やっぱりそこまでかけ離れているようには思えなかった。
「そんなに違う?」
「別に、ケチつけてるわけじゃない。いいデザインだと思う。ただ、奈々美はどっちかっていうと、暖色のイメージ」
「暖色…?」
「あいつ、よく笑うから」
慶ちゃんの言葉に、先日バーで見た奈々美の笑顔を思い出す。確かに、あの時の笑顔は暖色が似合うだろう。
「…まあ確かに、小さい頃はよく笑ってたかも。馬鹿みたいにへらへら笑いながら、亜貴ちゃん、慶ちゃんって僕たちの後をついて回ってた」
「ははっ、懐かしい」
「…でも僕の記憶が正しければ、僕と付き合うようになってから、奈々美はあんまり笑わなくなったよ」
少なくとも、僕の前では。
そう付け加えて肩を竦めれば、慶ちゃんがため息を吐いたのがわかった。
でも、本当だから仕方がない。僕が奈々美の笑顔を見たのは、彼女からの告白をOKしたあの日がおそらく最後だ。その前は避けられててほとんど一緒に居なかったし、笑うとしても慶ちゃんと2人きりの時だけだった。
付き合ってからも、微笑んだり、くすくすと控えめな声を出して笑うことはあっても、奈々美が昔のような底抜けに明るい笑顔を僕に向けてくれることはなかった。
「たしかに、亜貴の前だとそうかもな」
「でしょ。…あーあー、愛想尽かされたかな。惰性で付き合ってるなら、早く別れた方がお互いのためだよね」
自分に言い聞かせるように吐いた言葉に、慶ちゃんがまたため息を吐いた。
「それは無いだろ」
「惰性でも、付き合ってた方がいいってこと?」
「違う、そこじゃない。あいつが亜貴に愛想尽すなんて、絶対に無い」
「絶対なんてありえないでしょ」
つい強い口調になってしまい、罰が悪くなる。ごめん。の呟きに、慶ちゃんは、平気。とだけ返してくれる。
「あのさ、奈々美には言うなって言われてたけど、これ以上巻き込まれるのはごめんだから言っておく」
「何を?」
「あいつが馬鹿みたいに笑うのは、いつも亜貴の話をしてる時。この前、羽鳥達とバーで話してた時も、ずっと亜貴の話をしてた」
「え?」
「付き合うってなった時、亜貴の隣に居ても恥ずかしくないような女にならなきゃ。って、あいつは口癖みたいに言ってた。今でも、たまに言ってる」
どう言うことか、わかるだろ?慶ちゃんの言葉の意味を理解した瞬間に僕は、ごめん。の言葉だけを残してアトリエを飛び出した。
鍵を閉めてないとか、そういえば荷物置きっぱなしだとか、頭の中にはいろんな事が駆け巡ったけど、スタッフもまだ残ってたし、きっと慶ちゃんがうまくやってくれるはずだ。
車の鍵をポケットに入れておいてよかった。
愛車に乗り込みアクセルを踏みながら、僕は数分前の自分に拍手を送った。
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遠くでインターフォンの音が聞こえた気がして目を覚ました。どうやらいつの間にか眠ってしまったらしい。
再び鳴り響いたインターフォンの音に、気のせいじゃなかった。と慌てて起き上がる。
「はい」
『僕。早く開』
けて。と続くはずの言葉を聞くより先に、私は終了のボタンを押した。カメラに写っていたのが亜貴だったから。
どうしよう。乱れた髪を整えながら、深く息を吐く。そんな私を他所に容赦なく鳴り響く電子音。私は意を決して通話のボタンを押した。
『ちょっと、何で切るわけ?!』
「ご、ごめん…」
『はぁ…。いいから、開けて』
有無を言わせない物言いに、大人しくオートロックを解除する。
今日、もしかしたら奇跡が起きて亜貴に会えるかもしれない。そう思って身支度を整えておいてよかった。
亜貴が来るまでの間、緊張でドキドキと大きな音を立てている心臓をなんとか落ち着ける。怒ってる感じはしなかった。でも、もしかしたら…。頭の中を最悪の展開が埋め尽くす。
それをかき消すように、あらかじめ開けておいたドアが開く音が聞こえた。
そこに立っていたのは勿論亜貴で、変に緊張してしまう。
「えっと、久しぶり」
「…うん、久しぶり」
「元気そうでよかった。…あっ、そうだ、紅茶飲む?淹れるよ」
亜貴の返事を聞くよりも先に、気まずい空気から逃げるようにキッチンへと足を向けた私を、亜貴が追ってきたのがわかった。
それに気が付かないふりをして、ティーカップを用意していると、あのさ。と、亜貴が声を上げた。
「…この前は、ごめん」
耳をすまさないと聞こえないほどの声量で呟かれたその言葉に、思わず動きを止めて、え?と聞き返す。
「ごめん、って言ったの!」
「あ、うん。…私の方こそ、ごめん」
腕を組みながら私をじっと見つめている亜貴は、何か言いたげに口を開いては閉じてを繰り返した後、そっと目を逸らした。
「…別に、奈々美が謝ることなんてひとつもないでしょ」
「でも」
「でもじゃない。あの日遅れたのだって、一方的に怒ったのだって、君を傷つけたのだって…奈々美にずっと無理させてたのだって、僕なんだから」
「待って、何の話?私、無理なんてしてないよ」
いやだな、何言ってるの。誤魔化すように紅茶を淹れる準備を再開すると同時に、亜貴が逸らしていた目を私に向けたのがなんとなくわかった。
「慶ちゃんから聞いた。僕のために、君がいろいろ頑張ってるって。…違和感は、ずっと感じてた。でもそれは大人になった君に僕が慣れてないだけで、君のことを一番知ってるのは僕なんだって。そう思ってたけど、違ったんだね」
俯いていた顔を勢いよく上げれば、そこには寂しそうな顔をした亜貴が居て胸が締め付けられる。
「へらへら笑わなくなったは、ただ単に君が大人になったからだってそう思ってた。なのに、あの日君はみんなに囲まれて楽しそうに笑ってた」
「あれは…!」
「それも聞いた。僕のこと、話してたんでしょ?でも、そんなの僕は知らなかった。だから腹が立って、強い言葉を投げた。…奈々美なら平気だって過信してたから」
本当は泣き虫なままなのに。
そう言って亜貴は私の目元にそっと手を伸ばした。滲んでるよ。亜貴の言葉で、眠りにつく前あの日のことを思い出して泣いてしまった事を思い出す。
いろんな感情が混ざり合って、視界がぼやけていくのがわかった。
「僕、君のことなんもわかってなかった」
「違う、私が1人で空回りしてたの。亜貴の隣に立つならしっかりした女にならないと、認めてもらえないって思って」
「…何それ。僕が認めてるから奈々美は今僕の隣にいるのに、他に誰に認められたいわけ?」
もう亜貴の前では泣かないって決めてたのに。亜貴の言葉に涙が溢れる。
「だって…」
「もしも僕の周りに君を認めないなんて人が居ても、僕が認めさせるから、安心しなよ」
ハンカチを私の目に当てながら優しい声色でそう言う亜貴に、私はただ頷く事しかできない。
「だから、昔みたいにへらへら笑ってて。今みたいに泣いて不細工になった時は、僕がメイク直してあげる」
「…不細工って、酷い」
「本当の事でしょ。とにかく、これからはもう、ありのままの君で居てよ。言いたい事があるなら言って、わがままだって、多少は聞いてあげる」
「…今、抱きしめてほしいって言ったら?」
「…調子に乗らないでくれる?」
口ではそう言いながらも、優しく抱きしめてくれる亜貴の腕の中で、心にあったわだかまりが消えていくのがわかった。
もう頑張らなくていいんだよ。頭を撫でている亜貴の手がそう言ってくれているように感じて、止まったはずの涙が、また溢れた。
「また泣いてるわけ?」
亜貴のハンカチを握り締めながら、再び目元を抑えた私に、亜貴がため息を吐いた。
しかし頭を撫でる手は止めないあたりに、不器用な彼なりの優しさを感じて、思わず笑い声が溢れる。
「ちょっと、急に笑い出さないでよ。気持ち悪い」
「だって、なんか嬉しくて」
「…あっそ」
「ねぇ、亜貴」
「なに?」
「私、亜貴の事が好き」
亜貴の胸に埋めていた顔をゆっくりと上げて伝えたのは、あの日と同じ言葉。
ただの幼馴染から恋人同士になった瞬間から、ずれてしまった歯車を戻して、あの日からまたやり直したい。そんな思いを込めて伝えたその言葉に、亜貴は照れたように目を逸らした。
それから口をへの字に曲げながらも、真っ直ぐ私の目を見て呟いた。
「僕も好き」
後日、亜貴からプレゼントされたのは、陽だまりみたいなやさしい色の、世界に一着しかないワンピースだった。
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