時よ止まれ
「服部さーん…。ダメだ、ここにもいない」
もうすぐ休憩時間が終わってしまうというのに、お目当ての人は一向に見つからず大きなため息を吐いてしまった。
今日、2月14日はバレンタインデー。どんな日かなんて今更説明するまでもないだろう。
服部さんこと、服部耀さんに渡すチョコレートを片手に、私はかれこれ45分ほど庁署内を練り歩いている。
初めはデスクに置いておけばいいと思った。
しかし、同じ考えの女性は山ほどいて、彼のデスクには文字通り山のように積まれたチョコレートが。
それを見て、あの中の1つになるのはごめんだと、彼の昼寝スポットを中心に探し始めた。探し始めたはいいものの、その姿はどこにも見当たらない。私の把握している昼寝スポットは、残すところあと1箇所。ここに居なかったら、もう今年は諦めよう。
「服部さーん、居ませんかー…?」
最後の昼寝スポットの屋上へ到着するなり、呼びかけてみるも返事はなし。きょろきょろと辺りを見回しても人っ子ひとり居ない。
「そりゃ、晴れてるとはいえ2月に外で寝ないか…」
その場にしゃがみ込み、手にしていたチョコレートの箱を見つめて、本日何度目かわからないため息を吐いた。
ぐうぅ…。寒空の下、自分のお腹の音が響き、誰も居ないと分かっていても恥ずかしくなる。
「お昼、あと10分しかないや…。もういいや。チョコ食べちゃおう」
包装紙を剥がし、蓋を開ければ現れたのは彼が好きな抹茶味のチョコレート。彼の好きな味を選んでも、渡せないなら無駄になるってものだ。
「ほーん。抹茶味とは、さすが奈々美ちゃん。センスがいいねえ」
「ありがとうございます。よかったらご一緒に…って、はっはははっ、服部さん?!」
背後から声をかけられ振り返れば、そこに居たのは服部さんで、驚きのあまり手にしていた箱を落としそうになり、慌てて持ち直す。
「どうも。奈々美ちゃんは今日も元気だねえ」
「あっ、ありがとうございます…!あの、いつからこちらに…?」
あのお腹の音を聞かれていたら、恥ずかしすぎて死んでしまう…。お願いたった今って言ってください!!そんな願いを込めて尋ねるも、服部さんはにこっと笑ってこう言った。
「奈々美ちゃんが来るずっと前から。誰かさんの大きいお腹の音で目が覚めちゃった」
終わった…!全身の血の気が引くのが分かった。最悪だ。恥ずかしすぎる。穴があったら入りたい!心の中で嘆いていると、見上げていたはずの服部さんの顔が目の前にあって慌てて後退る。
「なっ、なな、なんですか!近いです!」
「青くなったり赤くなったり、忙しい子だこと。それで?受付の奈々美ちゃんは、何でお昼の時間を割いてまで俺を探してたんだろうね?」
ゆっくりと近付いてくる服部さんから逃げるように後退りを続けると、背中にフェンスが当たった。ずっと探してたのは私の方なのに、まるで私が見つかった犯人のような状況になってしまってるのは何でなんだろう。
「あの、えっと、今日バレンタインデーなのでっ」
「ああ、チョコくれるの?」
「はい!でも、その、見つからないと思ったから、もういいやって思って…その、たった今開けちゃって…」
「ほーん。俺はそんな細かい事は気にしないけどねえ」
そう言って腰を曲げて私の目の前で口を開けている服部さんに、瞬きを繰り返す。えっと…?戸惑っている私に服部さんは開いていた口を一度閉じて、口角を上げた。
「奈々美ちゃんが食べさせてよ」
「へっ?!」
まさかの言葉に思わず大きな声が出る。それと同時に体温が一気に上がって、多分、私の顔は今真っ赤だと思う。その証拠に、服部さんがくすくすと笑っている。
「まーた赤くなった」
「えっ、だって、服部さんが…!」
「…あのさぁ、奈々美ちゃん」
私に覆い被さるようにフェンスに手を置く服部さんの顔は、少し動いたら鼻が触れ合ってしまいそうなほど近くにあって、身動きが取れない。
「2人の時は、名前で呼ぶ。そう言うルールじゃなかった?」
服部さん…いや、耀さんの言葉に、心臓がドキッ!と音を立てた。
実は私たちはかれこれ数ヶ月前から恋人同士。職場の人には秘密で付き合っているから、普段はお互いを苗字で呼んでいる。
2人の時は名前で呼ぶ。
これは付き合ってすぐに耀さんが決めたルールなのだが、職場でそれをするとボロが出そうで怖くて、私はつい苗字で呼んでしまうのだ。
「そ、うですけど。ここ、職場ですし!」
「問答無用。ルール違反にはお仕置きが必要だねえ。それと、俺用のチョコを1人で食べようとしたのも、お仕置きの対象」
お仕置きって…?!そう尋ねるより早く耀さんの唇が私の唇に触れる。段々と深くなるキスに手の力が抜けて、チョコレートの箱がコンクリートに打ち付けられる音が聞こえた。
折角買ったのになんて、考える余裕もないくらい深いキスに腰が抜けそうになる。
どれくらいの時間そうしていたかわからない。
予め設定していた、休憩終了3分前を知らせるアラームが、私たちの間に鳴り響いた。
「もう時間?ご丁寧にアラームかけておくなんて、奈々美ちゃんは真面目だねえ」
偉い偉い。そう言って私の頭を撫でる耀さんの背後から、彼を呼ぶ声が聞こえて肩が跳ねた。
「あっ、居た居た。耀さーん!もうすぐ例の会議、始まりますよ」
「はいはい。…じゃあね、奈々美ちゃん」
続きはまた夜ね。
私の耳元でそう囁き、地面に落ちて中身が砕けてしまったチョコレートの箱を片手に、耀さんは屋上を後にした。
大きな音を鳴らすほどお腹が空いていたはずなのに、胸がいっぱいで今はきっと何も喉を通らない。
早く夜になってほしいような、なって欲しくないような、そんな気持ちを抱いたまま、私は顔を手で仰ぎながら、午後の仕事へと戻ったのだった。
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