気が付けば手中




「あっ、居た」

音楽番組収録後、楽屋で帰り支度をしている最中、ノックとほぼ同時に扉が開いた。
そこに立っている私服の男に、私は呆れながらため息を吐く。

「ちょっと。ちゃんとノックしてよね」
「したじゃない」
「同時に入ってきたらノックする意味無いでしょ…。それで?Re:valeの千さんが何の用ですか?」
「何って、愛しの彼女に会いに来ただけだよ」
「…あんたの彼女になった覚えないんですけど」

私の言葉に対して楽しそうに笑った千に、私は再び大きなため息を吐いた。


国民的アイドルRe:valeの千。
昔からそれなりに付き合いがあった私たちは、約1ヶ月前に週刊誌のネタにされてしまった。その内容は言わずもがな熱愛報道。
お互いの事務所が正式に否定したというのに、なぜか業界の人間は未だに私と千が付き合ってると思っているらしい。

「今日も他事務所のアイドルに、千さんと付き合ってるんですか?って聞かれたんだけど。何で何回も否定してるのに付き合ってることになってるの?!」
「まあまあ。そんなに怒ってると老けるよ?」
「別に怒ってない。って言うか、元はと言えば千のせいだからね?!」
「ん?ああ、ごめんね。あの日は柄にもなくテンションがあがっちゃって」

未だに楽しそうに笑っている千を無視して、私は帰り支度を再開させる。
千の言うあの日とは、ちょうど1ヶ月前のバレンタインの事。週刊誌に取られたのはその日の写真だった。

お互いたまたま仕事が夕方までだった私達は、その日久々に千の家で一緒に食事をする約束をしていた。
いつも通り食事をしたあと、タクシーを待っている時に、マンションの下で渡し忘れたチョコレートをあげたのがいけなかった。

「あ、これ。渡すの忘れてた」
「なに?」
「チョコレート。今日、バレンタインだから」

私の言葉を聞くなり瞬きを繰り返した千は、それを受け取ったと同時に、なぜか私を思い切り抱きしめたのだ。
突然の事で訳がわからずされるがままになっていたところを週刊誌に撮られ、今に至る。

出会ってから今まで、彼にバレンタインのチョコレートを渡した事なんかなかった。今年はたまたま前の日がオフで暇だったからチョコレートを作ったのだが、それが運の尽きだった。

「チョコなんかあげなきゃよかった」
「奈々美は僕と噂されるの、迷惑?」
「迷惑とかそういう問題じゃなくて…。ああ。もうこの話終わり。それで?本当に何しに来たの?」
「ん?そうそう。今日は渡すものがあって来たんだ」

そう言ってポケットに手を突っ込んだ千は、ゆっくりと私の元へとやって来た。

「この前のチョコレート、とても美味しかったよ」
「そりゃどうも」
「手を出して。今日は僕からプレゼント」

優しく微笑んだ千の言葉通り、彼に向かって手を差し出せば、彼はポケットから取り出したものを私の手の上にそっと置いた。

「…なにこれ」
「え?鍵だよ。僕の家の鍵。見ればわかるだろ?」
「いや、そりゃわかるけど。私が聞きたいのはそういう事じゃなくて!なんでこんなもの…!」
「ねえ、奈々美」

手のひらの上の鍵を凝視してた私は、千に名前を呼ばれて顔を上げる。それと同時に唇に一瞬何かが触れて、体が固まった。

「本当に、付き合わない?」
「なっ…!」
「彼女になってよ。噂もさ、本当にしちゃえばいちいち否定しなくて済むし、その方が楽だろ?」

だから、ね?そう言って再び顔を近付けてくる千から、私は慌てて逃げる。

「何で逃げるのさ」
「いや、そっちこそ!何でナチュラルにキスしようとしてるのよ…!もー!!私で遊ばないでよね…!」

最低!と嘆いている私の元に、千は口をへの字に曲げながら近付いてくる。なんだか不機嫌なオーラを纏ってる千から慌てて逃げるも、逃げた先が悪かった。
部屋の角、もうこれ以上逃げられない位置に来てしまったのだ。
目の前に立つ千の脇からどうにかすり抜けられないだろうか。そんな事を考えていると、彼の手が私の手を包み込んだ。

「ほら。もう逃げられない」

そう言った千の表情は、笑顔のはずなのになぜかほんの少しだけ怖い。

「な、何で怒ってるのよ」
「怒ってないよ」
「絶対怒ってる…!」
「…怒ってない」
「何、今の間!」

やだやだ!離してよ!嘆いている私に、千はため息を吐いた後こう尋ねた。

「奈々美は、僕のこと嫌い?」
「なっ、そんな事言ってないでしょ!」
「じゃあ好き?」
「そりゃ好きだけど、それは…」
「じゃあ問題ないじゃない」

恋愛感情じゃないから!そう言おうとした私の声に重ねて、笑顔でとんでもない事を言ってる千に、たじろぐ。
どうしよう。今日の千はいつも以上に話が通じない。
頭の中で打開策を必死に考えていると、着信音が鳴り響いた。どうやらそれは千のスマホから放たれているようだ。
彼は私の手を握ったまま、渋々といった様子で電話に出た。

「もしもし?あぁ、凛人。え?もう時間?はぁ…わかった。すぐ行くよ」

電話を終えた千はスマホをポケットにしまった後、私に向き直って首を傾げた。

「奈々美、この後の予定は?」
「…これで終わりだけど」
「そう。なら、その鍵使って僕の家で待ってて。打ち合わせ終わったらすぐに帰るから。ちなみにそれ、合鍵じゃないから」
「は?」

じゃあ、もう行くね。そう言って千は何事もなかったかのように私の手を離し、楽屋の出口へと向かった。

「なっ!ちょっ、千…!?待ってよ…!」

私の静止を千が聞くはずもなく彼は、また今夜。とウィンクを飛ばして楽屋から出て行った。

「いや、ほんっとありえない!」

先ほど手渡された鍵が合鍵じゃないと言うことは、私が行かなければ今日千は家に入れない。つまり私には最初から選択肢が1つしか無いのだ。
そしてきっと千は、元々私が断るのを想定して鍵を渡したに違いない。


「絶対!彼女になんてなってやらないんだから…!」


私は手元の鍵を握り締めながら、隣の部屋に聞こえないくらいの声量で叫んだのだった。



back


novel top/site top