心安らぐ場所




「まじ最悪…」

思わず声をあげてしまうほど、今日は何もかもが最悪だった。
朝は電車が動いていなくて駅で長時間足止めをくらった。職場ではようやく仕事が一段落したと思った矢先、苦手な上司から新しい企画書について長時間にわたってケチをつけられたり、後輩のミスで取引先へ急遽謝罪に行かなければならなくなったり……とにかく大変だった。

そして残業を終わらせ最寄駅に着いた今、大雨を降らせている厚い雲を眺めながら、私は途方に暮れている。

「雨降るなんて言ってなかったじゃん…」

突然の雨で駅前のコンビニの傘は売り切れ。
こうなったら最終手段を…。とスマホを取り出すも、なぜか画面は真っ暗なまま。どうやら充電が切れてしまっているようだ。

「…本当ついてない」

もうどうとでもなれ。と心の中で呟いた後、私は降り頻る雨の中肩を落としながら歩き始めた。






「ただいま〜…」

びしょ濡れになりながら、やっとの思いで帰宅した私の耳に、万理の驚いた声が入る。

「うわっ!おまえどうしたのその格好」
「…見ての通りです」
「連絡してくれればよかったのに」

そう言って脱衣所に入って行った万理は数秒後、ふわふわのタオルを私の頭にかけてくれた。その優しさが無性に沁みて、だんだんと視界が歪んでいく。
それに気が付いたのか、万理は小さくため息を吐いたあと、タオルの上から私の髪をガシガシと乱暴に拭き始めた。

「…痛い」
「ちゃんと拭かないと風邪ひくだろ」
「服もびしょびしょだから…頭だけ拭いても意味ないし…」
「はいはい」

頬に添えられた手に従ってゆっくり顔を顔を上げれば、目元にそっと唇が落とされる。

「おかえり、奈々美」
「…ただいま」
「お疲れ様。とりあえず風呂入っといで。沸かしてあるから」
「…うん」
「1人が寂しいなら俺も一緒に入ってあげ…痛っ!おまえ、すぐ叩くのやめろよな」
「万理が悪い」

肩を竦めながら、ほら早く入っといで。と笑った万理に促されるまま、私は浴室に向かったのだった。






「あ、もう出たんだ?もう少しで出来るから、ゆっくりしてな」
「え、あ…うん」

お風呂から上がると万理はキッチンに立っていて、食卓には私の好きな料理の数々。なんの日だっけ…。とその料理を眺めていると、万理が声をあげた。

「俺今日休みだったし、奈々美最近仕事忙しそうだったから作ってみた」
「…なんかのお祝いかと思った」
「お祝いというより、どっちかというとご褒美かな」
「ご褒美…」
「そう。いつも頑張ってる奈々美にご褒美。はい、できた」

その言葉と共に最後に食卓に置かれたのは私の一番の大好物で、自然と口元が弧を描いた。

「冷めないうちに食べよ」
「うん」

いただきます。と2人で両手を合わせて箸を進める。万理は自分の料理を人並みと言うけれど、私は彼の作るご飯が大好きだ。
私の事を考えて作ってくれた料理だからか、いつもよりも更に美味しく感じた。

「美味しい?」
「うん、美味しい」

美味しいご飯にか、よかった。と笑った万理の笑顔にか、徐々に心が満たされていく。

「万理」
「ん?」
「…ありがとう」

自分でも何に対してなのかわからないまま告げたお礼に、万理はきょとんとした表情を浮かべたあとに再び笑った。

「どういたしまして」

また心が満たされていくのを感じて、あぁ、やっぱりこっちだったか。と口元が緩む。
一度オーバーしたキャパは、どうやらすっかりリセットされたようだ。

今日は1個だけお願い聞いてあげようかな。

そんな事を考えながら、私は再び箸を動かすのだった。



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