嫌って言うほど




『一番大切なのは、やっぱりファンの皆さんですよ』

テレビから聞こえてきた大好きな声に、動かしていた手を止める。画面では大好きな彼が作り物の笑顔を浮かべていて、無意識のうちに眉間に皺が寄った。

「うさんくさい笑顔」

肩を竦めながらテレビを消し、放置していたスマホのラビチャを立ち上げた。友達からは何件か返事が来ているものの、昨晩彼に送ったメッセージへの返事はまだない。

「はぁ…」

この調子じゃ明日の予定も無くなるかもしれないな。
そんなことを考えながら、まだ一度も着ていないワンピースを横目に私はベッドへと倒れ込んだ。


私の彼氏、八乙女楽はアイドルだ。
それに対して私はどこにでもいる一般人。
彼との出会いは私が足繁く通っていた近所の蕎麦屋だった。そこでたまに手伝いをしている彼と、同い年という些細な共通点から仲良くなったのがきっかけで付き合うことになった。

TRIGGERの八乙女楽のそっくりさんだと思っていた彼が、実はその八乙女楽本人だと私が知ったのは、彼から告げられた『付き合ってほしい』の言葉に頷いた後のことで、人生でこれ以上驚くことはもうないんだろうな。というほど驚いたのを今でも覚えている。
その事実を知り即座に、やっぱり付き合えない。と伝えたのだが

「あんたも俺が好きなんだろ?」

なんて、嘘でも否定したくない言葉を言われてしまい、結局そのまま付き合うことになったのだ。


そんなこんなで楽と恋人になってからもう直ぐ2年が経つのだが、正直恋人になる前の方が会えていたのではないだろうか…と思ってしまうほどに会えない日々が続いていた。
デビューしたての頃と比べて、今が忙しいのは当たり前なのかもしれないけれど、寂しく無いと言ったら嘘になる。

こういう時、『普通の人』と付き合ってたらこんな思いをせずに済むのに。
寂しさのキャパがオーバーするたびに、そんなことを考えてしまう自分が嫌になる。

「覚悟して付き合ったはずなのに」

大きなため息を吐いた後、再びスマホの画面に目を向けた。


─月末の日曜日、オフになったから会いに行く

楽からそう連絡があったのはつい数日前だった。
その連絡をもらったときは嬉しくて仕方がなかったけれど、正直今はもうあまり期待はしていない。こういう時、急な仕事が入って会えなくなってしまう事がデフォだからだ。

ちなみに、今日クローゼットから出したワンピースも、先月楽から同様の連絡をもらった時に気持ちが先行して買ったものだったりする。
一度も着れていないという時点で、先月の出来事については、お察し。と言ったところだろう。

『本当に悪い』

会えなくなったと連絡してくる時の楽の声には、申し訳なさ以外にもいろんな感情が含まれていると、いつも感じていた。
私と付き合っている事自体が、楽の負担になってるんじゃないだろうか。なんてことをよく考える。お互いのために別れた方がいいのだろうか。なんて馬鹿みたいなことも、よく考える。

「別れる…か…」

それで私は幸せになれるのだろうか。いや、きっとなれないだろうな。だって私は楽が好きなんだもん。
目を瞑って心の中で自分の気持ちの整理をしていると、聞き覚えのある声が部屋に響いた。

「何の話だ?」

ひとり言に対して返答が来るとは思わず、私は驚きのあまりベッドから飛び起きた。
振り返ればそこには楽がいて、彼は人の気も知らずに呑気に片手を上げながら、よっ!なんて眩しい笑顔を浮かべている。

「えっ、楽!?なんで?!」
「なんでって、サプライズだよ。女ってこういうの好きだろ?」

これ、お土産な。そう言って得意げに笑いながら紙袋を手渡してきた楽は、私の返事を聞くより早く浴室へ足を向けた。

「シャワー借りるぞ」
「えっ、ちょっと…!」

言いたいことはいろいろあったはずなのに、いざ本人を目の前にすると、会えた喜びでどうでも良くなってしまった。
彼に手渡された紙袋が、少し前に電話で話したケーキ屋さんのものだとわかった瞬間に口元が緩む。
ケーキが嬉しいのもあるけど、何より楽が私の話を覚えていてくれたことが単純に嬉しかったのだ。






数分後、私が用意しておいた部屋着を身に纏って出てきた楽は、長い手足を放り投げるようにソファーに深く腰をかけた。

「元気してたか?」

テレビで見る作り物の笑顔じゃなくて、少年のように笑いながら、彼は私の顔を覗き込んだ。
その笑顔が大好きで、いろいろ悩んでたのが馬鹿らしく思えてしまう。
嬉しいような悔しいような、なんとも言えない気持ちになって、私は唇を尖らせた。

「…おかげさまで」
「何むくれてんだよ」
「むくれてませーん」
「なら、タコの真似か?」
「してませんー!っていうか、髪乾かしてから出てきなよ」
「髪?…放っておけばそのうち乾くだろ」
「風邪ひいても知らないからね」

その言葉になぜか嬉しそうに笑ったあと、楽は真剣な顔で私の名前を呼んだ。

「奈々美」
「なに?」
「ラビチャ、返せてなくて悪いな」
「…いいよ別に」
「明日絶対オフにするために他の日に仕事詰め込んだら、ラビチャ返す暇すらなかったんだ。でもその分早く会いに来れた」

ゆっくりと近付いてきた楽の手が、私の髪をそっと梳く。

「髪、切ったんだな」
「うん。暑いから」
「短いのもかわいい」

優しく笑いながらただ髪を梳いていた楽が、不意に寂しそうな表情を浮かべたのがわかった。どうしたの?と尋ねるより先に、私は痛いくらいの強さで抱きしめられていた。

「さっきの、俺のことだよな」
「さっきの…?」
「別れるって」

楽の言葉にはっとする。そう言えば、あのひとり言聞かれてたんだった…。ちゃんと言わなきゃ。そう思って口を開くも、楽が私の言葉を遮る。

「あのね、楽」
「奈々美がそう思うのも、無理はないと思ってる」
「え、いやあのね」
「仕事ばっかりで一緒に過ごす時間も取れないうえに、気軽に外にも出られない。寂しいだろうし、嫌になるのもわかる」
「楽?ちょっと待って」
「でも、俺はあんたを手放すつもりはない」

そう言って腕の力を強めた楽。私はその背中に腕を回して、はぁ。と大きなため息を吐いた。

「おい、ため息吐くなよ」
「楽ってバカだよね」
「なっ!俺は真剣に…!」
「バカだよ。誰も別れたいなんて思ってないもん」
「じゃあ、さっきのひとり言はなんなんだよ」

私の両肩を掴み勢いよく離れた楽は不安そうな表情をしていて、その顔に思わず吹き出してしまう。

「笑うな」
「ごめんね。でも大丈夫だよ。本当に、別れたいなんて思ってないから」

安心した表情を浮かべた楽に私は、でも。と言葉を続ける。

「別れた方がいいのかな。とは、よく考えるの。楽の負担になってるんじゃないかって」

楽の眉間に皺が寄り、彼が口を開こうとしたと同時に私は彼の唇に自身の唇を重ねた。
時間にすると1秒も経っていない、ただの触れるだけのキスなのに、楽は驚きの表情を浮かべて固まっている。

「でもね、やっぱり一緒に居たいなって結論に至るの。頻繁に会えなくても、外でデートできなくてもいい。楽の負担になってるなら、ならないように頑張ろうって」

なんだか自分で言ってて恥ずかしくなってきてしまった私は、顔を隠すように楽の胸に埋めた。

「負担になんか、なってねえよ」
「本当に?」
「あたりまえだろ!」
「ありがとう。あのね、さっきの楽の言葉の、寂しいだろうし。ってところは大正解だよ。…やっぱり、会えないと寂しい。…だから明日はいっぱい甘やかしてね」

私の言葉に楽が小さく笑ったのがわかった。再び背中に回された腕は、さっきよりも優しく私を抱きしめている。

「嫌って言うほど甘やかしてやるよ」
「…ありがとう」
「…なあ、俺からも一つ頼みがある」

珍しいその言葉に、え?と顔を上げれば、楽のおでこと私のおでこが、こつんと音を立てて重なった。

「会えなくて寂しいのは奈々美だけじゃない。だから今日は、あんたが俺を甘やかしてくれよ」

ダメか…?と首を傾げた楽の前髪から雫が落ちる。

「ダメじゃないよ。嫌って言うほど甘やかしてあげる」

楽は少年のような笑顔で笑ったあと、ありがとうの言葉と共に、私の唇にそっとキスをした。
彼の気が済むまでキスをしたあとは、まず髪を乾かしてあげるとしよう。




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清華様リクエスト
八乙女楽 切甘



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