真っ赤な嘘
「え?今日会えない?」
土曜日の午前10時。12時の待ち合わせに向けてメイクを済ませ、新品のワンピースを身に纏い姿見の前で一回転。ふわっと広がったスカートと、これから会う人の顔を思い浮かべて自然と口元が緩んだタイミングでスマホの着信音が鳴り響いた。
電話の相手は龍で、今日の予定を延期したい。という内容だった。
『当日の朝に本当にごめん……』
「そっか……。わかった、また今度にしよ」
『ごめんね、埋め合わせは必ずするから!』
心底申し訳なさそうにそう言った声がいつもより掠れているに気が付いて、私は思わず眉を顰める。
「……ねぇ龍、もしかして風邪ひいたの?」
『え!?なんでわか……あっ!いや!そんな事ないよ、すごく元気!』
「……私に嘘が通用するとでも?」
『あはは……』
笑って誤魔化す龍にため息を吐けば、ごめん。と落ち込んだような声が聞こえてきた。これ以上話して悪化させるのも良くないと考え、早々に電話を切ってラビチャに移行させる。
容態を詳しく聞けば、実は数日前から体調を崩していて、昨日は高熱で寝込んでいたらしい。スタンプと一緒に送られてきた『今はもうだいぶ楽だよ。』のメッセージを見て、悪態を吐く。
「バカ龍め」
そのメッセージを読むや否や、私はワンピースにシワがついてしまう事なんて気にせずに、勢いよくベッドに倒れ込み、前回会ったときに撮った写真を眺めた。
私と龍は所謂幼馴染だ。大学進学を期に上京した私とアイドルになるために上京した龍は、こっちに友達が居ない事もあって休みの日は一緒に過ごすことが多かった。彼がデビューしてからは周りの目もあるしと、頻度を減らして数ヶ月に1回会う程度になってしまったのだけれど……。
そして今日がその数ヶ月に1回の日だったのだが、たった今その予定は無くなってしまったのだから、自然とテンションも下がるというものだ。
風邪なら仕方がない。仕方がないがしかし、私は今日、彼に会えるのをとても楽しみにしていたのだ。
―今はもうだいぶ楽だよ。
先ほど送られてきたラビチャを見返して本日二度目のため息を吐く。熱はもう無いと言わないあたりきっとまだ熱があるのだろう。その証拠に私の送ったメッセージは未読のままだ。
「もー!」
このまま1人で出かけようかと思ったのに、どうしても龍のことが気になってしまう。1人で大丈夫なのかな。熱はどれくらいあるんだろう。ご飯はちゃんと食べてるの? そんな事を考え始めたらキリがなくて、私は足早に家を後にしたのだった。
スーパーで簡単な買い物を済ませ、龍のマンションに到着した私は、とある事に気が付き合エントランスで足を止めた。
「寝てるならインターホン鳴らさない方がいいかな……」
別に彼女でもなんでもない私が龍の家の合鍵を持っているわけもなく、彼の家に入るにはインターホンを鳴らす他無いのだけれど、きっと今彼は眠っているはずだ。頼まれても居ないのに家まで来て、眠っている病人を起こすのは気が引ける。
部屋番号を入れ、あとは呼び出しのボタンを押すだけだというのにどうしたものかと頭を抱えていると、不意に後ろから声をかけられた。
「何か困ってんのか?」
振り返ればマスクをした銀髪色白の男性が、彼に似つかわしく無いスーパーの袋を持って立っていた。きっとこのマンションの住民だろう。
すみません。と頭を下げ、慌ててオートロックの前から退けば、あろう事か彼は私の方へ足を向けじっと見つめてきた。
「あ、あの。何ですか?」
「おまえ、もしかして奈々美か?」
「え……。いきなり何ですか?と言うかあなた誰ですか?」
知らない人に突然名前を呼ばれ警戒する。距離を取り訝しげに見ていると、目の前の人物は何が面白いのか声を上げて笑い始めた。そして、悪い悪い。とマスクをずらした彼の顔を見て私は驚いた。
「TRIGGERの八乙女楽だ。あんたは、龍の彼女だろ?」
そう。不審者だと思っていた彼は、龍と同じアイドルグループTRIGGERのメンバー、八乙女楽だったのだ。
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喉の渇きを覚えて目を覚ました。まだ僅かにダルさが残る体をゆっくりと起こして枕元のペットボトルに口をつけるも、それは一口分にも満たなかった。体温計で熱を測るとそこにはほぼ平熱の数字が並んでいて、俺は安堵の息を吐く。
時計を見れば、お見舞いに来てくれていた楽が買い物に行ってから約2時間が経っていた。午後は仕事だから昼過ぎに帰ると言っていた楽だが、物音がするからきっとまだ居るんだろう。いろいろ買い物をお願いしちゃったし、お礼を言いに行くついでに何か飲もう。そう思った俺はベッドから降りてリビングへ向かい、飛び込んできた光景に目を丸くした。
「だから!風邪の時は沖縄そば!」
「いいや!蕎麦だ!そもそも沖縄そばは蕎麦じゃないだろ」
「あーもう!何だっていいでしょ!って言うか、さっきからそばそばうるさいんですけど」
「なんだと!」
「静かにしてよ、龍起きちゃう!」
「お前の方がうるさいだろ!」
キッチンで言い争っていたのは買い物から帰ってきた楽と、今日会う予定だった奈々美ちゃん。予想外の光景に、俺は持っていた空のペットボトルを落とした。その音に反応した2人が振り返って俺を見る。
「おう、龍。体調どうだ?」
「あ、うん。熱は下がったよ。買い物ありがとう。それより、あの、なんで奈々美ちゃんがここに……?」
グレーの瞳から視線をずらし奈々美ちゃんに目をやれば、彼女は唇を尖らせて呟いた。
「誰かさんのせいで暇になったから、お見舞いに来ただけ」
「ご、ごめん……」
「おい龍。お前の彼女、写真のイメージとだいぶ違うんだな。もっとお淑やかなタイプかと思ってた」
「だーかーらー!彼女じゃないって言ってるでしょ」
何回言えばわかるの! と、楽の腕を軽く叩く奈々美ちゃん。今日初めて会うはずなのに、どうやら2人はこの短時間で仲良くなったようだ。
「はぁ?俺と天がいつもどんだけ惚気を聞かされてると思ってんだ」
「え?」
「龍は暇さえあればお前の話ばっかりだぜ?写真だってもう何回見せられたか。この前だって……」
「あっ!ちょっ、楽!ストップ……!」
必死に楽の言葉を遮るも時すでに遅し、きょとんとしている奈々美ちゃんと目が合うと同時に、また熱が上がってしまったのかと思うほど顔が熱くなった。
楽の言う通り、俺はよく楽と天に奈々美ちゃんの話をする。それは単純に彼らに俺の大切な人を知って欲しかったからだ。
小さい頃からずっと一緒で、大切で大好きな女の子。そんな彼女の事を2人はなぜか『龍の彼女』として認識している。初めこそ否定はしていたけれど何を言ってもその認識を改めない2人に、最近はもう諦めモードだった。
俺は昔から奈々美ちゃんのことが好きだった。でも、彼女はきっと俺のことをただの幼馴染としか思っていないだろう。それなのに、『龍の彼女』という肩書きを背負わされている彼女に対しての申し訳なさと、気まずさ。それから、底知れない羞恥心が一気に押し寄せる。
「えっと、あの、奈々美ちゃん……」
「あ、悪い龍。姉鷺が到着したみたいだから俺は行くぜ。明日もオフにしてもらったんだろ?ゆっくり休めよ」
「えっ!あ、うん。いろいろありがとう。仕事頑張って」
「おう!ありがとな!じゃあな、奈々美。今度とびきり美味い蕎麦食わせてやる」
「はいはい」
見送りは要らないぜ。と言う楽の背中を見送った後、部屋はなんとも言えない空気に包まれる。
本人は無意識だろうが、爆弾発言をして颯爽と去っていった楽をほんの少しだけ、本当にほんの少しだけ恨んでしまった。
「熱」
「え?」
「もう下がったの?」
「あ、うん。さっき測ったらもうほぼ平熱だったよ。ずっと寝てたからか、体はまだちょっとだるいけど……。あっ、そうだ!楽に買ってきてもらったスポーツドリンク!俺、すごく喉乾いてて――」
「あのさ、さっきの話どう言うこと?」
居た堪れない空気を無理矢理変えようと、矢継ぎ早に繰り出した言葉は、彼女に遮られてしまった。
いや、あの。なんて吃っている俺を、奈々美ちゃんはじっと見上げている。どうやら逃げられないらしい。
「……2人に、よく奈々美ちゃんの事を話してるのは本当なんだ」
「写真も?」
「うん……。勝手にごめんね。ただ、その、あの事については2人の勘違いで」
「あの事って?」
「……奈々美ちゃんが、俺の彼女だって事」
自分で声に出すとこんなにも恥ずかしいのか。赤くなっているであろう顔を隠すように顔を逸らして頭を掻けば、奈々美ちゃんは興味がなさそうに、ふーん。と呟いた。そんな彼女の反応に、俺は人知れず心を痛める。
「いや、ごめんね!ただの幼馴染なのに、こんな誤解されたままじゃいい気しないよね。2人には、今度改めて訂正を……」
「別に、訂正しないでいいよ」
「え?」
逸らしていた目線を奈々美ちゃんに目を向ければ、その顔はほんのり赤く染まっていた。
「あの、奈々美ちゃ」
「私、龍のことただの幼馴染だなんて思ってないから」
「えっ!?」
まさかの言葉に驚いて、ペットボトルを落としそうになり慌ててキャッチする。ふう。と一息吐いて再び彼女に目を向ければ、さっきとは比べ物にならないほど顔が赤くて、それにつられるように俺の顔も熱を持ち始めた。
「……龍、顔真っ赤」
「ねっ、熱が上がってきたのかも……!でも、そう言う、奈々美ちゃんも……」
「あー!熱上がってきたなら悪化させちゃうかもしれないから私もう帰るね!」
一息でそう言って、じゃあ! と逃げるように背を向けた奈々美ちゃんの腕を、俺はほぼ無意識に掴んでいた。抵抗する事なく足を止めた彼女はゆっくりと振り返り、相も変わらず真っ赤な顔で俺を見つめる。
訪れた沈黙を破ったのは、奈々美ちゃんだった。
「……さっき、暇になったからお見舞い来たなんて言ったけど」
「うん」
「本当は龍が心配だから来たの」
「うん、ありがとう」
「……なんか、その、勢いで変なこと言っちゃってごめん」
自身の前髪をいじりながら目を逸らした奈々美ちゃん。再び訪れた沈黙を今度は俺が破る番だ。
「奈々美ちゃん」
「……何?」
「わがままかもしれないけど、もう少し一緒に居てほしい」
「で、でもほら、熱が」
「熱が上がったなんて嘘だよ。奈々美ちゃんも、気付いてるよね……?」
君には嘘が通用しないから。俺のその言葉に目を見開いた彼女は、空いている方の手で頬を押さえて俯いた後ゆっくりと頷いた。
「まだ一緒に居たいんだ。だからもう少し、一緒に居てくれないかな……?」
俺の言葉に俯いていた顔を上げて、一人分空いていた距離を詰めた奈々美ちゃんの頭が、とん。と胸板にぶつかった。急に縮まった距離に体温と心拍数が上がっていく。それらを落ち着かせようと深呼吸をしたと同時に聞こえた彼女の言葉に、一瞬心臓が止まった気がした。
「好きって言ってくれたら居てあげる」
なんちゃって、嘘だよ。と俺から離れた小さな体を、俺は思い切り抱き寄せた。
ねえ、奈々美ちゃん。たしかに俺の嘘は君には通用しない。でも、君の嘘も俺には通用しないって事、君は気付いてないんだろうね。
これから君に伝える『好きだよ』の4文字に、君はなんて答えてくれるんだろう。そんな事を考えながら、俺はゆっくりと口を開くのだった。
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ゆん様リクエスト
十龍之介 両片想い、甘
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