臆病者の夢




「大和くんのバカー!!」

 思い切り投げたチューハイの缶は、壁に貼り付けている彼のポスターに直撃し、音を立てて床に転がった。ストックしていたチューハイを全て飲み尽くし、くらくらする頭の片隅で、ここにはいない大好きな彼を思い浮かべては涙腺が緩む。

「浮気してたなんて、酷すぎる……」

 そう、つい1時間前。私は彼氏である二階堂大和に浮気されていた事が発覚したのだ。


 事が発覚したのは同じ事務所の楽さんに誘われた飲みの席でだった。二階堂も暇してるらしい。と、当初サシの予定が急遽3人になった。いや、その情報は正直どうでもいい。肝心なのは2人の会話だった。

「おい二階堂、おまえあの女優とどうなんだよ」

 酒が回った楽さんのこの言葉が、全ての始まりだったのだ。

 私と大和くんは小さい頃から顔見知りで、私にとって彼はお兄ちゃんのような存在だった。ある日を境に疎遠になってしまった彼と、まさか芸能界で再会するとは思わなかったけれど、会えた時はもう死んでもいいかもなんて思ってしまうくらい嬉しかった。
 何を隠そう、私は小さい頃から彼の事が異性として大好きだったのだ。だから再会してからはとにかく頑張った。しつこいくらいにアタックしまくる私に彼が折れたのは、私たちが再会してから季節が一周した頃だった。

 努力の甲斐がありようやく結ばれそれからは順調だと思っていたのに、どうやら彼には私以外に心惹かれている女性が居るらしい。

「……楽しそうなお話ですね。詳しく聞いてもいいですか?」
「あー、いや、大した話じゃないから」
「大した話だろ!こいつ、ここんとこ年下の女優といい感じなんだぜ?いつも飲みの席で惚気てんだ」
「へぇ……。そうなんですか?二階堂さん」
「え?いや、あははは……」

 楽さんの言葉に慌て始める大和くんをひと睨みすれば、彼は冷や汗をかきながら逃げるようにグラスを傾ける。その様子からしてどうやらこの話は本当らしい。

「何だよその反応。この前は毎日でも会いたいって言ってたのに。なんかあったのか?」
「バカ!八乙女まじ空気読めっ!」
「んだよ。その前は膝枕が気持ちよかったなんてデレデレしてただろ」
「へぇ……」
「抱きしめた時の柔らかさが最高とも言ってたな」
「いや、本当勘弁してください……!」

 テーブルに両手をついて頭をゴンッ!とぶつけた大和くんを見て、げらげらと笑っている楽さん。私はお酒でいい感じになった気分と体温が、一気にマイナスに向かっていくのを感じて居た堪れずに席を立った。

「どうした?奈々美」
「……ごめんなさい。明日朝から予定を入れてたのを思い出したので、今日はもう失礼します」
「そうか。遅くまで悪いな。気を付けて帰れよ」
「ありがとうございます!……二階堂さんも、さようなら」
「え、あ……ちょっ、奈々美」

 私を引き止めようと駆け寄ってきた大和くんを無視して、私は足早に居酒屋を後にする。乗り込んだタクシーで涙が溢れそうなのを我慢して、自宅で子どものように泣いた。それから自棄になりストックのチューハイを全部飲み干し、今に至る。
 
 謝罪のラビチャや電話が来るかも知れないと、スマホはマナーモードを解除していつでも確認できるようにすぐ側に置いている。にも関わらず、一向に鳴る気配がない。

「もしかして大和くん、最初から私の事なんて好きじゃなかったのかもな……」

 静かな部屋に響いた自分の言葉に胸が張り裂けそうになる。無音が寂しくてテレビを付ければ大和くんが出ているドラマが放送していて、例の女優さんはこの人かもしれないなんて思っては、1人また涙を流すのだった。




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「あー……最悪だ……」

 奈々美が居酒屋を去ったあと、力なく座り込んだ俺に状況を理解していない八乙女が、水飲むか? とグラスを手渡してきた。ありがとう。いや、でもそうじゃない。そうじゃないんだ。と心の中で返しながらも、俺はその水を一気に飲み干した。

「はぁ……。奈々美怒ってたよな……」
「なんだ?奈々美となんかあったのか?」
「あったあった。それもたった今、お前の目の前で」

 席に座り直した俺は、どうしたもんかと頭を抱える。俺と奈々美の関係はまだ誰にも話していない。だけどかわいい彼女の惚気話をしたいと思うのが男の性で、俺はそれを『年下の女優』という人物に置き換えて、こういう酒の席でよくしていたのだ。

 実際、奈々美は年下の女優だから間違ってはいないのだが、事情を知らない八乙女が彼女らを結びつける事ができるはずもなく、このような事態になってしまった。いや、全部俺のせいなんだけどさ。

「何があったんだ?話なら聞くぜ?」

 清々しいほどに真っ直ぐなこの男になら話しても問題ないだろうか。そう思った俺は、俺達の関係と、今までの『年下の女優』の話は全部奈々美の話だった事を打ち明けた。
 八乙女は初めこそ、まじかよ! と大声をあげたものの、事の重大さに気が付いたのか、悪い。と勢いよく頭を下げた。

「いや、謝るのは俺の方だろ」
「んなことねえよ!とりあえず、追いかけろよ!今ならまだ間に合うかもしれない」
「もうとっくにタクシーの中っしょ。今更追いかけたって無駄だよ。適当にラビチャ入れて――」
「馬鹿野郎!」

 いきなりテーブルをバンっ! と叩き声を荒げた八乙女に肩が跳ねる。え、急に何だよ。と伏せていた目を向ければ、彼は真っ直ぐ俺を見ていた。

「好きな女が1人で泣いてるかもしんねえんだぞ!お前はそれでいいのかよ!」
「わ、わかった。わかったから落ち着け……」
「落ち着いてられるか!適当にラビチャで?そんな誠意のない謝罪をする奴に、うちの奈々美はやらねえぞ!」

 いや、お前は奈々美の父親か。とツッコミたくなるのをグッと堪えて、八乙女の言葉を噛み締める。

「八乙女の言ってる事はもっともだ」
「そうだろ!」
「でもなんつーかさ。俺、正直奈々美と付き合った事、ちょっと後悔してるんだよ」
「はぁ?あいつのこと好きじゃないのに付き合ったって事かよ!?」

 再びテーブルを叩いた八乙女を、違う違う。と落ち着かせて、俺は話を続けた。

「ちゃんと好きだよ。ただ、愛情表現の仕方がわかんないって言うかさ」
「あんなに惚気ておいて今更何言ってんだよ」
「まぁ、そう思うわな……。でもこう、本人を目の前にしたら、どうしたらいいかわからなくなるって言うかさ。奈々美はいつでもストレートに好意をぶつけてくれるのに、俺はちっともそれに応えられてる気がしない。俺と一緒に居ることが果たして奈々美の幸せになるのか。って」

 我ながら情けないと思う。好きだ何だと好意を口にするのが元々得意ではない。そういう感情とは遠い場所で育ってきたし、近付こうとしなかったから。だから奈々美に好きと言われる度、いろんな形で愛情表現をされる度、申し訳なさでいっぱいになるのだ。

 一番ひどい時は共演したドラマで恋人同士の役だった時、これでもかってほどリテイクをした。周りは、奈々美がかわいいから緊張してるんだろうなんて茶化して、奈々美もそれに笑っていたけれど、俺にとってはそんな単純な話では無かった。

「愛情表現なんて、そんなの簡単だろ」
「え?」

 俺の苦い思い出を吹き飛ばしたのは、八乙女のその言葉だった。

「抱きしめて、好きだって言ってやればいい」
「……いや、そんなことが簡単にできたら苦労しないって」
「なら、違う言葉でもいい。ただ言葉にして伝えればいい。それだけだろ」

 相談相手を間違えたか。と大きくため息を吐けば八乙女は、なんだよ。と眉を顰めた。

「いいや、別に」
「言っとくけどな、お前と居ることであいつが幸せになれるかどうかは俺にはわからない。ただ、今お前のせいであいつは1人で泣いてるかも知れない。それは紛れもない事実だ」
「そう……だよな……」
「わかってんならやることは一つだろ!」

 半ば強制的に個室から追い出された俺は、今日は俺が持ってやる。と言う八乙女の気遣いに感謝の言葉を述べて、奈々美の家へと急いだ。



 約1時間後、到着した奈々美の家の前で深呼吸をする。合鍵で玄関の扉を開けて、おじゃましますと声をかけるも、それへの返答は無かった。
もう寝てしまったんだろうかなんて考えながら、リビングへ続く扉をゆっくりと開くと、そこにはチューハイの缶に囲まれて寝息を立てている奈々美が居た。

 つけっぱなしのテレビを消して、彼女の傍にしゃがみ込み顔を覗き込めば、ほんのり赤くなった頬には涙の跡がくっきりと残っていて、胸がの奥がひどく痛んだ。

「……ごめん」

 乱れた髪を整えるように梳き、まだ濡れている目尻にキスを落とす。そして耳元で、好きだ。と、起きている時には決して言えない言葉を囁いた。
 急に自分のしている事が恥ずかしくなって奈々美から顔を背けると同時に、くっと袖口を引かれる。まさかと思って慌てて顔を戻せば、大きな瞳が俺をじっと見上げていた。

「なっ!起きてたのかよ……!」

 最悪だ。恥ずかしすぎる。穴があったら入りたい。そんな言葉が頭の中を埋め尽くす。しかし奈々美は、今起きたんだよ。と欠伸混じりに呟いた後、体を起こして俺を睨みつけた。

「浮気男が何しに来たんですか?」
「……一応、その、謝りに?」
「謝るってことは、本当に浮気してたんだ……」

 目に見えて落ち込んだ奈々美に思わず怯む。普段は明るくて前向きな彼女のこんな姿を見るのは子どもの頃以来で戸惑いが隠せない。

「いや、浮気はしてない。信じてほしい」
「じゃあ、大和くんが好きな年下の女優って誰なのよぉ」

 お酒のせいで情緒が不安定なのか、今度は子どものように泣きじゃくり出した奈々美に何と伝えるべきか悩んだ挙句、俺は恥を忍んで八乙女に名前を伏せて惚気ていた事を打ち明けた。

「いや、実はその人、奈々美の事だって言ったら信じてくれる?」
「えっ?私のこと、なの……?」
「……そうです」

 驚きのあまり泣き止んだ奈々美は、えっ、えっ? とあたふたし始めたかと思えば、顔を真っ赤にして頬を押さえた。その百面相に緩みそうになった口元に力を入れて奈々美を見れば、彼女も同じタイミングで俺を見つめた。

「本当に……?」
「本当に」
「かわいいっていうのも……?」
「……そう」
「膝枕の話も……」
「……まぁ、そう」
「抱きしめた時の柔らかさが……」
「あー!そうだよ!それも!全部あんたの事だよ!だからもう勘弁してください!」

 両手で顔を覆い隠しそう嘆けば、奈々美はさっきまでの涙はどこへやら、けらけらと楽しそうに笑い出した。浮気じゃなくて良かった。と、ひとしきり笑った後、頭を下げた奈々美に目を見開いた。

「疑ってごめんなさい」
「……いや、奈々美は何も悪くない。俺の方こそごめん」
「許さないって言ったら?」
「え」
「うそうそ!もう一回好きって言ってくれたら許してあげる!」
「なっ!」

 やっぱり起きてたのかよ! 照れ隠しに眼鏡を上げる俺を、縋るような眼差しで見つめる奈々美。その瞳の奥が不安気に揺れているのがわかって、俺は無意識のうちに奈々美を力一杯抱きしめていた。

「えっ!?大和、く」
「はぁ……1回しか言わないからな」
「はっ、はい!」
「……好きだ。奈々美」

 一度口にしたその思いは堰を切って溢れ出す。1回しか言わないなんてかっこつけたくせに、1回だけじゃ足りなくて、俺は生まれて初めて自分から、好きの代わりのキスをした。
 全部酒の力なのかもしれない。でも、それでこうやって素直に想いを伝えられるなら、それはそれでいいとさえ思った。



 お互い気持ちが落ち着いて、きちんと話ができるようになった頃、改めて今回の件の謝罪と、流れで八乙女に俺達の事を話してしまった事を伝えた。
 
「そっかぁ、楽さんに話したのかぁ」
「やっぱマズかった……?」
「ううん。いいんだけど、楽さん私の事すごい可愛がってくれてるから、大丈夫だったかなって」
「あぁ……そう言えば、なんか頑固父親みたいなこと言ってたわ」

 俺の言葉に、やっぱり。と笑った奈々美につられて笑みを零す。誤解が解けて安心した俺は、今ならあの事も言えるかも知れないと、意を決して口を開いた。

「あの、さ。もう一つ話しておきたいんだけど」
「何?」
「……俺、愛情表現が苦手なんだ。さっきのはその、なんつーか、酒の勢いで言っただけで……いや、違う。ちゃんと本心なんだけどさ」
「うん」
「これから先も、奈々美が欲しい言葉を、欲しい時に言ってやれないかもしれない」
「うん」
「でも、その。俺の気持ちは、さっき言った通りって言うか、俺もちゃんと奈々美のこと俺なりにその、想ってるって言うか……」
「うん。大丈夫、ちゃんと伝わったよ」

 そう言って俺の胸に飛び込んできた奈々美をしっかりと抱きとめる。

「話してくれて嬉しかった。大和くん優しいから、仕方なく私と付き合ってくれてるのかなって思ってた」
「それは無い」
「うん。それがわかっただけで十分」

 ぎゅっと力一杯俺を抱きしめた奈々美は勢いよく顔を上げたかと思えば、俺の唇に触れるだけのキスをした。

「大丈夫だよ。私が大和くんの分まで愛情表現してあげるから!」

 えへへ。と笑った奈々美が健気で、愛おしくて、俺もこの胸に広がるこの気持ちを、彼女のように素直に伝えられるようになりたいと、そう、切に願った。





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真白様リクエスト
二階堂大和 業界人



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