魔法が解けたシンデレラ




「あっ」

 大好きな人の後ろ姿見つけて、思わず声をあげてしまう。隣を歩いていたメンバーにどうしたの? と尋ねられて、私は慌ててなんでもないと首を振った。

 テレビ局の廊下の数メートル先を歩いている彼はRe:valeの百さん。私は彼を見つけるのが世界で1番上手いと思う。今だって、廊下はスタッフさんが慌しく行き交っていて、同じアイドルグループのメンバー達もいて、私と彼の間には沢山の人がいるのに、すぐにわかったのだから。

(こっち向いてくれないかな)

 隣を歩いているマネージャーさんと楽しそうに話している百さんに向かって私欲に塗れた念を送っていると、不意に彼が振り向いた。その目ははっきりと私を捉えていて、百さんは笑顔を浮かべてこちらに手を振る。

「えっ!待って、モモさんこっちに手振ってない?!」

 きゃっきゃと騒ぐメンバー達。それを見て困ったように笑った百さんは、私が手を振り返すのを待たずに進行方向に顔を向けてしまった。
 上げかけていた手をそっと下ろして、フリルだらけのスカートを摘む。もしも私がアイドルじゃなかったら、人の目を気にせずに手を振り返すことができるのに。なんて、そんなことを考えてしまう私は、きっとアイドル失格だ。


 この業界、百さんの事を好きな人は沢山いる。人として好きな人も居れば、恋愛感情を抱いている人も居て、私は勿論後者だった。いや、だった。なんて過去形で言ってるけれど、今でも私は彼の事が大好きだ。
 きっかけらしいきっかけは正直無い。音楽番組やバラエティ番組で共演する事が多くて、いつの間にか2人で食事をする仲になっていた私達。そんな日々を繰り返し、気が付いたら私は彼の事が好きになっていた。

「オレ、奈々美ちゃんの事が好きなんだ」

 だから彼にそう言われた時は、心臓が口から飛び出るんじゃないかってくらい驚いたし、嬉しすぎて涙が溢れた。私の涙を拭ってくれる彼の手が暖かくて、優しくて、涙と共に好きがどんどん溢れていく。
 私も好きです。そう言いかけた私の頭の中を『恋愛禁止』のルールが横切った。

「百さん、私……」

 私の言いたい事なんて、きっと百さんは全部わかってるんだろう。目の前の寂しそうな顔が、全てを物語っていた。

「返事は要らないよ。ただ、伝えたかっただけだから」
「百さん……」
「困らせるってわかってたから、本当は伝えるつもりなかったんだ。でも、もう我慢できなくて……。ごめんね、全部俺の我儘」

 今だけだから。と私を抱きしめた百さんの気持ちが、触れ合った部分から痛いくらいに伝わってきて、それが切なくて、この日私は一生分の涙を流した。

 『恋愛禁止』なんて、馬鹿げてるとつくづく思う。恋をしちゃいけない私たちに、どうして恋の歌を歌わせるんだろう。人としていけない事をしているわけじゃ無いのに、どうして好きな人と一緒になる事すら許されないんだろう。
 全てが『アイドル』だからという一言で片付けられてしまうなんて、そんなの、あんまりだ。




 幼い頃から、ずっとアイドルに憧れていた。いつも笑顔で可愛くて、キラキラ輝くステージで歌って踊る。そんなアイドルに、私もなりたかった。
 だからオーディションに受かった時は人生で初めて嬉し涙を流したし、ファンのおかげでセンターになれた時はこれ以上にない幸せを感じた。それなのに今、私は他の幸せを求め始めている。

「普通の女の子として、普通の恋愛がしたいです」

 雑誌のインタビューで聞かれた『生まれ変わったら何になりたいですか?』という質問に、私はそう答えた。インタビュアーさんの困ったような顔と、マネージャーの怖い顔が目に入ったけれど、私は何か悪い事をしたのだろうか。
 生まれ変わったら普通の女の子として百さんに出会って、手を繋いで歩きたい。世の恋人たちがしているみたいに、ごく普通の恋愛がしたい。私が望むのは、今世でも来世でももうそれだけだ。

「トップアイドルとしての自覚を持て」

 それが、インタビューが終わった後マネージャーに言われた言葉だった。
 私の回答はアイドルとしてにアウトだったのだろう。数週間後に発売された雑誌には、『生まれ変わってもアイドルになりたいです』という知らない人の言葉に書き換えられた文章が掲載されていた。
 今の私には恋愛なんて到底無理なのだと、そう思い知らされた気がした。




「生まれ変わったら何になりたいか?」

 インタビューを受けてから数週間後、行きつけの個室居酒屋で食事をしている最中に、百さんに先日のインタビューでの質問を投げかけてみた。
 彼は大きなジョッキを片手に、急にどうしたの? と首を傾げて、不思議そうに私を見る。突然こんな私を出されたら、きっと誰だってこんな反応をするに違いない。

「そうです。この前インタビューで聞かれて」
「なるほど!この質問定番だよね。オレも今まで何回か答えたよ」
「その時は、何て答えるんですか?」
「生まれ変わっても、ユキの隣で歌ってたい!」

 ジョッキを掲げながらそう言った百さんの彼らしい答えに自然と笑みが溢れると共に、アイドルとしても完璧なその答えに胸の奥がモヤモヤし始める。やっぱり私はアイドル失格なんだな。と、そう思わずには居られなかった。

「奈々美ちゃんは?何て答えたの?」
「……私は、普通の女の子になって、普通の恋愛をしたいって答えたんです」

 私の言葉に、百さんの動きが一瞬止まった気がした。
 百さんから想いを告げられたあの日以降、私たちはお互いこの話題には触れないようにしてきた。食事の席では他愛のない話を意識的にする。少なくとも私はそうしてきたし、百さんもそうしてくれていたはずだ。そんな暗黙の了解を、私は今、破っている。

「でも、雑誌には全然違う言葉が書いてありました」
「……そっか」
「……百さんは、アイドルになって後悔したことって無いですか?」

 私の質問に百さんは、無いよ。と即答した。その表情が寂しそうに見えるのは気のせいなんだろうか。気のせいじゃなくても、きっとその部分に触れられる距離に私はまだ居ない。そう考えたら、今度は胸がチクリと痛んだ。

「……そう、なんですか」
「うん。ユキと歌って踊れる事が幸せだから。……でもそれ以外にもアイドルになってよかった!幸せだな!って思った事があるんだ。なんだかわかる?」
「ファンに愛されてること、ですか?」
「それもある!」
「……お金持ちになれたこと?」
「ははっ!それもあるけど、一番は奈々美ちゃんに出会えたこと」
「えっ」

 まさかの言葉にただ驚くことしかできない私を、百さんは優しい眼差しで見つめている。

「どっちかがアイドルじゃなかったら、オレ達は出会えてすらなかったのかもしれない。そう思ったら、今の関係ってそんなに悪いものじゃないんじゃないかって最近思い始めたんだ」
「百さん……」
「だから奈々美ちゃんもそんなに悩まないでよ!笑ってる奈々美ちゃんが好きなんだ。……って、オレが余計なこと言っちゃったから、悩ませちゃってるんだよね」

 ごめんね。と眉を下げる百さんに、私は慌てて首を振った。百さんが謝る必要なんて全く無い。むしろ謝らなきゃいけないのは私の方だ。百さんがこんなにも私のことを思ってくれてるだけで幸せなのに、これ以上を望んだらきっとバチが当たってしまう。

「……なんか、百さんはもう悟りを開いてるって感じですよね」
「悟り……?あははっ!そんな事ないよ。奈々美ちゃんがアイドルだから、まだ余裕があるだけ」
「余裕……?どう言うことですか?」

 首を傾げた私に百さんは片方の口角を上げて笑った後、グラスに添えていた私の左手を取った。見た目以上に大きな百さんの手に人知れず鼓動を早くしていると、彼は薬指のあたりをそっと撫でた。

「百さん……?」
「だって、奈々美ちゃんがアイドルのうちは、他の男に取られる心配無いでしょ?」
「えっ?」
「だからまだ、余裕でいられる。……って、我慢できなくて告白したやつが何言ってんだって感じだけどさ」

 余裕があっても我慢はできなかったんだ。熱い視線と共に送られたその言葉に、一気に体温が上がっていく。さっきまで同じくらいの体温だった指先も、今では百さんの手が少し冷たく感じる。そんな私を、百さんはただ楽しそうに見つめていた。

「もっ、百、さんは!」
「ん?」
「私の気持ちが、その……他の人に向いちゃうかもって、思わないんですか?」
「そうなったら、またオレに気持ちが向いてもらうように頑張るよ。今世がダメでもオレの頑張りを見た神様が、来世では奈々美ちゃんと幸せにしてくれるかも知れないじゃんか!」
「ふふっ、何ですかそれ」
「……そんなバカみたいな事考えちゃうくらい、オレは奈々美ちゃんが好きってこと」

 私の手をぎゅっと握った後、ゆっくりと離れていく百さんの手に名残惜しさを感じながら、泣きそうになるのをぐっと堪える。今泣いたら、きっと百さんを困らせてしまうから。

「あれ!もうこんな時間!明日もあるし、そろそろ帰ろうか」
「……はい」

 人の心をかき乱しておいて、急に何事もなかったかのようにいつも通りに戻る百さんに、なぜだかほんの少しだけ腹が立った。
 同じアイドルのはずなのに、私だけが気持ちを伝えられないのが不公平に感じて、それでいてなんだか悔しくて、私は立ち上がって身支度を整え始めた百さんに、半ば体当たりするような形で抱きついた。

「えっ!奈々美ちゃん!?」
「百さんはずるいです!いつも一方的に自分の想いだけ伝えて!私だって、私だって百さんの事っ……!」

 好きなのに。たった一言その言葉が喉につっかえてしまう。悔しい、切ない、苦しい、好き、大好き。いろんな感情が一気に押し寄せくる。私は百さんの襟元を強引に引っ張り、その気持ち全部をぶつけるように、彼の唇にキスをした。

「んっ……奈々美ちゃっ、ちょっ、待った!」

 百さんの言葉を無視して、私は何度もキスをする。時間としては1秒も触れ合っていないこのほんの一瞬の間に、私の気持ちはどれだけ伝わるのだろう。もしかしたら、1ミリも伝わっていないのかもしれない。でも伝えたい。そう思ったら止まれなかった。

「んっ、ちょっ!本当ストップ!奈々美ちゃん、急にどうしちゃったのっ!?」

 一瞬の隙に顔の間に手を差し込まれ、これ以上想いを伝えることはできなくなった。百さんは珍しく顔を赤くしていて、それがちょっとかわいいなと思った。でも、今はそれどころじゃない。

「いつも百さんばっかりずるいじゃないですかっ!」
「それに関しては悪いと思ってるけど、いきなりキスは……!」
「私だって、もう我慢できないんですっ……!百さん、人気者だからいつか他の人に取られちゃうんじゃないかって思ったら余裕なんてこれっぽっちもないし、でも、だけど、私は言葉にはできないから」
「……奈々美ちゃん」
「だからっ……」

 泣いちゃダメだとわかっていても次第に視界がぼやけて、瞬きをしたら頬が濡れる。そんな私を百さんは、あの日のように抱きしめてくれた。
 はしたない女と思われただろうか。それでも、好きと言葉にできないなら、気持ちを伝えるにはもうこれしか方法が思い浮かばなかったのだ。

「……ごめんなさい」
「ううん。謝る事じゃないよ。オレが自分勝手すぎた。奈々美ちゃんの事考えるなら、やっぱり伝えるべきじゃなかった」
「そんな事ないです!百さんの気持ち、本当に嬉しいんです。でも、それに応えられないのが、ただただ悔しくって……」

 行き場のない思いはまだ胸の中で燻り続けていて、苦しくて苦しくて仕方がない。この苦しみから解放されたくて縋るように百さんの背中に腕を回せば、彼は私の頭を優しく撫でてくれた。

「大丈夫。奈々美ちゃんの気持ち、ちゃんと全部伝わってるよ」
「……百さん」
「痛いくらい、伝わってる……」

 そう言った百さんを見上げれば、彼は憂いを帯びた表情を浮かべていた。彼が何を言おうとしているのかすぐにわかってしまった自分が憎い。こんな事になるなら、さっき大人しく帰っておけばよかったと、そう思わずにはいられなかった。

「……百さん」
「ねぇ、奈々美ちゃん」
「……はい」
「いつか、奈々美ちゃんが普通の女の子になる日が来たら……その日が来たら、オレが必ず迎えに行くよ。おっきい薔薇の花束なんか持ってさ!どう?ロマンティックじゃない?」
「ふふっ、素敵です」
「じゃあ決まり!……大丈夫、オレの気持ちはずっと変わらないから」
「……はい」
「奈々美ちゃんのためなら、何年でも待てるよ。なんなら、来世になっちゃっても平気!」
「……それは、私が耐えられないです」
「ははっ、そっか……そう、だよね。……やっぱりオレも、それは無理かも」

 ぎゅっと私を抱きしめた百さんの腕の力が、今までよりもずっと強くて、離れたくないと思っているのは私だけじゃないんだと、そう感じた。
 今生の別ではない。仕事ではイヤでも顔を合わせるし、連絡を取ろうと思えばいつでも取れる。そうはわかっていても、もう『今の私達』では居られなくなるのは、寂しくて、辛くて、ただひたすらに悲しかった。










 スポットライトを浴びながら、一面に広がる私色のペンライトの光を眺める。私を呼ぶ沢山の声に、私は笑顔で手を振った。

「今まで本当にありがとうございました!」

 年月が経って、私は所謂アラサーと呼ばれる年齢になった。女の子のアイドルは20代前半がピークなんて言われていたけれど、ありがたい事にこの歳までセンターに立ち続けることができたし、メンバーやスタッフさんはもちろん、大勢のファンにも惜しまれながら卒業コンサートを終えることができた。もう、ステージに立つことも、この衣装を着ることもない。

「最後って感じ、全然しなかったなぁ……」

 スマホの画面に映っている自分の姿を、目に焼き付けるように眺める。私の卒業ドレスは純白で、まるでウェディングドレスみたいだと初めて見た時から思っていた。これからは本物のウェディングドレスを着る事を夢みてもいいんだと、そう思ったら大好きな彼の顔が頭の中を過った。

 あの日から、私と百さんはプライベートで会うのを辞めた。仕事で話すとしても歌番組共演時の楽屋挨拶とバラエティー番組の絡みしか無くて、会話らしい会話はゼロ。連絡先こそ知ってるもののお互い連絡をする事はなく、百さんとのラビチャはあの日の待ち合わせの連絡で終わっていた。

「誕生日くらい、連絡してもよかったかも」

 ラビチャの画面を眺めながらひとりごちて、この数年間に想いを馳せる。
 この数年間、アイドルを辞めて普通の女の子に戻るメンバーを何人も見てきた。中には熱愛が発覚してそのまま辞めて、終いには結婚したメンバーなんかもいて、そんな子達を見ると正直羨ましくて仕方がなかった。

 私ができる事と言えば、あの日の私達が間違っていなかったと証明するために、いつかその日が来たら彼が迎えに来てくれると信じて、全力でアイドルをやり切る事だけだった。そしてその集大成が今日のこの場所。後悔は、これっぽっちも無い。

 そろそろマネージャーが呼びに来る時間だと、疲れ切った体に鞭を打って、身支度を整え始める。コンサートの後、ファンクラブ用の動画撮影やグループのWEB番組への出演、その他諸々文字通り最後の仕事をしていたら時間はあっという間に過ぎて、あと1分で日付が変わるところだった。

「百さーん。私、もう普通の女の子になりますよー……」

 今どこで何をしているかわからない百さんに向かって、早く迎えに来てください。なんて我儘な念を送り続ける。そもそも、あの約束を百さんはまだ覚えているんだろうか?

「……忘れられてても、私頑張ったからきっと来世で幸せになれるはずだよね」

 前髪を整えながら鏡の中の自分に問いかけて、曖昧な笑みを浮かべる。荷物を手に取りスマホで時間を確認すれば、もう日付が変わっていた。
 不意に楽屋にノックの音が響く。どうやらマネージャーが迎えにきたようだ。今行きます。と返事をしながら楽屋のドアを開けたらそこには一面の赤い薔薇。ゆっくりと視線を上げると、そこに居たのは今、一番会いたかった人だった。



「迎えに来たよ、奈々美ちゃん」

 






---------

みぃ様リクエスト
百 業界人、両片想い、切甘



back


novel top/site top