あなたの頬に
-明日、少し会えませんか?
奈々美ちゃんからそうLIMEが来たのはあと15分で日付が変わる頃だった。彼女からのお誘いはとても貴重で、日程は違えど今まさに彼女を食事に誘おうと思っていた俺にとっては願ったり叶ったりだ。
勿論だよ。と打ち、流れるように送信ボタンを押そうとした指を止める。冷静になってスケジュールを確認すれば、そこには半年以上前から決められていた予定が書かれていて、俺は人知れず肩を落としながら文字を打ち直した。
-夜は予定があるから、それまでなら大丈夫だよ。
半年以上前から決められていた予定、俺の誕生日パーティー。祝ってくれる人が居るのは嬉しい事だし本当に感謝しかないけれど、奈々美ちゃんからのお誘いをもらった瞬間、誕生日パーティーなんてすっぽかしてしまいたいと一瞬思ってしまった。
心の奥底に沸いたそんな感情に蓋をして、ため息混じりに送信したLIMEに返事が届いたのは数分後だった。
-少しでもいいので会いたいです。仕事が終わったら、会いに行ってもいいですか?
予定があるのにすみません。と添えられたそのメッセージは、数ヶ月の彼女からは想像できないようなもので、それが無性に嬉しくて、自然と口元が緩んでしまった。
-勿論だよ。
数分前は送ることが叶わなかったこの言葉を、今度は何の躊躇いもなく流れのままに送りつけた。
それを送るとほぼ同時にスマホが震えてメッセージの受信を知らせる。随分早い返事だなと、スマホを手に取れば、そこに表示されていたのは彼女の名前ではなかった。
そのLIMEを皮切りに次々と届く『誕生日おめでとう』のメッセージで日付が変わったことを知った俺は、淡い期待を抱きながら奈々美ちゃんからの返信を待つ。
しかし、送られてきたメッセージには『じゃあ明日、19時に六本木に行きますね。』としか書かれておらず、俺は再び人知れず肩を落としたのだった。
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『大谷さんにバレンタインあげないの?』
数週間前、同じ会社の先輩に言われた言葉に私はずっと頭を悩ませていた。
大谷さんと出会ってもうすぐ1年が経とうとしている今、彼がどんな人かという事は痛いほどに理解しているつもりだ。女性に優しくて紳士的、しかしそれでいて特定の彼女を作らない所謂遊び人というやつで、その類の男性にあまりいい思い出がない私にとって、大谷さんはどちらかというと苦手なタイプの人だ。
ひょんな事がきっかけで2人で会うようになった私と大谷さん。苦手なタイプの人だと言いつつも、一緒に過ごす時間が増えれば増えるほど彼に心惹かれている自分がいる事も確かで、今ではもう会えない日を寂しく思ってしまう事もある。
「バレンタイン、明日かぁ……」
悩みながらも念のためにと買ったチョコレートの袋を眺めてため息を吐く。時刻は23時半を少し過ぎた頃だった。
きっと彼はいろんな人からお誘いを受けているんだろう。そう考えたら、今更お誘いのLIMEを送ったところで断られてしまうかも知れない。
-明日、少し会えませんか?
悩みに悩んだ私がそのメッセージを送ったのは、それから15分経ってからだった。
仕事を終え、急いで待ち合わせ場所に向かう。いつもは定時に上がれるというのに、なぜよりによって今日、残業になってしまうんだろう。自分の運の悪さを恨みながら、少し遠くに赤い髪の彼を見つけて息を整える。
大谷さん。彼の名前を呼ぼうと私が口を開くよりも先に、彼がこちらを見て優しく微笑んだ。
「お疲れ様」
「お疲れ様です。あの、遅れてすみません」
「ううん。大丈夫だよ」
走ってきてくれたの? そう言って私の髪をそっと整えてくれる大谷さん。ドキドキと心臓が早鳴っているのは、きっと、走って来たからだ。
「外寒いし、どこか入る?」
「あ、いえ。その……これを、渡したかっただけなので……」
「チョコレート?」
「はい。でも、あの、深い意味は無いですから!いつもお世話になってるので」
必死に言い訳をする私に打って変わって、大谷さんはくすくすと笑いながらも、差し出した小さな紙袋を嬉しそうな表情で受け取ってくれた。今日呼び出した理由も渡される物も、彼はわかってたはずなのにこんなに喜んでもらえるなんて思っていなくて、少し驚く。
「ありがとう、すごく嬉しい」
本心が見えない彼の言葉をいつもだったら無条件で疑ってしまうのに、今日は本心だってすぐにわかってしまったから何も言えなかった。
「今日」
「ん?」
「この後……」
誰と予定があるんですか? そう言いかけて、口を噤んだ。それを聞いたところでどうする事もできないし、落ち込むのが目に見えているから。
「この後、誕生日パーティーなんだ」
私が何を言おうとしたのかなんて大谷さんにはバレバレだったようで、彼は私が口にできなかった質問の答えをさも当然のように口にした。
「そうなんですね、おめでたいですね」
「うん。俺のなんだけどね」
「え?」
俺の。彼は確かにそう言った。大谷さんの誕生日パーティー? そう言えば、彼の誕生日はいつだっただろう。記憶を辿ってみて初めて、私は大谷さんの誕生日を知らないことに気が付いた。
「大谷さんって、誕生日いつなんですか?」
私の質問に大谷さんは、ああ、そっか。と何かを納得したように呟く。その様子に首を傾げれば、彼は衝撃の言葉を口にした。
「今日だよ」
「えっ!?」
驚きのあまり大きな声が出た私を、彼は楽しそうにくすくすと声を上げながら見ている。かと思えば、急に何か企んでいそうな意地の悪い顔になって、私にぐっと顔を寄せた。
「うん、今日。だから奈々美ちゃんからもプレゼント欲しいなぁ」
私の反応からして誕生日だと知らなかったことは明白なのに、それを知っていてこんな事を言ってくるんだから彼は本当に意地悪だ。
「用意してない、です」
「うん、知ってる。だから、奈々美ちゃんがプレゼントでいいよ?」
「なっ……!」
何言ってるんですかっ! と慌てる私に彼は楽しそうに笑って、冗談だよ。と姿勢を戻した。
「プレゼントなんて要らないよ。こうやって会えただけで嬉しいから」
「……本当ですか?」
「本当だよ。欲を言えば、もっと一緒に居られたらって、思ってるけど」
ごめんね、そろそろ時間みたい。腕時計に目をやって笑った大谷さんの笑顔が、ほんの少し寂しそうに見えるのは、都合の良い幻覚だろうか。
「気を付けて帰ってね」
「はい」
いつも私が帰るのを最後まで見送ってくれる大谷さんが、それじゃあ。と踵を返したと同時に、私は無意識のうちに彼の手を取っていた。
「どうしたの?」
「プレゼント、用意できなくてごめんなさい」
「全然いいよ」
「それから、あの」
おめでとうございます。と言いかけた口をきゅっと引き結んで、私は背伸びをした。
我ながら大胆な事をしている自覚はある。プレゼントは次に会う時までに用意すればいいし、彼も本当に気にしていないんだと思う。それでも何も知らなかったのが悔しくて、何も無しで終わらせたくなくて、だから私は彼の冷えた頬に唇を寄せた。
「えっ、今……」
「プレゼント、です。パーティー楽しんできてください!」
大谷さんの言葉を待たずにその場を後にした私の鼓動は走り出す前なのにもう早くて、これ以上自分の気持ちを隠すのは無理だと、そう、思った。
2022.2.14
HAPPY BIRTHDAY HATORI
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