重ねて重なって
家に帰るとご機嫌斜めな奈々美が居た。ただいま! と声をかけてもそっぽを向いていて目すら合わせてくれない。そんな彼女を見て、何かしてしまっただろうか? とここ数日の出来事を振り返るが、お互い仕事が忙しくて会うのは数ヶ月ぶりで心当たりは全く無い。
「奈々美ー?ただいま!」
めげずに再び声をかければ、奈々美はオレを睨みつけて、手に持っていた物を勢いよく広げた。それは今日家を出る前に洗濯して乾燥機にかけていたシャツだった。
「これはなんですか」
「えっとー……4日前に着たシャツ?」
「そんなに洗濯してなかったの!?」
「だって忙しかったんだもん!」
「はっ!そうじゃなくて!これ!」
奈々美が指差したところには、口紅の跡が。心当たりが有って、あー……。と口元に手を当てて目を逸らすと、奈々美はオレに詰め寄ってきた。
「……浮気ですか、百瀬くん」
「えっ!?いや!違う違う!浮気なんかしてないよ!それだけは信じて!」
相変わらずオレを睨みつけている奈々美は説明を待っているようで、オレは床に正座して事のあらましを説明した。4日前の飲み会で酔ったアイドルちゃんを介抱した事、その時にふらついたその子を抱きとめた事。
「で、その時に着いちゃったやつだと思うんだけど、全く気付いてなかったです」
「……本当に?」
「本当だよ!三月も一緒だったから、証言頼もうか!?」
「そこまでしなくていいけど……。なんでさっき気まずそうにしたの?」
さっきと言うのは奈々美がオレに詰め寄ってきた時の事だろう。言うつもりは無かったけれど仕方ない。と、オレは重い口を開く。
「その子にされて……」
「何を?」
「あのー……その……キスを」
「……それ、隠そうとしてたの?」
「いや、でも向こうはかなり酔ってたし、謝ってもらったし!だからわざわざ奈々美に言う事じゃ無いかなって!ぶっ!」
顔面めがけて飛んできたのは例のシャツで、オレの視界は水色に染まった。そんなオレを放置して、奈々美は自身の荷物をまとめ、玄関へと足を向けていた。
「ちょっ、待って待って!どこ行くの!?」
「帰る」
「なっ!オレ本当に浮気してないよ!?」
本当に待って。と奈々美の腕を掴めば、奈々美はポロポロと涙を流していた。
「奈々美……」
「ごめん、私今日なんかダメみたい。これ以上モモちゃんと居たらモモちゃんを傷付けちゃう。だから帰る」
ごめんなさい。そう言ってオレの手を振り解こうとする腕を引き寄せて、思い切り抱きしめる。初めは抵抗していた奈々美も、オレが背中を叩いているうちに落ち着いてきたのか、抵抗をしなくなった。
「モモちゃん……」
「落ち着いた?」
「うん……。モモちゃん、いろいろごめんなさい」
「奈々美が謝ることなんてひとつもないよ!オレこそごめん。……奈々美が思ってる事、ちゃんと聞きたい」
聞かせてくれる? 目尻に溜まった涙を唇で拭いながら尋ねれば、奈々美はゆっくりと頷いてくれた。
薄暗い寝室へと足を向けたオレ達は、ベッドの上で向かい合う。オレは俯いている奈々美の手をぎゅっと握り締めながら、彼女の言葉を待った。
「……今日ね」
「うん」
「番宣でバラエティ番組の収録に行ったんだけど」
「うん」
「その時、多分モモちゃんがさっき言ってた子と一緒でね」
うわ、何か嫌な予感がする。心の中でそんな事を呟けば、その嫌な予感は見事的中してしまった。
「モモちゃんと……キス、した事、自慢してたの」
「……最悪」
「勿論、カメラが回ってない時だったし、メンバーの子に話してるのを私が聞いちゃっただけなんだけど」
「はぁ……あの子、いい子だと思ってたのに」
「……今思えばモモちゃんが自分からそんな事するわけないってわかるんだけど、なんか最近余裕なくて」
口早にそう言ってオレの胸に飛び込んできた奈々美を抱きとめて、その小さな背中に腕を回した。奈々美の呼吸が浅くなっている事に気がついて、オレは再び背中を一定のリズムで叩いた。
「今日、久しぶりに会えるの嬉しかったのに、洗濯物畳んでたらあのシャツ見つけちゃって、悪いことばっかり考えちゃって」
「うん」
「モモちゃん、その事隠そうとしてるように見えたから、もしかして本当に浮気してるんじゃないかって」
疑ってごめんなさい。その言葉と共に胸の辺りがじんわりと湿っていくのがわかって胸が痛む。奈々美はこれっぽっちも悪くない。謝らなきゃいけないのはオレの方だ。
「オレこそごめん。オレの中ではもう解決した事だったから、奈々美に言わなくてもいいかなって思っちゃったんだ。奈々美が知ったら多分傷付くと思ったから」
「うん……」
「浮気はしてないよ。これだけは信じて?奈々美以外の女の子に興味無いもん」
おでこを合わせて見つめ合っても、奈々美の涙は止まる事を知らない。
「だらもう泣かないで」
「……モモちゃん、私のこと嫌いになった?」
「ならないよ!オレが好きなのは、今までもこれからも奈々美だけ」
そう言ってキスをしようと近付けた唇を、奈々美の指がそっと制した。
「キス、やだ?」
オレの問いかけに複雑そうな表情を浮かべた奈々美。それもそのはずだ。他の女の子とキスをしたと知ってしまった以上、思うところがあるはずだから。
「いやじゃ、ないけど」
「やっぱ複雑だよね」
「……うん」
「でも、オレは早く奈々美とキスしたい。ぶっちゃけ、あの子にキスされた時めちゃくちゃ嫌だったんだよね。自分でもびっくりするくらい鳥肌立っちゃったもん!」
思い出しただけで鳥肌立ちそう! わざとらしく震えてそう言えば、奈々美はくすくすと小さく笑った。
「だからさ、奈々美に消毒してほしいんだ」
お願い。あと少し動いたら唇が触れる距離で囁けば、オレの首に奈々美の腕が回り自然と唇が重なった。触れるだけのキスをしたあと、奈々美が頬を染めながら照れ臭そうに呟いた。
「これで、消毒できたかな……?」
その姿がとても愛おしくて、心臓がキュンっと音を立てる。こう言う時くらい理性的で居たかったのに、奈々美を前にするとどうしたって我慢ができない自分に呆れながら、まだ足りない。なんて都合のいい言葉を吐いて、オレは彼女をシーツの海へと沈めたのだった。
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