いたずら




−トラくん今日会えますか?もし会えるなら会いたいです

 仕事終わり、スマホを見ればそんなラビチャが1通届いていた。相手は相変わらず鈍臭くて間抜けな俺の許嫁だ。いつもは事前に予定を聞いてくるから、あいつが突然会いたいと言ってくるのは珍しい。幸い明日はオフなうえに、仕事も予定より早く終わった。おまけに帰っても大してやる事が無い。今日じゃなきゃ断るが、今日は特別に会ってやることにした。

−会ってやってもいい

 俺の返信にはすぐに既読がついて、間髪入れずに変なキャラクターのスタンプが送られてきた。

−今からお家行くね!

 そのラビチャを読むや否や俺は待ったをかける。交通手段は何なのか尋ねれば、電車に乗ってみようと思ってるよ! なんて案の定馬鹿なことを言い出した。家を出る前に止めないと面倒な事になる。巻き込まれるのはごめんだぞ。と、急いで電話をすれば、あいつはワンコールで出た。

『もしもし、トラくん?』
「そっち行くから大人しく待ってろ。いいか?家から出るなよ」

 じゃあな。と、返事を聞く前に通話を切って帰り支度を始める。ああ、今日は1人の現場でよかった。なんて、楽屋を最速タイムで出た瞬間に思った。こんな俺を見たら、きっとあいつらは面白がるに決まってる。








「トラくん!トリックオアトリート!」

 家に着くなり言われた言葉は、秋の訪れから10月の最終日にかけて至る所で目にし、耳にしたフレーズだった。

「……何を言ってるんだ?」
「え!?トリックオアトリートだよ!トラくん知らないの?」
「そういう意味じゃない。ハロウィンはとっくに終わっただろ。……と言うか、まさか会いたい理由がこれ何て言わないだろうな?」
「え?そうだけど……」
 
 女に"会いたい"と言われて、開口一番菓子を要求されるなんて生まれて初めてだ。さっさと家に帰ればよかった。と、ここ最近で一番の大きなため息を吐けば、目の前の間抜けは分かりやすく肩を落とした。その落ち込みようを見たらなんだかバツが悪くなって、頭をガシガシと乱暴に掻く。

「言っておくが、俺は菓子なんて持ってない」

 俺が話題を変えなかったのが嬉しかったのか、しゅんとしていた顔が一気に華やいだ。

「お菓子持ってないなら、いたずらしていいんだよねっ!」
「ハロウィンならな。だが生憎今日は普通の日だ。いたずらは来年まで取っておくんだな」
「えぇ……」
「それにしても、あんたハロウィンなんて無縁の生活だっただろ?どこで覚えたんだ?」
「巳波くんが教えてくれたの!」
「は?」

 まさかの名前に間抜けな声が出る。こいつが言う巳波は、十中八九うちのメンバーの棗巳波の事だろう。何で巳波の連絡先を知ってるのかと尋ねれば、ある日突然向こうからラビチャが来たんだとか。

「巳波くんは、トラくんに私のラビチャ教えてもらったって言ってたけど」
「俺は教えてないぞ」
「そうなの?」
「当たり前だ。どうして自分の女の連絡先を他の男に教えなきゃならないんだ」

 ため息混じりにそう言えば、目の前の顔がみるみる赤くなっていく。その様子に首を傾げていると、うー……。と小さく唸った後、両頬を押さえながらぽつりと呟いた。

「私がトラくんの女……」

 何を言い出すのかと思えば、今更そんな事で照れてるのかと内心呆れる。もう何年も許嫁として俺の隣にいるのに、いざ俺が好意を向ければこの女は途端に少女のように初心な反応になる。きゅっと力を入れて、緩む口元を必死に隠そうとしている姿がいじらしくて、途端に愛おしくなった目の前の女を俺は抱き寄せる。

「トラくん?」
「おまえは……奈々美は俺の女だろ。違うのか?」
「えっ、あっ、違わないです」
「ふっ、だよな?こんな事でいちいち赤くなるなんて子どもだな。それで?俺にどんないたずらをするつもりだったんだ?」
「えっ?」

 細い腰を抱いたままソファに座り俺の膝の上に跨らせれば、引いたはずの顔の赤みが蘇った。その体勢が恥ずかしいのか、離れようとする体を再び抱き寄せる。

「トラくん」
「いいから早く言えよ」
「えっ、えっと巳波くんが一緒に考えてくれたんだけど」
「おい、待て。さっきも気になったが、いつからあいつのことを名前で呼ぶようになった?」
「え?」

 瞬きを繰り返している奈々美の頭の後ろに手を回し、純粋無垢な瞳を見つめながら口から溢れた言葉。その声は想像の何倍も低くて、いつからこんなに嫉妬深い男になったんだと自嘲する。
 でも今は、どんないたずらをしようとしていたのかより、俺以外の男を名前で呼んでいる事の方が、よっぽど気になった。

「この前食事に行った時に、巳波くんが」
「待て、食事?あいつと2人でか?」
「え?うん。あっ!すごく美味しいお店だったんだよ。ワインの質もよかったし、トラくんも気にいると思うなぁ」

 今度一緒に行かない? なんて、人の気も知らずに呑気に話している目の前の馬鹿な女の体を抱き寄せ、そのまま体を反転させる。そして、小さな悲鳴を上げながら強制的にソファへと腰掛けた奈々美に覆い被さる。戸惑いで揺れている瞳に映っているのは、余裕のない俺の顔だった。

「トラ、くん……?」
「……食事だけならまだしも、酒飲んだのか。男と2人の時に」
「一杯だけだよ?それに巳波くんは私とトラくんの関係知ってるんだし」
「そう言う問題じゃ無い」

 相手が誰でも関係ない。男と2人で食事をして、ましてや酒を飲んだなんて、巳波じゃなかったら食われてたかもしれない。いや、どの口が言うんだって自分でも思ってる。ただ、奈々美に何かあったら、きっと俺は冷静じゃいられない。

「あんた、その隙だらけなのいい加減どうにかしろよ」
「隙?私、隙だらけなの?」
「自覚してないのか?そんなんだと、いつか誰かにいたずらされるぞ」
「ハロウィンじゃなくても?」
「ああ。しかもタチの悪いいたずらだ」

 意味がわかってないのか、あたまにハテナを飛ばしている奈々美の唇に、触れるだけのキスをする。

「例えば、キス」
「こっ、言葉で教えてくれればわかるよ」
「いいや。あんたバカだからな。言葉だけじゃわからないだろ」
「トラくんお口が」

 悪いですよ。と続くであろう奈々美の唇をキスで塞ぐ。角度を変えて繰り返されるそれに奈々美は俺の胸を押すが、勿論辞める気はさらさらない。首筋に触れ、鎖骨を指でなぞれば、肩が小さく跳ねたのがわかった。

「んっ……トラ、くん」
「あんたがされるかもしれないのは、こういういたずらだ」
「……これ、いたずらなの?」
「ああ。嫌だろ?」
「うん……」

 頷いた奈々美の頭を、わかればいい。と雑に撫でて俺はソファへと腰を下ろす。これを機にもう少し危機感を持ってくれよ。そんな俺の呟きを、彼女の「でも」と言う言葉が遮った。

「でも?」
「私、トラくんになら今みたいないたずらされても嫌じゃないよ」

 俺の服の裾をきゅっと握りながらそう言った奈々美は、赤い顔に上目遣いで俺を見つめている。

「どこで覚えたんだ、そんな殺し文句」
「殺し文句……?」

 再び頭の上にハテナを飛ばした奈々美に、そう言うところだぞ。ため息を吐く。
細い腕を引けば、いとも簡単に俺の胸に飛び込んできた小さな体。その体を思い切り抱きしめながら、俺は『トリックオアトリート』と、季節外れのフレーズを、心の中で呟いたのだった。



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