二者択一
「もう終わりにしたい」
おしゃれなホテルのベッドの中から、シャワーを浴び終わった大きな背中に向かって言葉を投げる。バスローブが似合うな。なんて馬鹿みたいなことを考えて気を紛らわせても、沈黙が連れてきた気まずさは消えなくて、逃げるように枕に顔を埋めた。
ベッドの軋む音が部屋に響いて顔を上げれば、馬鹿馬鹿しいとでも言いたげな瞳が私を見下ろしていた。濡れた髪が色っぽくて、ついため息が出そうになる。
「またその話か」
「……今度は本気」
「前もそう言ってた癖に、まだ続ける選択をしたのはあんただろ?」
「だってあの時は……」
「ああ、あの時は"最高"だったな」
そう言って髪を掻き上げる姿に胸が高鳴った。単純な自分に嫌悪感を抱きながら、私は数週間前のことを思い出す。
数週間前、同じ話を情事の前にした。その時彼は自信満々にこう言った。
「終わった後、あんたの気持ちが変わってなかったら考えてやってもいい」
その言葉に頷いて最後のつもりで抱かれたのに、いつもよりも激しく、それでいて時折優しさを見せる彼に、事が終わる頃には私の心はすっかりリセットされてしまった。
「で?なんだって?」
「……え?」
意識が遠のきそうになるのを我慢して彼の言葉に耳を傾ける。
「もう終わりにしたい。確かあんたそう言ってたよな」
そう言った彼の声色は、これ以上にないほど楽しそうだった。
「……そんな事言ってないよ」
抱きしめられたまま目を閉じて、寝言のようにそう返せば、彼がふっと小さく笑ったのがわかった。情事の前の自信満々だった顔がふと頭に浮かんでくる。そこでようやく、彼は最初からこうなる事がわかっていたんだと理解したのだった。
ベッドに腰掛けた彼は、スマホを片手にタオルで自身の髪を乱雑に拭いている。どうやら私の話を真面目に聞く気がないらしい。
「ねえ、ちゃんと話聞いて」
「聞く必要性がない」
「あのね、その……彼からよりを戻そうって連絡がきてたの。だから」
「はっ、くだらない。惰性で付き合ってた男の事なんて、今更相手にする必要ない」
「惰性で付き合ってたなんてそんなこと……」
「あるだろ」
顔だけこちらを向いて私を見たその目が、ほんの一瞬ギラっと光ったように見えて体が固まった。言葉が出てこない私に、彼は勝ち誇ったように笑った。
「そもそも。別れたのも相手の浮気が原因なんだろ?」
「それは、そうなんだけど……」
口を開いたと同時にスマホが着信を知らせた。画面を見ればそこには元彼の名前が表示されている。
「ちょうどいい」
「え?」
「俺かその男。どっちを選ぶか今決めろ」
私の手からスマホを奪い取り問答無用で通話ボタンを押した彼は、スマホを私の耳の横に投げた。そしてそのまま流れるように私の上に覆い被さる。スマホから聞こえてくる声は通常の通話音よりも大きい。どうやらスピーカーにされているようだ。
『もしもし?奈々美?』
「……もしもし?」
状況が理解できないまま会話をする私を、彼はただ見下ろしている。
『今どこにいる?会いたくて家来たんだけど、反応ないから』
「今?……友達の家にい、るよ」
会話の途中でスマホが置いてある方とは逆の耳に唇を寄せられて、変なところで息継ぎをしてしまう。胸を押して少し離れた彼を睨みつけるが、彼は心底楽しそうに笑った後再び私の耳に唇を寄せた。
『あの時のこと、ちゃんと話したくて』
「今日も、最高に気持ちよかったな」
電話の向こうからの声に被せ、吐息混じりに囁かれた言葉に肩が跳ねる。
『お前はどう思ってる……?』
「あんたはどうだった?」
鼓膜を震わせる低く色気のある声に、甘い吐息が溢れそうになるのを両手で抑える。しかし、それを許してくれない目の前の彼によって、両手は静かにシーツに縫い付けられた。
「……私も」
後に続けようとした言葉は、どっちに対する言葉だったのだろう。話したかった? 気持ちよかった? 混乱している頭で考えているうちに、再び両耳を異なる声が満たす。
『よかった。ラビチャの返事もないし。もう連絡取れないかと思ってた』
「だろうな。いつもより声も出てたし、ここもなかなか俺を離してくれなかったからな」
「んっ……!そんな事ない、よ」
秘部を指で撫でられて声が上擦る。それと同時に先ほどの行為を思い出して、体温が上がって顔が熱くなった。
『そっか……。あのさ、浮気した俺が言うのも何なんだけど、やっぱりお前が一番なんだ』
「今までいろんな女を抱いてきたが、どの女よりあんたが一番だ」
耳に何度もキスをされ、その音と時折漏れる彼の吐息に下半身が疼く。電話口の声は辛うじて聞き取れているけれど、正直、もうそれどころじゃない。
『本当に悪かった!もう浮気なんかしないから』
「他の女なんていらない。俺はあんたが欲しい」
そう言って私をまっすぐ見つめた瞳から目が離せない。何か言わなくちゃ。そう思って開いた口を彼の口で塞がれる。だんだんと深くなるキスに応えながら、私はスマホに手を伸ばした。電話の向こうの彼の声は、もう私の耳には届いていない。
「おまえは、俺を選ぶだろ?奈々美」
熱のこもった吐息と共に囁かれたその言葉に、私は無意識に頷いていた。再びかかってきた電話を無視して、目の前の彼の首に腕を回せば、キスの雨が降ってくる。
バスローブを脱ぐ彼の勝ち誇ったような顔が少し憎たらしいけれど、この後のことを考えたら、そんな彼の表情も、いつまでも鳴り続ける電話も、なんだかもう、全部どうでも良くなってしまった。
back
novel top/site top